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『中川ゆらと科学部の36か月』 ――わたしを変えたのは、たぶん、科学と、あなたたち。  作者: 南蛇井


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わったね、と言われた

──三月。春の気配と別れの季節が、部室の空気を少しずつ変えていく。


「これで、よし……かな」


中川ゆらは、手に持ったホチキスをカチリと鳴らし、冊子の最後の一部を綴じた。

春の成果発表会が終わった後、科学部では毎年恒例となっている「一年の活動報告冊子」の編集が進められていた。


長机の上には印刷された紙の束。A4サイズのそれには、今年度の実験記録、写真、部員のコラム、成果のまとめなどが詰まっている。

以前の自分なら、こんな責任ある作業を「向いてない」と遠慮していたかもしれない。


でも──


「ゆら先輩、ここ、段落の間にスペース入れた方が見やすいかもです」


「うん、そうだね。ありがとう、如月さん。そこ、あとで直そうか」


ゆらは自然と微笑み、後輩のアドバイスを受け入れた。

彼女にとって、「先輩」と呼ばれることは今でも少しくすぐったい響きだけれど、嬉しくもある。


「……なんか、ゆら先輩って、ほんとに頼りになるようになったっていうか」


「えっ、ええっ? そんな……」


「ううん、ほんとに。去年の今ごろなんて、部室の隅っこでこっそり作業してたのに」


そう言って笑う如月澄の目に、からかうような色はなかった。


「変わったね、ゆら先輩」


その言葉は、ぽろりと落ちた春の花弁のように、心の奥にすとんと届いた。


──変わった。

自分でも、少しそう思う。


不安で、声も小さくて、人前に立つのが苦手で。

科学が好きなくせに、「好き」と言うことさえ臆病だった、あの頃の自分。


「……変われたのは、みんながいたから、かな」


ふと、呟くようにそう言うと、澄は目を丸くして「えっ」と声を漏らした。


「私一人じゃ、何もできなかったと思う。澄ちゃんがいたから、玲音くんがいて、伊織先輩がいて……」


それから、思い出す。

一年前の春。震える声で見学に来た自分を、千紘先輩が最初に笑って迎えてくれたことを。


──あの笑顔が、最初の一歩だった。


ドアが開く音がして、誰かが入ってきた。


「おーい、できたか?」


声の主は、卒業式を終えたばかりの、千紘先輩だった。

胸元には卒業証書の入った筒。けれどその表情は、いつも通りの朗らかさだった。


「冊子、無事に完成しました。部室に、全員の分、置いてあります」


「おー、頼りになる〜。さすがゆらちゃんだなぁ。ほんと、変わったよね」


まただ。

けれど、今度は、否定する気持ちがまったく浮かばなかった。


変わった。変わることができた。

この場所が、それをくれたのだ。


「先輩。卒業、おめでとうございます」


「ありがとう。……あとは任せたぞ、次の科学部の柱さん?」


ゆらは小さく深呼吸をして、うなずいた。


「はい。任せてください」


少しだけ、胸を張って。


夕暮れの科学部部室。

カーテン越しに射し込む光は赤く、冬の冷たさを帯びていたが、その中で交わされる会話はどこかあたたかかった。


「じゃあ、私はそろそろ行くね」

卒業式を終えた千紘先輩が、白い封筒を手にして立ち上がる。封筒には、何やら重みのある空気が詰まっているようだった。


「後輩のみんなにお手紙書いてきたの。ほんとは、ちゃんと直接言いたかったけど……泣いちゃいそうだから」

そう言って笑う千紘先輩の目尻は、すでに少し赤かった。


私たちひとりひとりに、封筒が配られる。名前の入った小さな文字。

私の手元にも、「中川ゆらへ」と書かれたそれが届いた。


「一年間、ありがとう」

そう言って頭を下げた千紘先輩に、私たちは自然と拍手を送っていた。


ぱち、ぱち、ぱち――。

控えめだけど、確かに胸に響く音だった。


やがて先輩が部室を後にすると、残された私たちは、静かな余韻の中で、それぞれの手紙をそっと開いた。


私はまだ、封を切る勇気がなかった。

ただじっと、それを見つめていた。


「先輩って、すごく大人だったよね」

澄がぽつりと呟く。


「でもさ、中川先輩も、すごく変わったよ」

如月が笑いながら言う。


「え……?」

私は思わず聞き返していた。


「入部したばっかりのころ、もっとこう……隅っこで本読んでるだけ、みたいな感じだったじゃん?」

「今はちゃんと、中心にいる感じするよ。発表も、まとめ役も、普通にやってたし」

「うんうん、頼れる感じ」


ああ、まただ。

また、胸がぎゅっとなる。


恥ずかしいような、でもうれしいような、そんな感覚。


「……ありがとう」

そう言うと、私はそっと、手紙の封を開いた。


中には、千紘先輩らしい、ていねいでまっすぐな言葉が並んでいた。


ゆらちゃんへ

最初は、静かで、声をかけるのもためらうくらいだったけど、

一年経って、今はもう、しっかり“科学部の顔”だと思う。

自信を持って、次の一年を過ごしてね。


「……変わった、のかな。私」

つぶやいた言葉に、澄がうなずいた。


「うん、すごく変わったと思う。いいふうにね」


それはたぶん、自分では気づけなかった“成長”の証。

私は少しだけ、胸を張ってみることにした。


そして、この場所がくれたすべてに――ありがとう、と思った。



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