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『中川ゆらと科学部の36か月』 ――わたしを変えたのは、たぶん、科学と、あなたたち。  作者: 南蛇井


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8月/最後の自由研

――前編――


八月の朝は、あいかわらずまぶしい。

それでも、あの頃の私たちには、もう「暑いから行きたくない」なんて言い訳は通じなかった。


中川ゆらと小日向ナナミ。

科学部の、最後の夏の自由研究。

私たちは、2人だけで参加することにした――市の中高生合同の「科学フェスティバル」での発表会。


「“眠らないクラゲ”の活動電位測定って、ちょっとインパクトありすぎないかな……」

「でも先生、『このテーマなら通る』って言ってたよ。……ナナミが言い出したんだから、最後までちゃんとやるよ?」


白衣を着て部室に並ぶ私たちは、ちょっとだけ緊張しながらも、真剣だった。

睡眠をとらないクラゲ――アウレリア種の微弱な神経反応を、どうにか測定する実験。

論文を何度も読み返し、先輩の実験ノートを漁り、ありあわせの機材で何とか再現しようとしていた。


「ゆらセンパイ、ここの接続、ミスってるかも」

「え、嘘……? あ、ほんとだ、ありがとう」


いつもはおっとりしていたナナミが、真剣な目つきで回路を見ている。

彼女のそんな表情を見るたび、ゆらは少しだけ、鼓動が早くなった。


(この子、ほんとに変わったな……)


でも、それはおそらく――

「変わった」のではなく、「変わろうとしている私」に、ナナミも同じように手を伸ばしてくれたからだ。

一緒に進んでくれる誰かがいるから、自分も前を向ける。

科学部で学んだ、いちばん大きなことだった。


そして、研究が進むにつれ、問題は山のように発生した。


「ナナミ、それじゃ誤差が大きすぎるよ。もうちょっと再現性がないと……」

「えっ、でも時間も材料もないし、これ以上どうすれば……」

「それは……それは、私だって……!」


言い合いになったのは、夕方の部室。

扇風機がぐるぐると、気まずい空気をかき混ぜていた。


お互いに責任感が強くなった分、妥協できなくなった。

「先輩だから」「後輩だから」と線を引いていたころのほうが、ずっと楽だったかもしれない。


沈黙が続いたあと、ナナミがぽつりとつぶやく。


「ねえ、センパイ……わたし、怒られてもいいから、最後まで一緒にいたいよ。

 ゆらセンパイと、最後までやりたいの。うまくいかなくても、思い出にしたくないんだ」


ゆらは、はっと息を飲んだ。


(ああ、そうか――)

これは“自由研究”なんかじゃない。

私たちが、ようやく“本気”になった証だ。


彼女の目をまっすぐ見返して、ゆらは笑った。


「うん。じゃあ……思い出じゃなくて、“成果”にしよう」

「うんっ!」


もう言い訳なんて、必要なかった。

2人の白衣が、夕焼けに照らされてオレンジ色に染まっていた。



校内の発表会場。

理科室を模した特設ブースには、夏休み中の自由研究としてまとめたパネルが立てられていた。テーマは「雨水のpHと環境要因の相関」。思えば、ナナミが「酸性雨ってなんか響きがかっこいい」なんて不純な動機で選んだのがきっかけだった。


「……人多いですね、センパイ……」

ナナミが袖をきゅっと掴んでくる。ゆらはそっと頷いた。


「うん。でも、大丈夫だよ。私たち、ちゃんと準備してきたから」


直前までナナミとぶつかり合ったのが嘘のように、今は隣に立つその背中が頼もしかった。観察地点の選定、測定方法の統一、グラフの作成、そして結論の導き方――思い出せば、意見がすれ違って夜遅くまで部室で議論した日もあった。


「では、次は中川さんと橘さんの発表です」


司会の先生の声に促され、ふたりは前に出る。スライドには、ふたりでまとめた調査の概要が映し出されていた。


「私たちは、雨水のpHが環境の違いによってどう変化するかを調べました……」


ゆらが口火を切り、ナナミがデータを補足する。最初は震えていたナナミの声も、やがて自然な調子を取り戻していく。


「……それから、ゆら先輩が言ってたんです。科学って、“楽しい”って思える気持ちが、いちばん大事だって。私も、この研究を通じて、そう思えるようになりました」


その言葉に、思わず視線が合う。

ナナミの目がまっすぐだった。

ゆらは少しだけ、微笑み返す。


発表が終わったとき、会場に拍手が広がった。先生方だけでなく、他の部の生徒たちからも声がかかる。


「わかりやすかったよ!」

「データのまとめ方、すごく丁寧だったね!」


ナナミはきょとんとしたあと、ぱっと笑顔になった。


「センパイ、なんか、ちょっと泣きそう……」


「それは私のセリフだよ……」


ゆらは苦笑しながら、ナナミの肩をそっと叩いた。

ふたりで作った研究。

ふたりでぶつかって、悩んで、それでも伝えきった。


最後の夏。

最後の自由研究。

きっと、これから先も忘れない。


「来年のナナミにも、頑張ってもらわなきゃね」


「え、来年もやるんですか!?」


「もちろん。科学部の伝統にしちゃおうか」


夕陽が会場の窓をオレンジ色に染めていた。

ひとつの夏が、静かに終わろうとしていた。

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