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第1話 啓示


「グッドモーニング・ニューヨーク! 7月7日、火曜日の朝を迎えました。空はどんより曇り空ですが、気温は摂氏24度前後。午後からにわか雨の予報ですので、傘をお忘れなく。 現在FDRドライブ一般レーンではミッドタウンから8kmの渋滞が続いています。今日も安全運転でいきましょう!」


「さて、昨夜のメッツ戦はエースのマルコ・ベガ投手が8回無失点、奪三振11という圧巻のピッチングで防御率はついに“1.21”へ。大谷翔平選手が2023年に記録した“1.23”を超えるペースに、ファンの期待も高まっています。「球界の静かな怪物」と呼ばれる男、ベガ。このまま記録更新なるか──今後の登板にも注目です!」


陽気なラジオとは裏腹に、ニューヨークの朝は忙しなく動く。 コンクリートのビルが影を伸ばし、急ぎ足の車たちがクラクションで挨拶を交わす。


2030年。気候変動による高温化と資源供給の逼迫により、都市インフラは根本から組み替えられた。交通用の誘導ラインがプロジェクションされる歩道、無音モーターを積んだEV群、そして都市を縫うように走る自動運転専用の幹線ルート。 渋滞でほとんど動かない旧式レーンを尻目に、ガブリエルの乗るリムジンはAI車両専用レーンを滑るように進んでいた。都市を貫く銀の帯のような車列は、信号もブレーキも不要で、時速120キロの隊列走行を保ったまま静かに流れていく。


車窓の向こう側、停滞する旧式レーンには、くたびれたセダンや配送トラックが数珠つなぎに並び、窓越しに人々の倦んだ表情が見え隠れする。昼夜問わず働きづめの労働者、整備不良の車内で眠る家族、ハンドルを握ったまま無表情に前を睨む若者──それらはこの都市の“もうひとつの現実”だった。


AIインフラを活用できる者と、できない者。利便性の進歩は、いつの間にか明確な境界を社会に刻み込んでいた。専用レーンの静けさと、旧式レーンの喧騒。そのわずか数メートルの距離が、いまや都市における“階層”そのものだった。


ガラス越しに見える他の車両の運転席には、人間の姿がない。誰もが眠るか、食事をとるか、あるいは瞑想するかのように、時間を生産的に消費していた。



ガブリエル・ミラーの一日は、そうした混沌の中でも例外なく、正確無比なテンプレートで始まる。


「スケジュールの変更が2件。11時の投資家面談が繰り上がり、午後は記者会見が正式に入りました。CyberMind HQです。」


助手席で喋るアリシア・シチェルバンの声は、冷たいコーヒーのように切れ味がいい。


「記者会見は“例の件”か?」


「ええ、今日はVPP(仮想人格保護に関する法整備)だけです。CEOとしての公式声明、25分にまとめておきました。途中でチャートを出します」


VPP――Virtual Persona Protection法案は、人格を持つとされるAIの権利保護に関する法整備であり、倫理学者と企業、司法の間で激しい論争を生んでいる。CyberMindはこの分野の先駆者であり、ガブリエルの率いるAI研究部門では、自律発話型AIの法的人格付与に踏み込んでいた。


ガブリエルは一つ頷いた。 彼は何も言わないが、それが満足のサインだった。


彼の率いるCyberMind社は、量子演算と機械意識の統合によって社会インフラの再構築を目指す、世界最大のAIテック企業だ。その基盤はBMIブレイン・マシン・インターフェイス『SimOne』の開発・販売・普及により、膨大な量の脳活動データを収集していることにある。行政補佐、教育、金融審査、交通統制。あらゆる分野にAIを供給し、いまや「思考そのものを管理する企業」として、各国政府に睨まれる存在でもあった。


ガブリエルはふと、目の前のダッシュボードに埋め込まれたモニターに視線を移す。自動で切り替わるニュースのサマリー映像が、静かに再生されていた。


《本日未明、北米西海岸にて記憶データの違法取引が摘発。摘発されたクラウド拠点には、違法にコピーされた仮想人格データが数百件保存されていた模様》


《仮想通貨“MindCoin”の取引高が史上最高を記録。背景には南アジアにおける教育AI需要の急増》


《VPP法案反対派の集会が首都ワシントンD.C.で実施。主催者によると“AIに人権を与えるなど狂気の沙汰”とのこと》


どの話題も、自分に関係がないとは言えなかった。


運転席のアリシアは、視線を正面に向けたまま淡々と話す。運転席といっても、この車は完全自動運転仕様のリムジンである。ハンドルは格納され、前面のHUDヘッドアップディスプレイには都市交通網のリアルタイム解析が映し出されていた。

アリシアの指先は、タッチパネル上で滑るように動き、必要なデータを呼び出しては消していく。


ガブリエルは小さく息を吐いた。 車内にはBGMすらなかった。完璧に調整された空調音だけが、空間の緊張を際立たせていた。


アリシアはガブリエルの秘書であり、唯一、信頼して背中を預けられる存在だった。 元FBI捜査官。狙撃訓練の腕も、政治家のスキャンダル処理も経験済み。 彼女をヘッドハントしたのは2年前のことだった。訳あってFBIからの退官を控えた彼女に、ガブリエル自ら接触した。この時代において正しい”恐怖”を知っている人間を近くに置いておきたかった。 今やCEOの影として、彼のあらゆる弱点を代わりに潰す存在だ。


「少し眠ってもいいですよ、あと12分あります」


「眠るくらいなら未来のことを考える。今のうちに夢を見てる連中と差をつけなければ」


彼女は唇の端をわずかに上げた。それは微笑というより、了解のサインに近い。


「会見ですが、ご家族の関係については今回はノーコメントで統一します。訴訟の進展について記者の誰かが聞くと思うので」


「……ああ」


ガブリエルは視線を窓の外へ滑らせた。ガラス越しに流れる摩天楼の景色。その奥に浮かぶ自らの影を、彼は心のどこかで拒絶していた。


「そういうことは、出来れば君の口から聞きたくないかな」


高速を走る300台以上の車列。


混雑はしているが、全体が整然と進んでいる。


父親と絶縁して以来、ガブリエルにとって“家族”という語は未処理の感情の象徴だった。 アリシアが呆れている気配を感じて、ガブリエルは声を緩めた。


「冗談だ……まあそもそも、俺が黙ることで都合が悪いのは、むしろ──」


ガブリエルがそう口にして再び外を覗いたそのとき──


──空間が滑った。


視覚も聴覚も、何かに浸食されるように歪み、圧倒的な存在の感覚が脳を貫いた。


何かを見ていた気がした。もしくは見られていたのかもしれない。


それが何かを知るより早く、”情報”が脳に届いた。

そして、音の洪水が爆発した。


運転中のアリシアの目が、かすかに揺れた。


ハンドルが1センチだけ右へ傾く。


次の瞬間、乾いた音とともに後方の車が跳ねた。


アリシアの反射神経が奇跡的に働き、車をスピン気味にスライドさせて激突をかわす。


ガブリエルのリムジンのすぐ前でトレーラーが横転し、車の列を潰していた。


左側からバイクが飛び、空中で回転して後部窓を突き破った。


「ダウン!」


アリシアの怒号と同時に、ガブリエルの体がシートへ叩きつけられる。


防弾ガラス越しに、車体の天井が軋みを上げた。


左側でトレーラーが横倒しになり、5台を潰しながら回転している。

右後方で黒いSUVが宙を舞い、中央分離帯を超えて逆走車線へ突っ込む。


明らかに単体の事故ではない、複数台による追突。


襲撃を受けた。


「クソ……!大丈夫ですか!?」


朝から一般人を巻き込みながら殺そうとしてくる頭のイかれた奴らだ。

だが追撃の時間を与えることはさせない。


アリシアは意を決してドアを蹴り開けて外へ出る。

その手には勿論、銃が握られている。


周囲は地獄だった。燃え上がる車、逃げる人、転がる身体。

クラクションとガラスの破片が混ざり、今も何十台もの車が次々にぶつかっている。

三車線の流れが一斉にねじれ、車が跳ね、爆発し、転がり、炎が立ち上る。


これは、どうやら自分たちが標的ではないらしい。


警戒しながら車体の影に身を潜める彼女の目の先には、赤と黒の“混乱”が蛇行しながら続いていた。


見渡せる限り先の道路まで延々と。


その異様な情景に目を奪われる。




あの一瞬、FDRドライブの一帯が()()()意識を失っていた?




「……これは、一体何だ……?」




立ち込める煙と炎が、曇天の空を赤く染めていた。

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