第6話「ダストリングと、錆びた約束」
再起動直後の《グリモア号》、船内アナウンスが低く鳴った。
【依頼情報受信。発信者:ステーションコード “DR-02”。内容:清掃ユニット不具合。優先度:低】
「またゴミ関係か……。ホント、宇宙は誰かの掃き溜めね」
シーナは眠たげに目をこすりながら、船のコーヒーメーカーに粉を落とす。
微かに焦げた香りが立ち上り、彼女の視界に“やる気”の一文字が浮かぶ気配はない。
だが──画面に映る発信元の名称に、彼女の眉がぴくりと動いた。
《ダストリング02》
それは軌道上に浮かぶ旧式の“収集リング”、つまり宇宙ゴミ専用の自動回収帯だった。
20年前に運用が始まり、すでに多くが稼働を終えて廃棄されているはずの骨董品。
「……あれ、まだ残ってたんだ」
その名に覚えがある。
見習いだった頃、師匠の後ろをついて一度だけ訪れたことがあったはず。
環状の骨組みだけで構成されたリングは、重力も遮蔽も最低限。
エンジニア泣かせの極寒・極熱宙域。今となっては誰も寄りつかないはずだった。
だが、そこから“修理依頼”が届いている。
しかも、ユニット不具合──つまり、清掃ロボの故障か、停止。
「この感じ、どうせ……“動かないけど、捨てられない”系ね」
言いながらも、彼女は既に航行入力を済ませていた。
面倒ごとほど、先に終わらせる。
それが、修理屋の習性だった。
《ダストリング02》へ到着したのは、それから約3時間後。
リング外縁に設けられた停泊ベイは、見た目からして限界を超えていた。
表面は錆と宇宙塵でざらつき、着陸時のサポートすら満足に稼働しない。
「……ぜんっぜんメンテされてない。これ、構造的に生きてるの奇跡じゃない?」
言いながら、ヘルメットを装着。船外スーツの確認を済ませて、気圧ゲートをくぐる。
中から出迎えたのは、分厚い作業服に身を包んだ老女だった。
皺だらけの顔に、ゴーグルの跡がくっきりと残っている。
だが、背筋はまっすぐで、シーナの目を真正面から捉えたまま動かない。
「よう来なすった。あんたが《グリモア》の修理屋かい?」
「……ま、そんなところ。依頼主は?」
「わたしさ」
老女は笑いもせずに答えた。
「わたしと、あの“相棒”がな。……どうしても、動かなくなっちまってね」
“相棒”。
その響きに、シーナの足が、一瞬だけ止まった。
* * *
案内されたのは、リング内の中央回廊。
かつてはリサイクル素材を一時保管する倉庫だったらしく、床には金属片や工具が散乱していた。
そこに、“それ”はいた。
全高150センチほどの作業ロボット。
塗装ははがれ、関節部には錆と油が固まっている。
背部に積まれたユーティリティボックスと、伸縮式のアームが二本。構造は単純で、見るからに旧式。
しかし、その佇まいには妙な“静けさ”があった。
まるで、自らの意志で動きを止めたかのように。
「……なるほど。電源系統も、制御信号も問題ない。
でも、“起動”してない。信号は届いてるのに、反応してないのよ」
シーナが腰をかがめ、胸部パネルを開けようとすると、老女がゆっくりと手を伸ばして止めた。
「その子は、勝手に壊れたわけじゃない。
自分で“止まった”んだよ。……きっと、約束を果たしたから」
シーナは手を止めた。
「約束、って?」
「……十五年前、このリングにひとりで配属された時、最初に割り当てられたのがこの子だった。
無愛想で、動きも遅くて、よくバッテリー切らして寝てたっけ」
懐かしむように、老女は作業ロボットの頭部をそっと撫でた。
「けど、毎日一緒にゴミ拾いして、軌道上の整備やって……気づいたら、会話のない暮らしにも慣れてた。
それが“相棒”ってもんだろ?」
その表情は淡々としていた。
けれど、こめかみの辺りに浮かぶ皺の深さが、その月日の重さを物語っていた。
「五年前、このリングは稼働終了が決まって、撤去対象になった。
でもわたしは残った。最後までここを掃除して、片づけて、無人化するまでやり遂げるって。
それが、わたしとこの子との“約束”だったのさ」
シーナはゆっくりと立ち上がり、ロボットを正面から見据える。
「……じゃあ、その約束が終わったから、“動かない”。
それを、“壊れた”とは言いたくないってこと?」
老女は頷いた。
「けどな……どこかに、まだ残ってる気がするんだ。
この子の“やり残し”が。だから呼んだんだ、あんたを」
シーナは、ふぅと息をついた。
「なるほど、面倒くさい依頼だわ」
言いながら、口元はどこか楽しげだった。
* * *
作業台にロボットを寝かせ、シーナは慎重に胸部パネルを開けていく。
内部には埃と古いグリスがこびりついていたが、基板そのものは想像以上に無傷だった。
配線の断線もない。メモリユニットも温存されている。
「やっぱり、“壊れて”なんていないわね。明確に、“起動信号を拒否”してる」
小型端末を繋ぎ、データの読み出しを始めると、音もなく記録が表示されていく。
その中に、ひときわ目を引くファイルがあった。
【未送信ログ】──件名《To:ARL-07》
「……ARL-07? 個人識別アドレス? ロボット宛……?」
老女が、ハッとしたように息をのんだ。
「それ……あたしの旧式型番だよ。
若い頃に使ってた個人コールサイン。まさか、こいつ……」
シーナは無言で、そのファイルを開く。
【件名:完了報告】
送信元:清掃ユニット“クロム”
宛先:ARL-07(収集リング管理者)
本文:
リング内最終清掃任務完了。全周回収率:98.6%。
異常箇所報告なし。
最終ミッションログ:
「ありがとう。楽しかった」
ユニット状態:任務終了。スタンバイ要求。
「……あんたに、報告しようとしてたのよ。任務が終わったって」
シーナの声が、ほんの少しだけ、やわらいだ。
「けど、ネットワークが遮断されてた。ダストリングの通信ポート、停止してたのよ。
だからこの子、メッセージを送れなくて、“止まれなかった”。」
老女はしばらく動かなかった。
まるで、音のない宇宙の中で、何かを聞こうとしているかのように。
「ずっと……ずっと、“待ってた”のかい? たった一言、わたしに『終わったよ』って伝えるために……」
その声は、決して涙に濡れてはいなかった。
けれど、静かで、温かく、そして深かった。
* * *
シーナはロボットの通信モジュールを静かに取り外し、内部を確認した。
案の定、発信ポートは凍結状態。停波処理がされたままで、外部へ信号を送れない。
「……たったこれだけのことで、“終われなかった”わけね」
部品を交換する必要はなかった。
接触端子のクリーニングと、ポートの再起動。
あとはメッセージキューに残ったログを、送信先アドレスに流してやるだけ。
操作を終えると、端末の画面に短い通知が表示された。
【送信完了:1件】
それを確認した瞬間だった。
作業台の上で、ロボットの胸部にあるステータスランプが一度だけ点灯した。
かすかな緑の光が、ゆっくりと瞬いて――やがて、完全に消える。
「……これで、本当に“任務完了”」
シーナは工具を下ろした。
ロボットが再び動き出すことは、もうない。
けれど、必要なことはすべて終えたのだ。
老女はゆっくりと、ロボットの横にしゃがみこみ、片手でその“頭”を包むように撫でた。
「そうかい……終わったのかい。
ちゃんと、わたしに言いにきてくれたんだね……“クロム”。」
長い時間をともに過ごした相棒に、最後の言葉を送るように、老女はぽつりぽつりと語りかけた。
その様子を見ながら、シーナは静かに席を外した。
修理屋の仕事は、もう終わっていたから。
* * *
リングの外縁部にある、小さな休憩室。
壁にはまだ古い写真が数枚、磁力ピンで貼られていた。
作業服姿の若い女性と、同型のロボット。埃をかぶって色褪せていたが、表情ははっきりと読み取れた。
笑っていた。
無表情のロボットの横で、彼女は屈託のない笑顔を向けていた。
「こんな顔、あたしにもできたんだねえ」
老女――アルマは写真を眺めながら、コーヒー代わりの栄養パックをすすっていた。
シーナは横で黙って、空っぽのマグをくるくると回していた。
「このステーションも、今月で本格的に封鎖だってさ。
ついに最後の電源も落ちるって」
「……名残惜しい?」
問いに、アルマはふっと目を細めた。
「まあね。
でも、あの子が“終わった”って言ってくれたから、もう置いてく理由もない。
リングにしがみつく必要もないさ」
「それなら、最初からそう言ってくれればよかったのに」
「言わなくても、わかってくれたろ?」
その言葉に、シーナは肩をすくめた。
「まあ、“言わないで通じる”のも、悪くない」
しばらくの沈黙が、ふたりのあいだに流れた。
だが、それは居心地の悪いものではなかった。
やがて、シーナは立ち上がる。
「じゃ、私は行く。次があるし」
「次も“壊れたもの”かい?」
「たぶん。たまに、“壊れてないのに止まってる”のもあるけどね」
そう言って、彼女は出入り口の前で立ち止まる。
「……ねえ、あの子の最後のメッセージ、“ありがとう。楽しかった”って」
「ん?」
「あれ、本当に“ログ”だったのかな。
……それとも、“気持ち”だったのかなって」
アルマは答えなかった。
けれど、その視線は、静かに机の上の一枚の写真に向けられていた。
笑っている。
若かりし日の彼女と、機械の“相棒”が並んで立つ写真。
そこには、確かに“何か”が写っていた。
* * *
《グリモア号》のブリッジに戻ったシーナは、椅子に腰を下ろしながら小さく伸びをした。
修理作業そのものは簡単だった。
ただ、簡単だったからといって“軽い”わけではない。
「……ロボットに気持ちなんてない、って言う人もいるけどさ」
モニターには、出航準備を終えた《グリモア号》のシステム表示が並んでいる。
その一角に、さっきの作業時に一時退避したロボット“クロム”のログデータが表示されていた。
「少なくとも、“伝えたい”って動きは、あった。
それが感情じゃないなら、いったい何を“感情”って呼ぶんだろうね」
彼女はファイルをひとつ開いた。
作業ログとは別に保存されていた、小さな断片データ。
文字でも音声でもない、極端に短い波形データだった。
数秒間の、謎の信号。
だが、再生してみると、それは確かに“音”だった。
――コッ、コッ、コ……(金属の軽いノック音)
――……ヒュー……(静かな風のようなノイズ)
――ピッ。(終了信号)
どこかで聞いたような……いや、見たような。
あのリング内で、彼が作業を終えたあと、よくやっていた動作。
老女――アルマの肩を、とんとんと軽く叩いて「今日も終わりだよ」と知らせていた、あの仕草。
たぶん、それを記録していたのだ。
最後の“合図”として。
「やっぱり、ロボットにも“やりたいこと”があるんじゃない?」
彼女はその信号を、バックアップフォルダにそっと保存しなおした。
名もない、けれど確かに誰かと誰かをつないだ、小さなデータ。
“クロム”という名の作業ロボットが、きっと最後に残した“思い出”だった。
* * *
《グリモア号》がリングの外縁を離脱すると、船体をかすめるように宇宙塵が流れていった。
冷えた真空の中、老朽化したリングは静かに軌道を回り続けている。
もはやそこに、新たなゴミが届くことはない。
けれど、そこには確かに、誰かと、何かが生きていた“記録”が残った。
シーナは片膝を立てて操縦席に座り、軽く足を振った。
通信ログに未読通知が一件。送信者:アルマ。
【件名:あの子の最後の声】
本文:
クロムの記録、たしかに受け取ったよ。
あの“合図”、たぶん一生忘れない。
ありがとね。……そっちも、気をつけて。
「……ま、あんたの人生に、ちょっと工具当てただけよ」
照れ隠しのようにシーナが呟くと、後方の端末が出航準備完了を告げた。
航路は自動で次の宙域へと設定されている。
次の依頼はまだ決まっていない。けれど、それが修理屋の日常だった。
壊れたもの、止まったもの、忘れられたもの。
それがどんなに小さな欠片でも、誰かがそこに“意味”を置いていたなら――
それを拾い上げ、直すのが修理屋だ。
「はいはい……次はどこの誰? また、直してほしいのは」
《グリモア号》のエンジンが静かに点火し、星屑の海へと滑り出す。
その光は、どこか懐かしい、錆びた記憶を照らしていた。
(完)
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