『チョコレート反応式と、わたしの気持ち』
二月の教室には、甘い香りが漂っていた。
科学部の新しいテーマは、「食品科学」。
その第一弾は、チョコレート作りだ。
調理実験室にて、私たちは湯煎でチョコレートを溶かし、型に流し込んでいた。
机の上は、カカオの香りと砂糖の甘さが混ざり合っている。
「ゆら、温度管理が大事だよ。チョコは温度が変わると、質感も変わっちゃうから」
千紘先輩が注意深く声をかけてくれる。
私は手元に集中しながらも、どこかそわそわしていた。
伊織先輩が隣で作業しているのが、やけに意識されてしまうのだ。
* * *
湯煎の温度計を見つめながら、私はふと心の中でつぶやいた。
(気持ちの温度も、ちゃんとコントロールできたらいいのに)
チョコレートがとろりと溶けて、ツヤのある液体になる。
見ているだけで、なぜか胸がぎゅっと締め付けられる。
伊織先輩の横顔は、やっぱり遠くて、でも確かにそこにあって――
(……先輩に、好き、なんて言えないけど)
そんな想いを押し込めて、私は型にチョコを流し込んだ。
* * *
部室に戻ると、みんなが出来上がったチョコレートを手に談笑していた。
私は一人、静かに作業の記録をつける。
「ゆら、見てよこれ!」
千紘先輩がにこにこと笑う。
「すごく綺麗にできてる。お前の観察眼のおかげだな」
褒められると、胸の奥がじんわりと暖かくなる。
でも、誰にも言えない秘密の気持ちは、まだそっと胸にしまいこんでいた。
バレンタインの日が近づくと、部室の空気はどこかそわそわしていた。
チョコレートの甘い香りが漂い、みんなの笑顔が少しだけ輝いて見える。
私は完成したチョコレートの箱を握りしめながら、心の中で何度も言い聞かせていた。
(あげられない。先輩には、あげられない)
好きだという気持ちは、誰にも伝えられず、胸の奥にしまい込んだままだった。
* * *
部活が終わり、静かな廊下を歩いていると、伊織先輩がふと隣に現れた。
「中川、今日はお疲れ」
先輩は照れくさそうに笑いながら、ぽんと私の肩を叩く。
「ありがとう、ございます」
私は少し顔を赤らめて、うつむいた。
その瞬間、先輩の目が優しく光った気がした。
* * *
忘れられないバレンタインの夜。
私はチョコレートをそっと机に置き、静かに帰路についた。
(いつか、気持ちを伝えられる日が来るかな)
冬の空には星がきらめき、私の胸にも小さな希望の光がともっていた。




