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『中川ゆらと科学部の36か月』 ――わたしを変えたのは、たぶん、科学と、あなたたち。  作者: 南蛇井


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22/36

天体観測、ふたりの影

が明けて、冬は本気を出してきた。

空気は冷たく澄んで、白い吐息はまるで何かを語るように空へ溶けていく。


この夜、私は科学部の部室にいた。

ただし、いつものように顕微鏡や試験管が並ぶ実験の夜ではない。


「わあ……見える、見えるよ、澄ちゃん……」


「うん。すごく、綺麗」


窓を大きく開け放った部室の隅、望遠鏡の向こうに浮かぶ星々。

冬の星座は空にくっきりと瞬いていて、オリオン座がまるで守護者のように夜空の中央に立っていた。

澄が静かに星の名前を教えてくれる。私は彼女の声に耳を澄ましながら、そっとノートを開く。


それは、伊織先輩からもらったノートだった。

研究メモと、雑記と、ちょっとした観察日記が綴られた小さな宝箱。

冬休みに入る直前、ふとした拍子に「ゆらに預けておく」と手渡されたもの。


「今のうちに、何か残しておくといいよ。自分だけの視点でね」


そう言って先輩は笑った。

その言葉の意味を、私はずっと考えている。


ページをめくると、見慣れた先輩の文字が現れる。


「星は過去を見せる。

光が届くまでに何千年もかかることがある。

つまり、今この瞬間に見ている星は、もうそこに存在しないかもしれない──

それでも、私たちはそれを“今”として受け取って、感動している」


私は、その言葉の横に小さくペンを走らせた。


「それでも、見ることに意味があると思います。

いまここにいない誰かの思い出を、光の中に見つけられるから──」


ふと横を見ると、澄も何かをノートに書いていた。

手帳かと思ったが、少し覗いてみると、スケッチだった。


「それ……星?」


「うん。さっき見えたの、描いてみたの」

と照れくさそうに見せてくれる。

かすれた色鉛筆の線で描かれた夜空。素朴だけど、やさしい絵だった。


「ねえ、澄ちゃん……」


「なに?」


「星って、過去の光なんだって。

 でも、私たち、ちゃんと未来も見られるかな。いつか……」


その言葉に、澄はしばらく黙って空を見上げていた。

それから、ぽつりと答える。


「見えるんじゃないかな。

 だって……ゆら先輩が今ここにいるの、きっと“過去の努力”のおかげでしょ?

 だったら、今の私たちの光も、きっと未来に届くよ」


「……うん」


気づけば部室の明かりは落とされていて、私たちの影が床に長く伸びていた。

暖房の切れた空間で少し身を寄せ合いながら、私たちは黙って空を見上げる。


星が、遠くでまたたいている。

それは、いま私たちが生きている証のようで──未来への合図のようでもあった。




澄と並んで寝転んだ芝生の上、星空は少しずつ冬の空気に滲み、やわらかな静けさがあたりを包んでいた。


「中川先輩ってさ」


 突然、澄がぽつりと口を開いた。視線は上空、オリオン座のあたりに留まっている。


「私、最初は“ただの無口な人”って思ってたけど……ぜんぜん違った」


「え?」


「なんかこう……言葉じゃない部分で、ずっと見ててくれてるんだなって」


 星を見上げながら、それでもどこか真っ直ぐな気持ちを投げかけてくる後輩に、ゆらは少し戸惑った。褒められ慣れていない自分が、照れたような微笑みを浮かべる。


「見てたっていうか……一緒にいたら、なんとなく伝わってきたんだよ。澄ちゃんの頑張ってるところ」


「ふふ、そうかも。でも、私はもっと知りたいって思うんだよね。科学のことも、先輩たちのことも、私自身のことも」


 言葉を交わすうちに、ふたりの間に流れる空気が不思議とあたたかくなっていく。冬の空の下なのに、寒さを感じない。


 ふと、ゆらはポケットから伊織にもらったノートを取り出した。澄が興味深そうに覗き込む。


「これ、伊織先輩がくれたの。いろんな実験メモと、ちょっとした日記みたいなのが書いてある」


「へえ……伊織先輩って、あんがい私たちのこと見てたんだね」


 ページをめくると、「澄は素直だけど、その分だけ傷つきやすい子だと思う」と書かれている行に目がとまった。驚いたように澄が息を呑んだ。


「……なんか、バレてたみたい」


「うん。でも、それは弱さじゃなくて、“感じられる力”だって思うよ」


 そう言うと、澄は照れくさそうに笑った。


「中川先輩、いつの間にそんなふうに話せるようになったの?」


「え? ……あ、もしかして、ちょっとだけ、私も変わったのかも」


「うん、変わった。ちゃんと見てたよ、私も」


 言葉が静かに交わされ、二人の心が交差する。天体観測という名の静かな儀式の中で、星たちが祝福のように瞬いていた。


 ゆらは目を閉じ、胸の中でそっと呟いた。


(進もう。怖くても、わからなくても。誰かと一緒に、考えながら進んでいくんだ)


 夜空の星たちは、ゆらのその決意を、きっと見守っていたに違いない。




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