冤罪で婚約破棄された解毒師、真犯人を茶会で暴いたら公爵が離してくれなくなりました
「リーネ嬢。君が義母に毒を盛ったという証言がある」
公爵邸の応接間。冷たい声が私を貫いた。
ヴェルナー・フォン・ヴァイスベルク公爵。銀灰色の髪に、氷のような青い瞳。王国随一の名門当主にして、私の婚約者だった人。
だった、というのは。
「婚約は破棄だ」
その言葉が、今、告げられたからだ。
私は目を見開いた。毒を盛った? 義母様に?
「お待ちください。私は何も」
「証言者がいる。セレーナ・カーティス侯爵令嬢だ。君が義母の紅茶に何かを入れるのを見たと」
セレーナ。あの女の名前が出た瞬間、全てが繋がった。
ああ、そういうことか。
私は伯爵家の娘。解毒師だった母から技術を継ぎ、密かに義母様の体調不良の原因を探っていた。そして気づいたのだ。義母様は少しずつ、毒を盛られていると。
犯人の目星はついていた。でもまだ証拠が足りなかった。
だから私は毎日、義母様の紅茶にこっそり解毒剤を混ぜていた。毒を盛っていたのではない。解毒していたのだ。
それを逆手に取られた。
「弁明は」
「聞く必要はない」
ヴェルナー様の声は冷たかった。でも私は気づいていた。その瞳の奥に、かすかな揺らぎがあることを。
彼は私を疑いたくないのだ。でも証言がある以上、当主として対処せざるを得ない。
「三日後、王妃様主催の茶会がある。それまでに真実が証明されなければ、君には公爵邸を出てもらう」
三日。
短いようで、十分な時間だ。
「わかりました」
私は静かに頷いた。
「三日後、真実を証明します。私が毒を盛っていないことを。そして、本当の犯人が誰なのかを」
ヴェルナー様の目が、わずかに見開かれた。
「……できるのか」
「私は解毒師です。毒のことなら、誰よりも詳しい。だから」
私は彼の目をまっすぐ見つめた。
「見ていてください、公爵様。私は、証明します」
部屋を出ると、廊下に人影があった。
「リーネ様」
公爵家の執事、オルト。白髪交じりの初老の男性で、義母様が嫁いできた頃からこの家に仕えている。
「聞いていたのですか」
「申し訳ございません。ただ、一つお伝えしたいことが」
オルトは声を潜めた。
「私も、義母様の体調不良については気になっておりました。そしてリーネ様が毎朝、義母様のお部屋を訪ねていることも」
「……」
「解毒を?」
私は頷いた。隠しても仕方がない。
「義母様は毒を盛られていました。私はそれに気づいて、こっそり解毒を続けていたんです」
「やはり」
オルトの目に、安堵の色が浮かんだ。
「私の見立ては間違っていませんでした。リーネ様は、義母様を害する方ではない」
「信じてくださるのですか」
「ええ。そして、お手伝いさせていただきたい」
オルトは懐から小さな紙片を取り出した。
「毒の調合に必要な材料は、特殊なものが多いはずです。私はここ数ヶ月、公爵邸に出入りする商人を全て記録しておりました。その中に、怪しい取引がないか調べれば」
「出所がわかる」
「はい。そして、真犯人が誰なのかも」
私は紙片を受け取った。これがあれば、証拠が揃う。
「ありがとうございます、オルト」
「いいえ。私はただ、この家の正義のために動くだけです」
その日の夜、私は自室で毒の分析を続けていた。
義母様の紅茶から検出した毒は、「静寂の雫」と呼ばれる遅効性の毒物。少量ずつ摂取させることで、徐々に体を蝕む。市場には出回らない、闇ルートでしか手に入らない代物だ。
母から継いだ解毒の技術。それがなければ、私はこの毒に気づくことすらできなかっただろう。
お母様、見ていてください。
私はあなたの技術で、真実を証明します。
そう心の中で呟いた時、部屋の扉が叩かれた。
「リーネ嬢」
ヴェルナー様の声だった。
私は急いで資料を片付け、扉を開けた。
「こんな夜更けに、どうされましたか」
「……入ってもいいか」
「は、はい」
ヴェルナー様が部屋に入ってくる。その存在だけで、空気が変わる気がした。
彼は窓際に立ち、月明かりに照らされた横顔を見せた。
「今日の話だが」
「はい」
「俺は、君を信じたいと思っている」
思わず息を呑んだ。
「でも証拠がない以上、当主として動かざるを得ない。わかってくれ」
「わかっています」
「だから」
ヴェルナー様が振り返った。その瞳が、私を捉える。
「三日後。君が真実を証明するというなら、俺はそれを見届ける。逃げも隠れもしない」
「……ありがとうございます」
「礼を言われることではない。俺は君の婚約者だ。君を疑うなら、その結末も見届ける義務がある」
婚約者。
まだ、そう呼んでくれるのか。
「一つ聞いていいですか」
「何だ」
「公爵様は、なぜ私を婚約者に選んだのですか」
政略結婚だった。伯爵家と公爵家の繋がりを強めるための。私に選択権はなく、ヴェルナー様にも特別な感情はないと思っていた。
でも、今の彼の態度は、ただの政略相手に向けるものではない気がして。
ヴェルナー様は少し黙った後、口を開いた。
「君は、嘘をつかない目をしている」
「え?」
「初めて会った時から思っていた。この女は、真っ直ぐだと。だから」
彼の手が、私の頬に触れた。
「三日後、俺に証明してくれ。君の目が、嘘をついていないことを」
心臓が跳ねた。
「……必ず」
私はそう答えるのが精一杯だった。
翌日。
私は王都の商業区を歩いていた。オルトから受け取った商人のリストを頼りに、毒の出所を追っている。
「静寂の雫」を扱う闇商人は限られている。そしてこの数ヶ月、公爵邸に出入りした商人の中で、その筋と繋がりがある者は一人だけ。
裏路地の小さな薬屋。私は扉を押して中に入った。
「いらっしゃい……おや」
店主の老婆が、私を見て目を細めた。
「お嬢さん、その目は解毒師だね」
「わかりますか」
「長年この仕事をしていれば、毒に関わる者の目はわかるよ。で、何の用だい」
私は単刀直入に聞いた。
「『静寂の雫』を、ここ数ヶ月で購入した客がいますね」
老婆の顔色が変わった。
「……何のことだか」
「隠しても無駄です。私は公爵家の関係者。この店が闇ルートと繋がっていることは、当局に報告することもできる」
「脅すのかい」
「いいえ。取引です」
私は懐から金貨の入った袋を取り出した。
「購入者の情報をいただければ、この店のことは黙っています。私が知りたいのは、真実だけですから」
老婆はしばらく私を見つめていたが、やがて諦めたように息をついた。
「……侯爵家の令嬢だよ。カーティス家の」
やはり。
「金髪で、いつも高慢な顔をした女だった。『絶対にバレない方法で使う』と言っていたね」
「いつ頃ですか」
「三ヶ月ほど前から、何度か。少量ずつ買っていったよ」
三ヶ月。義母様の体調が悪くなり始めた時期と一致する。
「ありがとうございます。この情報、書面にしていただけますか」
「書面?」
「証拠として使います。もちろん、お店の名前は伏せますので」
老婆は渋々頷いた。
「……あんた、なかなかの交渉上手だね」
「母に教わりました。解毒師は、情報を集めるのも仕事のうちだと」
証拠が揃いつつあった。
毒の購入記録。セレーナの筆跡と一致する注文書。そして、闇商人の証言。
あとは、茶会の場で全てを明らかにするだけ。
でも、その前に一つ、気になることがあった。
セレーナは何故、義母様を狙ったのか。
公爵夫人の座を狙うなら、私を陥れるだけで十分なはず。義母様を毒殺する必要はない。
「オルト」
「はい、リーネ様」
「カーティス侯爵家について、何か知っていますか」
オルトは少し考え込んだ後、答えた。
「実は、カーティス侯爵家は数年前から財政難と聞いております。先代当主の放蕩が原因で、莫大な借金を抱えているとか」
「借金……」
「はい。そしてその借金の一部は、公爵家が肩代わりしているのです。義母様が、昔の友人であるカーティス夫人を助けるために」
全てが繋がった。
セレーナは、借金を帳消しにするために公爵家に取り入ろうとした。でも義母様は、彼女の本性を見抜いていたのかもしれない。だから邪魔だった。
「義母様を排除して、公爵家の財布を握る。そういうことですか」
「おそらくは」
許せない。
義母様は、私を娘のように可愛がってくれた人だ。婚約者として公爵邸に来た私を、温かく迎えてくれた。
その人を、金のために毒殺しようとした。
「オルト。商人の証言も確保できますか」
「すでに手配しております。茶会の日に、王宮まで来てもらう手はずです」
「ありがとうございます」
「いいえ。これは、この家のためです」
茶会前日の夜。
私はまた、ヴェルナー様に呼び出された。
今度は公爵邸の庭園。月明かりの下、薔薇が咲き誇っている。
「明日だな」
「はい」
「証拠は揃ったのか」
「はい。全て」
ヴェルナー様は頷いた。そして、私に向き直った。
「リーネ」
名前を呼ばれた。初めて、姓ではなく名前で。
「は、はい」
「明日、俺は君の味方をする」
「え?」
「証拠が揃ったと言ったな。なら、俺は君を信じる。当主としてではなく、婚約者として」
その言葉が、胸に染みた。
「でも、まだ証明していません」
「いい。君の目を見れば、わかる」
ヴェルナー様が一歩近づいた。
「君は嘘をつけない女だ。だから俺は、最初から君を疑ってなどいなかった」
「でも、婚約破棄を」
「当主として、形だけ言わざるを得なかった。証言がある以上、調査しないわけにはいかない。だが」
彼の手が、私の手を取った。
「俺の心は、最初から決まっていた」
「ヴェルナー様……」
「明日、全てを終わらせよう。そして、俺たちは正式に婚約者として歩き出す」
月明かりの下、彼の瞳が優しく光った。
私は、泣きそうになりながら頷いた。
「はい」
茶会当日。
王宮の大広間には、貴族の令嬢たちが集まっていた。王妃様主催の茶会は社交界の華。誰もが着飾り、笑顔を振りまいている。
私はその中を、静かに歩いた。
「あら、リーネ様」
嫌味な声が聞こえた。振り向くと、セレーナがいた。
「よく来られましたわね。毒婦の汚名を着たまま」
周囲の令嬢たちが、ひそひそと囁き合う。噂は広まっているようだ。
「セレーナ様」
私は微笑んだ。
「今日は、お話があるんです」
「お話? 何のことかしら」
「毒の、出所について」
セレーナの顔が、一瞬だけ強張った。
でもすぐに余裕の笑みを取り戻す。
「何を仰っているの? 毒を盛ったのは貴女でしょう。私は見たのよ、貴女が義母様の紅茶に何かを入れるところを」
「ええ、見たのでしょうね。でも、私が入れていたのは毒ではありません」
「は?」
「解毒剤です」
広間が、静まり返った。
「私は解毒師の娘です。母から技術を継いでいます。義母様の体調不良に気づいた時、私はすぐに毒だと見抜きました。だから毎日、こっそり解毒剤を飲ませていたんです」
「で、でたらめよ!」
「でたらめではありません。証拠があります」
私は懐から書類を取り出した。
「これは、『静寂の雫』という毒の購入記録です。王都の闇商人から入手しました。購入者の名前と筆跡は、セレーナ様。貴女のものと一致しています」
「そんなもの、偽造よ!」
「偽造かどうかは、この方に聞けばわかります」
私が合図すると、広間の扉が開いた。オルトが、一人の女性を連れてきた。薬屋の老婆だ。
「この方は、毒を販売した商人です。購入者の顔を、はっきり覚えているそうです」
老婆が、セレーナを指差した。
「あの女だよ。金髪で高慢な顔をした侯爵令嬢。間違いない」
「嘘よ! この老婆は買収されているのよ!」
セレーナが叫ぶ。でも、もう遅い。
「王妃様」
私は王妃様に向き直った。
「私は毒を盛ってはいません。むしろ、義母様を毒から守るために動いていました。真犯人は、この場にいます」
王妃様は静かに頷いた。
「証拠は十分のようですね。セレーナ・カーティス」
「は、はい……」
「貴女には、詳しい事情を聞かせてもらいます。衛兵」
「お待ちください!」
セレーナが後ずさる。
「私は、私は悪くない! カーティス家の借金のせいで、こうするしかなかったのよ! 義母様が死ねば、公爵家の財布は私のものになるはずだった!」
広間に、悲鳴のような声が響いた。
自白だ。
完全な自白。
「……愚かな」
低い声が聞こえた。ヴェルナー様だ。
いつの間にか、彼は私の隣に立っていた。
「金のために、俺の家族を殺そうとしたのか」
「ヴェルナー様、私は——」
「聞く気はない」
ヴェルナー様の声は、氷のように冷たかった。
「衛兵。この女を連行しろ。カーティス侯爵家には、公爵家として正式に抗議する。借金の肩代わりも、全て取り消しだ」
「そんな……」
セレーナの顔から、血の気が引いていく。
借金の肩代わりがなくなれば、カーティス侯爵家は破綻する。社交界からの追放は確実だ。
「いやぁぁぁ!」
絶叫とともに、セレーナは衛兵に連行されていった。
広間には、沈黙が落ちた。
「リーネ」
ヴェルナー様が、私に向き直った。
衆人環視の中。王妃様も、貴族の令嬢たちも、全員が見ている。
「君は、俺の家族を守ってくれた」
「当然のことをしただけです」
「当然ではない。君は濡れ衣を着せられながら、それでも義母のために動き続けた。俺は、そんな君を」
ヴェルナー様が、私の手を取った。
そして、膝をついた。
広間に、どよめきが起こった。
「ヴェルナー様!?」
「リーネ・フォン・ハーゼンシュタイン」
彼の青い瞳が、まっすぐに私を見上げる。
「俺は君を、正式に妻として迎えたい。政略でも義務でもなく、俺自身の意志で。君を、俺のそばに置きたい」
息が、止まりそうだった。
「この女性を傷つける者は、俺が許さない。これは公爵としてではなく、一人の男としての宣言だ」
「ヴェルナー様……」
「答えを聞かせてくれ、リーネ」
周囲の視線など、もう気にならなかった。
私の目に映るのは、彼だけ。
「……はい」
声が震えた。
「私でよければ。喜んで」
ヴェルナー様が立ち上がり、私を抱きしめた。
広間に、拍手が沸き起こった。
王妃様も、微笑んでいる。
「お幸せに、お二人とも」
「ありがとうございます、王妃様」
ヴェルナー様が答える。でもその目は、私から離れない。
「リーネ」
「はい」
「やっと、俺のものになってくれた」
その言葉に、独占欲が滲んでいた。
でも、それが嬉しかった。
「私は最初から、貴方のものでしたよ」
「知ってる。でも、今度は逃がさない」
彼の腕に力が込められる。
「一生、俺のそばにいろ」
「はい」
私は笑った。
「喜んで」
茶会の後、私たちは公爵邸に戻った。
義母様が、玄関で待っていた。
「リーネさん」
「義母様!? お体は」
「ええ、すっかり良くなりましたよ。貴女のおかげで」
義母様は、私の両手を取った。
「ありがとうございます。貴女が毎日、解毒剤を飲ませてくれていたこと、知っていましたよ」
「え?」
「最初は気づかなかったけれど、体調が回復し始めて、やっと。でも、貴女が何か考えがあって黙っているのだと思って、私も黙っていたの」
義母様の目に、涙が浮かんでいた。
「本当に、ありがとう。貴女が息子の婚約者で、本当に良かった」
「義母様……」
私も、泣きそうになった。
「いいえ、私こそ。義母様に出会えて、幸せです」
義母様が、私を抱きしめた。
温かい。
本当の家族のような、温もりだった。
「さ、今日はお祝いをしましょう。ヴェルナー、リーネさんをしっかりエスコートなさい」
「言われなくても」
ヴェルナー様が、私の腰に手を回した。
「今日から、この女は俺の婚約者だ。誰にも渡さない」
「相変わらず独占欲が強いわね」
義母様が笑う。
「でも、それでいいわ。リーネさんを大切にしてあげて」
「当然だ」
ヴェルナー様の腕が、さらに強く私を抱き寄せた。
夜。
私たちは公爵邸の庭園にいた。
月明かりの下、薔薇が香る。あの夜と同じ場所。
「リーネ」
「はい」
「今日、よくやった」
「ありがとうございます」
「俺は、君を誇りに思う」
ヴェルナー様が、私の頬に触れた。
「君は強い女だ。誰に何を言われても、自分の正しさを証明してみせた」
「……私は、怖かったです」
本音が、口をついて出た。
「もし証拠が揃わなかったら。もし誰も信じてくれなかったら。そう思うと、怖くて」
「でも、君は逃げなかった」
「はい」
「それが、強さだ」
ヴェルナー様が、私の額に唇を落とした。
「俺は、そんな君に惚れた」
心臓が、激しく鳴った。
「ヴェルナー様」
「ヴェルナーでいい」
「え?」
「婚約者なんだ。名前で呼べ」
「……ヴェルナー」
「そうだ」
彼が、微笑んだ。
初めて見る、柔らかい笑顔だった。
「リーネ。俺は君を幸せにする」
「私も」
私は、彼の目を見つめた。
「私も、貴方を幸せにします。解毒師として、貴方の家族を守り続けます」
「ああ。頼りにしている」
月明かりの下、私たちは見つめ合った。
全てが終わった。冤罪は晴れ、真犯人は裁かれ、私は正式にヴェルナーの婚約者になった。
これから始まる新しい日々。
不安がないと言えば嘘になる。でも、隣にはこの人がいる。
「行こう、リーネ」
「はい」
ヴェルナーが、私の手を取った。
その手は温かくて、力強くて。
絶対に離さないという意志が、伝わってきた。
私もその手を、しっかりと握り返す。
隣にいるこの人の手を、私はもう離さない。
新しい朝日が、二人の未来を照らしていた。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
解毒師のリーネと、不器用だけど一途な公爵ヴェルナーの物語、いかがでしたでしょうか。
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