ねこと祈り
『シマさんがレイラ王妃だったんだわ……。』
ミーツェは泣きながら気を失ってしまったシマ猫の頬の涙の後をなぞりました。吐息は落ち着き、具合は悪くないようです。言葉遣いが言葉遣いだったためにシマ猫が王妃だなんてミーツェは今まで思いつかなかったのです。
『そう考えたらシマさんがゴブリンでいた時城下に居たのも納得できるわ。』
森の住人ゴブリンが城下に現れること事態、奇異なのです。でも、オリビエに姿を変えられた王妃が城を追われ、城下に逃げ込んだなら十分考えられることです。
『でもどうして記憶までこんなに厳重に閉じ込めているのかしら。ギルの片目しかない目を狙わせてまでして城に近づけないようにしたのはどうしてかしら。』
オリビエの性格なら意識を残したまま城下を追われる哀れな王妃を高笑いしながら見物したはずです。そう、ミーツェのように。なのに、オリビエは王妃の記憶を閉じ込め、王子の目を狙うよう信じ込ませていました。万が一城に入ったとしても大事な王子の大切な目を狙うゴブリンを城の者は許しはしないでしょう。カナルトの森でゴブリンが殺されなかったのはミーツェのおかげです。
『美しい王妃様をゴブリンに変えるなんてオリビエらしいわ。……王妃様はオリビエの弱みを知っていたのかしら。』
シマ猫の寝顔を見ながらミーツェは一人思案していました。
*****
次の朝、二人の説得も虚しくデイはレイラを連れて帰ると王に伝えました。新しく別の王妃を迎えるようにとも。
ここで王が無理にデイを追い返せばたちまちハモイはテルゼに乗り込んでくるでしょう。
「父上、本当に良いのですか!?」
ギルが非難する声が王広間に響きました。
まだ早朝の時間に人払いをして王はデイの決定を静かに聞いていました。
「テルゼの王よ。レイラが帰ったところであなたには何一つ不自由なことは無いはずだ。まして目覚めもしない今はただの人形に過ぎない。離縁して他のふさわしい王妃を選べばいいんだ。それが貴方の為でもあり、レイラの為でもある。」
王は何も答えず椅子に座ったままで目を伏せました。王が決心して王妃の部屋の衛兵に連絡を取ろうとした時、その目の前には一匹のシマ猫が小さな白い花の茎を咥えていました。
ニャア。
猫はひと鳴きします。
「シマ?」
ギルがそう声をかけた時、彼の白い猫が彼の足にまとわりついてきました。
「ミミ……。」
彼の愛しい白猫はまっすぐとシマ猫を見て微動だにしません。つられてギルも猫が見つめる事にしました。もちろんデイもこのおかしな光景を見守っていました。
『ミミ、本当にこんなことでギルの母親が目覚めるのかい?』
目の前の王がシマ猫を食い入るように見ています。居心地の悪いシマ猫は白い小さな花を鼻先に置くと王を見つめました。ミーツェに無理やり起こされたシマ猫は白い花を持って王様に渡せばいいとしか聞いていません。
『雪の魔女が言っていたことが本当ならきっと……。』
今朝目覚めたシマ猫は屋根から落ちたことしか覚えていませんでした。ミーツェがいくつか質問するものの首を振るばかりです。
『思い出したくないからきっと頭が痛くなるんだわ。王様、お願いです。貴方の愛を王妃様に伝えてください。』
ミーツェが何を言っても頭が痛くなるだけだと判断したミーツェはシマ猫を王に引き合わせることを考え付きました。でも、何も策はないのです。
『王様……頑張って!』
ミーツェはただ、ただ、祈りました。王妃が幸せに目覚めるように。
「この花は……レイラ……。」
まだ体調が優れない王は椅子を降りて膝をつくとシマ猫の鼻の頭にある小さな花を手に取りました。
「……。私は間違っていた。国の影響やレイラを目覚めさせる方法をいくつか提案するよりも大事な話をしなければならなかった。」
その言葉はまっすぐにシマ猫を通り、後ろにいたデイに届きました。
「ゴーデイト。お前の姉さんを連れて行かんでくれ。レイラが目覚めなくともレイラが私に必要なことに変わりはない。レイラの代わりなんてこの世には存在しないのだよ。」
「……王…いや……義兄さん……。」
「私はこの花に誓った。レイラを悲しませないよう、決して枯らさないと。私は……レイラを……。」
王はシマ猫を見て、はっきりと言いました。
「レイラを愛しているんだ。」
……そのとき、シマ猫の体がぐにゃりと揺れました。
『シマさん!?』
シマ猫の様子を祈りながら見ていたミーツェが叫びました。
シマ猫の体はまるで大きなシャボン玉のように半透明に膨れ上がり、虹色に輝いてから……
パチン!
弾け飛んで消えてしまいました。
『シマさん!シマさん!?』
ミーツェが駆け寄ると小さな白い花びらが一枚。シマ猫がいたところに落ちています。
『どうなっちゃったのかしら!?』
蒼白になるミーツェに間もなくして王妃の部屋から飛んできた衛兵が王の間のドアを手荒に叩きました。
「ご、ご無礼を承知で、突然訪問して申し上げます!お、王妃様が……王妃様が目覚められました!」
その言葉に城は騒然となりました。