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『中川ゆらと科学部の36か月』 ――わたしを変えたのは、たぶん、科学と、あなたたち。  作者: 南蛇井


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伝えること、守ること

それは、思っていたよりも簡単な失敗だった。


 理科室の一角、私たちはいつも通り、静かに実験を進めていた。テーマは「簡易な電池の製作」。レモンと銅板と亜鉛板、そして導線。中学生の自由研究でもやるような、基本中の基本。


「中川先輩、こっちってこれで合ってますか?」


 後輩の澄が、少し不安そうに回路のメモを見せてくる。その手は少し震えていて、まだ半田ごてに触れるのも恐る恐るだった。


「うん、大丈夫だよ。……でも、ここ、導線がちょっと剥きすぎかな。ショートするかも」


「し、ショート……!」


「大丈夫、落ち着いてやれば何も起こらないから」


 そう言ったのは、ほんの数分前だった。


 次の瞬間、焦げたような匂いと、ぱちっという音が聞こえた。


 その直後、澄の叫び声――というほどではない、小さな悲鳴が耳をかすめた。


「澄ちゃん、離れて!」


 思わず体が動いた。


 慌てて跳ねた導線が薬品瓶に当たり、それが倒れ、棚の上に置いてあったビーカーがかしゃんと割れた。そこまでが、たった数秒の出来事。


 静まり返る部屋。私の心臓の音だけが、ひどく大きく聞こえた。


「ご、ごめんなさい……っ」


 澄が、青ざめた顔で私を見上げていた。足元には、割れたガラスの破片とこぼれた液体。幸い、誰もケガはなかった。


「大丈夫、怪我してない? 触らないで、そこは私が片づけるから」


 澄はかぶりを振り、でも目には涙がにじんでいた。責任感の強い子だ。誰よりも慎重で、真面目で、だからこそ今にも自分を責めて泣き出しそうだった。


 私はふと思った。

 ここで「あなたのせいじゃない」と言うことが、正しいのかどうか。


 だって、確かに原因は彼女の操作ミスだった。けれど、それを見逃したのは私だ。彼女が不安そうにしていたのに、私は「大丈夫」と言ってしまった。


「……ごめんね。私がもっとちゃんと見てればよかった」


「え……?」


「責任は、私が取る。部長にも先生にも、私から説明するよ」


 澄は首を振った。


「でも、わたしが……わたしが……!」


「いいの。私が先輩で、君が後輩なんだもの。守るのは私の役目だから」


 口にして、私は少し驚いた。守る、なんて。いつの間に、そんなふうに思えるようになっていたのだろう。


 昨年の私なら――誰かの前に立つなんて、考えられなかった。だけど今は。たった一歩でも、誰かの盾になれるなら、それがきっと、「先輩」ということなのだと思えた。

――5月、伝えること、守ることの意味を知る


 実験室の空気は、ガラス管の割れる音とともに一瞬で緊張に染まった。


「如月さん、大丈夫⁉」


 中川ゆらは反射的に如月澄の前に手を伸ばし、飛び散る薬液から守った。その一瞬の判断で、自身の白衣の袖が濡れ、赤く腫れ始める。


「せ、先輩――っ!」


 澄の声は震えていた。ゆらは痛みに顔をしかめながらも、微笑を浮かべる。


「平気。これくらいなら、すぐ洗えば大丈夫」


 すぐに顧問の先生と上級生が駆けつけ、応急処置がなされる中で、澄は青ざめた顔のまま俯いていた。


 事故の原因は、澄のビーカー加熱のミス。だがそれを知っていても、ゆらは誰にも責任をなすりつけなかった。


「私が確認を怠ったから。あとは私が説明します」


 班の報告会で、そう言い切ったゆらに、顧問の先生は一瞬驚いた顔をしたが、深く頷いた。


 後輩をかばったことで、注意を受けたのはゆらだった。だが、その出来事を経て、澄はゆらの元に泣きながら謝罪しにきた。


「……私、先輩に守られただけじゃなくて、先輩の“覚悟”を見てしまいました」


「覚悟……?」


「はい。自分が悪いって、わかっていても、誰かのために前に立つって、すごく、怖いことだと思うんです。でも、先輩はそれを……」


 涙ながらに語る澄の姿に、ゆらは胸の奥で何かが溶けていくのを感じた。かつての自分が、ただ逃げることしかできなかったあの春とは、もう違う。


 その週末、班のメンバーが、ゆらに向かって声を揃えた。


「ゆら、これからも頼りにしてるから」


 ゆらは一瞬、戸惑った表情を浮かべたが、すぐに小さく笑った。


「うん……ありがとう」


 それは、自分を守ることで精一杯だった少女が、誰かを守る人になるまでの、小さな一歩だった。





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