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『中川ゆらと科学部の36か月』 ――わたしを変えたのは、たぶん、科学と、あなたたち。  作者: 南蛇井


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「サイエンスショー、舞台に立つ私」

教室の窓から射し込む光が、黒板に貼られた予定表をぼんやりと照らしていた。赤いマーカーで囲まれた一つの文字が、私の目に突き刺さる。


 「文化祭準備 サイエンスショーリハーサル」


 逃げたくなった。いや、正確には、逃げ腰だった。足元がざわざわして、呼吸がちょっとだけ浅くなる。


「……ナレーション、か」


 何度口にしても、現実味がない。


 「ナレーション役、ゆら先輩がいいと思います!」


 そう言ったのは後輩の如月澄だった。入部して半年、すっかり打ち解けたかと思いきや、こういうときだけ妙に推してくる。


「声に表情があるっていうか、聴いてて落ち着くんです」


 それは褒め言葉なのだろう。きっと。けれど、私にとって「声を出す」ことは、できれば避けたい分野のひとつだった。


 教卓の前で説明する伊織先輩や、明るく指示を出す高瀬くんの姿を見て、何度ため息をついたことか。


 あんなふうに、私にはできない。声が震える。視線が怖い。言葉が途中で消えてしまいそうになる。


 だけど、引き受けてしまった。


 あのとき、澄の目があまりにまっすぐだったから。期待を拒絶するには、強すぎた。


 ――せめて、裏切らないようにしなくちゃ。


 教室の隅、配られた台本を両手で持って、私は深く息を吸い込んだ。目を閉じて、文章を脳に焼きつけるように読む。


「次の実験では――」


「次の実験では……」


 口の中だけで真似してみる。けれど、声に出すのはまだ怖い。人がいる場所では特に。


 そんな私の様子を察したのか、伊織先輩が声をかけてくる。


「中川。読み合わせ、してみる?」


「……あ、いえ。もう少し、自主練したくて」


 先輩はそれ以上何も言わず、うなずいてくれた。


 そうして私は、放課後の準備教室で一人、何度も言葉をなぞる。


 **「舞台に立つ」**ということ。

 それは、私にとって理科の実験よりも、ずっとずっと非現実的な行為だった。


 でも、あのとき澄が言ってくれた。


「先輩の声が、舞台の雰囲気をつくるんですよ。科学って、伝えることだと思うから」


 あの言葉を、私はまだ信じきれずにいたけれど。


 信じようとしていた。


 不安と、それを上回る小さな決意を胸に、私は今日も教室に残って、台本を握りしめる。


 ナレーションのセリフに、私の“声”を重ねるために。




舞台の幕が上がる瞬間、ゆらの鼓動は高鳴っていた。体育館の天井に響く軽やかなファンファーレ。照明がゆらの立つ演台をふんわり照らし、ざわめいていた観客の声がすっと引いていく。


(いま……始まった)


照明の眩しさに、一瞬だけ目を細める。でも、台本はしっかり頭の中にある。仲間たちの動きも、何度も練習した。脚が震えるのはいつものことだし、声が裏返るかもしれない。でも、それでも、彼女の足は一歩も引かなかった。


マイク越しに最初のセリフを告げる。


「みなさんこんにちは、科学部です! 本日は、“音と光の不思議な関係”をテーマにお送りします」


声は……出た。客席からは、パチパチと拍手。そしてそこに、澄の笑顔があった。最前列、まっすぐにゆらを見ている。


幕の後ろでは、男子たちが光のプリズム実験の準備をしている。ひとつひとつの段取りが、まるで時を刻むメトロノームのように整然としていて、ゆらはナレーションでその動きをすくい上げ、観客へと導いていく。


「この白い光は、実はたくさんの色の光が混ざってできています。ご覧ください、このプリズムに通すと──」


スクリーンに虹が現れる。観客席から、歓声。


(よかった……!)


ゆらは息を吸って、次のセリフへとつなぐ。まるで科学そのものが、彼女の背中をそっと支えてくれているようだった。


本番中、思い出したことがある。


それは、一年前の自分。初めて科学部の部室をノックした日。先輩たちの前でうまく言葉が出なかったあの日。自分はずっと「誰かの陰にいればいい」と思っていた。でもいま、舞台のど真ん中で、自分の声で、誰かの心を動かしている。


(私……ちゃんとここにいるんだ)


フィナーレ。最後のセリフを、堂々とした声で届ける。


「科学って、ちょっと不思議で、ちょっと楽しい。今日、そう思っていただけたなら……それが私たちの実験成功の証です!」


拍手が湧きあがる。


舞台袖に戻った瞬間、澄が飛びついてきた。


「すごかったです、先輩! 声、全然震えてませんでした!」


「うん……ありがとう」


ゆらは、小さく笑った。頬は熱かったけど、それはきっと照明のせいじゃない。


誰もいなかったら、泣いていたかもしれない。でもそれは、怖さからじゃなくて、うれしさから。


それはたしかに、彼女が手にした「はじめての自信」だった。

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