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悪鬼異世界へ行く ~悪逆非道の限りを尽くしたロリババア 改心の異世界巡礼を経て聖女様となる~  作者: 秋水 終那


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第四話:酒の邪魔をする羽虫ども


 大社の最上階に位置する高殿は、今やわし一人の独壇場と化しておった。


 かつては神への祈りを捧げるための場所であったというが、今やそこは、芳醇な酒の香気と、わしが放つ重苦しい鬼気に満たされた「鬼の寝所」じゃ。設えられた絹の長椅子に深く身を沈め、わしは手元の銀杯を傾ける。

 

 北の凍土から運ばれたという火の酒。喉を通るたびに内臓が灼けるような感覚が、わしの凍りついた魂を僅かに震わせる。京の都で啜った、貴族どもの薄甘い酒とは比べ物にならん。この世界の人間は脆弱なくせに、己を壊すための毒だけは一級品を揃えおる。


 だが、その至福の刻は、遠く地平の彼方から響く、不浄な振動によって台無しにされた。

 

 最初は、羽虫の羽音のような微かな震えじゃった。しかし、それは瞬く間に増幅し、大地を震わせる軍靴の音、そして飢えた獣どもの下卑た咆哮へと変わっていく。


 石造りの大社が僅かに震え、銀杯の中に満ちた酒の表面に、醜い波紋が広がった。


「……興が醒めるのう」


 わしが呟いたのと、高殿の扉が荒々しく押し開かれたのは、ほぼ同時じゃった。


「審判者様! 審判者様、一大事にございます!」


 血相を変えて飛び込んできたのは、司教の老骨じゃった。かつてはこの街で最も高い地位にあったはずの男が、今や髪を振り乱し、なりふり構わずわしの足元へ縋り付こうとする。


 その後ろにはエレンも控えておった。彼女の顔には恐怖の色など欠片もない。ただ、これから始まるであろう「破壊」を待ち望み、指先を震わせ、頬を上気させておる。森で震えておった小娘が、今や最も質の悪い狂信者となり果てた。


「司教、左様な大声で喚くなと言ったはずじゃ。わしの耳は、お前のような枯れ木が立てる騒音に耐えられるようにはできておらん。……それで、外の羽虫どもは何事だ」


「も、申し訳ございません! しかし、隣国の軍勢……いえ、理を捨てて魔物に魂を売った禁忌の魔軍にございます! 数万の魔物を従え、このレアルタを血に染め、あなた様を排除せんと迫っております! 街の守り手だけでは、とても、とても……!」


 司教は、わしの答えを待たずに石床へ額を打ち付けた。鈍い音が響く。


「どうか、あやつらに神罰を! あなた様のその大いなる御力で、不浄なる軍勢を、この街を包囲する愚か者どもを焼き払ってくだされ! あなた様だけが、我らの唯一の救いにございます!」


 わしは手元の銀杯を、無造作に、だが確実な殺意を込めて床へと放り捨てた。

 重厚な音が響き、残った酒が司教の白衣を赤く染める。


 魔軍。魔物。排除。


 どの言葉も、わしの耳には空虚にしか響かぬ。京を騒がせた茨木童子や星熊童子の爪先にも及ばぬ、雑兵どもの集まり。そのような矮小な存在のために、わしの晩酌が邪魔立てされたという事実こそが、わしを底知れぬ不快感へと突き動かした。


「司教、勘違いするな。わしは貴様らの守り神などではない。街が燃えようが、お前たちが食い殺されようが、わしの知ったことか」


 わしは立ち上がり、素足で高殿の縁へと歩を進める。


「だが……あやつらは、わしの酒を不味くした。その罪は、万死に値する」


 わしは高殿の縁から、そのまま虚空へと踏み出した。

 重力など、わしを縛る鎖にはならん。夜風に銀の髪をなびかせ、紅い瞳を妖しく発光させながら、わしは街を包囲せんとする軍勢を見下ろした。


 地平線まで続く松明の火。鉄の臭いと、獣の腐臭が混じり合い、夜の空気を汚しておる。数万の兵、そしてそれと同数の、知性すら持たぬ出来損ないの魔物ども。彼らは街の門を叩き、勝利を確信して勝ち鬨を上げておった。


「カカッ、汚らしい。平家の軍勢の方が、まだ散り際の美学を持ち合わせておったわ」


 わしは右手を、無造作に、だがこの世界の法則そのものを握り潰すようにして突き出した。

 内側に練り上げた鬼の根源を、一気に開放する。

 

 細りきったとはいえ、大江山で千年の月日を統べた鬼の王。その一撃は、この世界の脆弱な理を紙切れのように引き裂く。


「露と消えよ」


 指先から放たれたのは、光ですらない、純粋な「無」の奔流じゃった。

 紅蓮の炎が渦を巻き、街の外縁を舐めるようにして広がっていく。


 先陣を切っておった魔物どもは、悲鳴を上げる暇も、己が死んだことを理解する時間も与えられず、一瞬で炭化して霧散した。後方の兵どもは、その熱波だけで肺を焼かれ、肉が蝋のように溶け落ち、叫び声さえも蒸発していく。


 わしはさらに指を鳴らし、天を真っ赤に染め上げた。

 雲を焼き、星を隠し、夜を昼に変える破壊の輝き。


 逃げ惑う兵の背中を、わしが放った鬼火が追いすがり、次々と肉の柱へと変えていく。大地は亀裂を上げ、そこから溢れ出した魔力がさらに周囲を蹂躙した。


 それはまさに、この世に現出した極彩色の地獄じゃった。


「見ろ……! あれこそが、聖なる審判の炎だ! 私たちが選ばれた証だ!」

「おお、真なる御使いよ! 救世の乙女よ! 悪しき軍勢を塵に変え、我らに栄光をもたらしてくださるのだ!」


 背後の街から、人間どもの狂った歓喜が響いてくる。

 数万の命がゴミのように間引かれ、大地が死に絶える様を、彼らは頬を濡らし、手を取り合って「奇跡」として拝んでおるのじゃ。


 己が踏みにじられた者が誰なのかも理解せず、ただ強大な暴力の前にひれ伏す。その歪な姿こそが、わしには焼かれる魔物どもより、遥かに化け物じみて見えた。


 わしは冷めた瞳で、灰となって消えていく軍勢の残骸を眺めた。


 ただの不機嫌な掃除を、救済だと信じて疑わぬ狂信者ども。

 かつてのわしなら、このまま勢いに任せて街ごと焼き払い、この不快な歌声を止めておったところじゃが……。


 ふと、わしは己の爪を見つめた。

 これほどまでの暴威を振るっても、わしの心は少しも晴れぬ。

 

「……掃除は終わりじゃ。司教、新しい酒を持ってこい。今度は、もっと強い奴をの。わしの喉が、この街が焼ける音で渇いておるわ」


 わしは空中で身を翻し、再び大社の奥へと消えていった。

 背後でさらに激しくなる「聖なる勝利」への讃歌。

 

 救いなどではない。これは、ただの蹂躙じゃ。

 そしてわしは知っておる。この人間どもが、自らその炎の中に飛び込み、焼き尽くされることを望み始める日は、そう遠くないということを。


 夜の帳が再び下りる中、銀髪の童女は、血よりも紅い瞳を静かに細めた。


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