表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『中川ゆらと科学部の36か月』 ――わたしを変えたのは、たぶん、科学と、あなたたち。  作者: 南蛇井


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

33/36

白衣に寄せ書き

部室の蛍光灯がピチッと音を立てて点いた。年の瀬の空気は冷たくて、フラスコよりも静かに透き通っていた。


「うわーっ、寒っ……!」

ナナミが息を吐きながら部室に飛び込んできた。マフラーぐるぐる巻きで、鼻の先が真っ赤だった。


「もう、また部室の窓ちょっと開いてたでしょー!?」

「空気の入れ替え、大事だと思って……ごめん」

「先輩、年末だからって張り切りすぎです~!」


そんなやりとりをしながら、ゆらは机の上にお菓子と紙皿を並べていく。今日の科学部は、年に一度の“科学部忘年会”なのだ。といっても、お菓子をつまみながらジュースで乾杯して、一年を振り返るささやかな会。


「今年もいろんなこと、あったね」

「ほんとですよ~。先輩、泣いたり笑ったり怒ったり……」

「怒った、かな?」

「ナナミの失敗に冷や汗かいて、めっちゃ真顔で“ナナミさん、これは危険です”って言ってたときの顔、忘れませんよ〜!」

「……あ、それはちょっと怒ってたかも」


あはは、とふたりして笑う。そこへ、伊織や他の後輩たちも次々と集まってきた。どこか名残惜しそうな雰囲気が、漂っている。


「じゃあ、乾杯しようか」

「はいっ!」


ジュースのペットボトルが紙コップに注がれ、せーので「かんぱーい!」の声が部室に響いた。


ポテトチップスの袋を開けながら、1年生たちは「ナナミ先輩って、部長さんになるのかなあ」「え~、それだったら今のうちに機嫌とっとこ!」なんて冗談を言っている。


その中で、ゆらは静かに後輩たちの姿を見ていた。


楽しそうに笑って、思い出を語り合う。あのころの自分は、こんな風に誰かと心を交わせていただろうか。誰かに寄りかかり、誰かの声に救われていたことに、ちゃんと気づけていただろうか。


そんなことを、ふと思う。


「……あの、ゆら先輩」


ナナミが、ひょこっと立ち上がった。手には何か紙を持っていて、もじもじしながらみんなの前に出る。


「みんなで、相談して。ちょっとしたサプライズなんですけど……」


「……これ、どうぞ!」


差し出されたのは、ゆらが実験のときにずっと着ていた白衣だった。


よく見ると、背中に――ぎっしりと、寄せ書き。


「えっ……」


「先輩が、卒業しちゃうの寂しいけど……でも、これまでずっとそばにいてくれて、ありがとうございましたっていう気持ちを込めて」


「だから……その白衣、私たちからの“ありがとう”なんです」


ゆらは、言葉が出なかった。


それは、嬉しさというには少し足りなくて。寂しさというには、ずっとずっと温かくて。


白衣に綴られたひとつひとつの文字が、心をそっとノックしてくる。


「“先輩の背中、かっこよかったです”……ふふっ、誰が書いたのこれ……」

「私です! でも、ほんとにそう思ってますよ」


気づけば、目がじんわりと潤んでいた。


涙をこらえようとしても、無理だった。



「…それじゃ、乾杯!」


紙コップがぶつかりあい、小さな部室に明るい声が響いた。

年末恒例、科学部の“しめくくり忘年会”。お菓子とジュースだけのささやかな宴だけれど、笑い声と実験談で埋め尽くされるこの空間は、どんな豪華なパーティよりもあたたかい。


「ゆら先輩、チーズ味のポップコーン食べますか?」

「わ、ありがとう。って、これナナミが持ってきたやつ?」


「そうです! ちょっと焦がしたのは内緒ですけど…」


「ふふっ、ちょうどいい香ばしさだよ。おいしい。」


こくん、と頷いてみせると、ナナミの顔がふにゃりと崩れた。ほんの数ヶ月前まで、話しかけるたびに緊張で顔をこわばらせていた彼女。今ではすっかり場のムードメーカーだ。


(…頼もしくなったなあ)


そう思っていたとき、不意に部室の電気がぱちんと消された。


「えっ、停電!?」

「サプラ~イズッ!」


暗闇を破るように、紙吹雪と拍手の嵐。手作りのケーキがろうそくの光に照らされて、ふわりと現れる。トッピングには“YURA先輩ありがとう”の文字。


「な、なにこれ……!?」


「今日、忘年会だけじゃないんです」

「“ゆら先輩、おつかれさま会”でもあるんです!」

「3年生がいなくなるの、やっぱ寂しくて……」


笑いながら話す後輩たち。その手には、なぜか私の白衣が――。


「え、え、ちょっと待って? これ私の白衣じゃない……?」


「そうですよ。部室のロッカーからこっそり借りました」


「盗難!? いや、でも……」


驚いて受け取ると、胸元から袖まで、色とりどりの寄せ書きがびっしりと――。


「“ゆら先輩の実験ノート、めちゃ読みやすかったです!”」

「“あの時、優しくしてくれてありがとう”」

「“白衣が似合いすぎてて、ずっとあこがれてました”」

「“私も、いつかゆら先輩みたいになります!”」


震える手で白衣を広げる。インクが滲んで、文字がぶれて見える。


(あれ、おかしいな。こんなに涙腺って脆かったっけ)


「も、もう……ずるいよ、こんなの……」


顔を手で覆うけれど、ぽたぽたと涙はこぼれて止まらない。

だけど、涙の奥にあるのは、確かな“誇り”だった。


白衣はただの衣装じゃなかった。

この3年間、私がここで過ごした時間、そのものだった。


みんなと笑って、失敗して、悩んで、喜んで。

そのすべてが、この白衣に染み込んでる。


「……ありがとう。私、ほんとに幸せだった」


ナナミがそっと、私の手を握ってくれる。

それは、あの日私がナナミに手を差し伸べた時の、あのぬくもり。


(この手を、未来に渡していくんだ)


その夜、私は寄せ書きの白衣をぎゅっと抱きしめて眠った。

夢の中でも、誰かの「ありがとう」が、そっと背中を押してくれる気がした。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ