発表会、わたしのラストプレゼン
体育館の壇上に設けられた演台は、見慣れないほど大きく見えた。
毎年恒例の《学年末成果発表会》。全校生徒の前で、それぞれのクラブ活動や課外研究、地域貢献活動の成果を報告するイベントだ。中でも三年生の発表は「卒業プレゼン」として注目され、例年より多くの先生方や保護者の姿もあった。
照明が眩しくて、客席の顔はほとんど見えない。それなのに、私はたった今、この場に立ってしまったことを強く実感していた。マイクの前で、制服のスカートを指先でつまむと、細かな震えが伝わってくる。
「ええと……科学部、三年の中川ゆらです」
第一声を発しただけで、心臓がバクバクと鳴った。
いける、大丈夫、と自分に言い聞かせる。ナナミたちが最前列にいる。校長先生も、結城先生も。うしろの方には、おそらく母も来ているだろう。
でも、壇上に立っている今の私は、もう“誰かに守られる”存在ではない。ただの「中川ゆら」ではなく、科学部を三年間続けてきた私として、この場にいるのだ。
「今日は、科学部での三年間で学んだこと、そして……私がどう変わったかについて、お話ししたいと思います」
スライドに写し出されたのは、懐かしい写真だった。初めて部活に参加した日の、曇った表情の私。次に映るのは、初めての文化祭で、ナナミと手作りの装置に悪戦苦闘していたときの写真。みんな、若い。あのころはまだ、「自分の声で話すこと」が怖かった。
「最初は、すごく怖かったんです。実験も、発表も、人と話すことも全部。でも……科学部には、“失敗してもいい場所”があった」
思い出す。試薬を間違えたときも、プレゼンで噛みまくったときも、みんな笑ってくれた。怒る人なんていなかった。むしろ、「じゃあ次どうする?」って、一緒に考えてくれた。
ナナミ、澄、千紘、伊織。みんなの顔が、順番に浮かんでくる。
「私は、科学が好きです。でもそれ以上に、科学を通して誰かと繋がることが、好きになりました」
ここまで言って、喉の奥が詰まりかけた。
声が震えそうになって、一度、深呼吸する。
体育館に吸い込まれていくような静けさがあった。
──拍手が、静かに鳴りやまなかった。
壇上のライトがまだ眩しい。けれど、その光に包まれながら、私は確かに立っていた。
背筋を伸ばし、深呼吸。視線の先には、生徒たちがずらりと並ぶ体育館の光景。誰もがこちらを見ていた。
「……ありがとうございました」
お辞儀をしてマイクから下がると、会場の拍手はますます大きくなった。
あれは、ナナミの声? 伊織も手を叩いてくれている。澄は……笑ってる。泣きそうなのか、笑ってるのか、どっちとも取れるような顔で。
舞台袖に戻ると、そこに結城先生が立っていた。
「立派だったな、中川」
「……はい」
喉がからからで、声にならなかった。代わりに、涙がこぼれそうになるのを奥歯でかみ殺す。
あんなに怖かったのに。全校生徒の前で話すなんて、あんなに無理だって思ってたのに。
でも──科学部で、みんなと一緒にいたこの三年間があったから。
ゆっくり歩いて戻る通路の途中。後輩たちが走ってきてくれた。
「先輩、すごかったです!」
「泣きました! マジで」
「なんか、先輩の言葉聞いてたら……科学って、いいなって思いました」
そんな言葉が、胸に降ってくる。優しい雨のように。
──ああ、やっと届けられた。私の三年間を、ちゃんと。
教室へ戻る途中、伊織がぽつりと言った。
「先輩さ、マジで別人みたいだったよ。最初の頃なんて、後ろの棚に隠れてたのに」
「え、ちょっと伊織、それ言わないでよ」
ナナミが笑いながらツッコミを入れる。
私は肩をすくめて笑う。
「……でも、事実だよ。昔の私は、隠れてばかりだった」
「でも今は、みんなの前に立ってた。堂々と、笑って話してた」
そう言ったのは澄だった。少しだけ、目を赤くして。
「ありがとう」
私は、ただその一言しか言えなかった。
◇ ◇ ◇
放課後の部室。いつもの景色。
でも今日は、ちょっとだけ違って見える。
白衣が並ぶハンガー。棚のガラス瓶。使い古した実験器具。
すべてが、宝物のように輝いて見えた。
「……終わっちゃったんだなあ」
伊織がぼそっと言う。
「終わりじゃないよ」
私は静かに言った。
「私は、ここで見つけた“好き”を、これからも続けていく。たとえ離れても、どこにいても──科学部の私が、今の私を支えてくれるから」
言葉にしてみると、思ったよりも自然だった。
ああ、これが最後のプレゼンだったんだ。
誰かに向けたものじゃない。
自分自身に向けた、最後の自己紹介。
私は、科学部で変わった。
そして、変わるって、きっと怖くない。
──だって、こんなに楽しいから。
(第35話・完)




