第5話「浮遊灯と、消えない灯り」
気づけば、また“それ”が来ていた。
《グリモア号》の通信デッキ。
静かに届いていた緊急ログ。発信源は辺境のステーション――正確には、人工灯台。
件名は短かった。
【灯りが消えない。どうすればいい】
たったそれだけ。
詳細も、発信者の感情も書かれていない。
だが、そこに滲む“困惑”と“諦め”は、シーナにはすぐ伝わった。
無駄に広いブリッジで、一人。
椅子を軋ませながらシーナは小さく溜め息をつく。
「はいはい、壊したのはどこの誰?」
ぼやきながら、目的地を入力する。
ステーション名《スタティア灯台管制区》。
航行時間――およそ2時間半。重力航路の下層ルートを使えば、少し早く着く。
今回は“灯り”か。
ただの照明なら、別に誰でも直せる。
わざわざ遠路はるばる呼ぶほどのものでもない。
けれど、「消えない灯り」という表現には、どこか引っかかるものがあった。
「嫌な予感、するなぁ……」
だが、文句を言いながらもキャンセルしないのがシーナの流儀だった。
たとえそれが、誰かの“気休め”であっても。
スタティア管制区。
長い歳月を経た構造物特有の、軋んだような空気が流れる灯台だった。
迎えに現れた男は、無精髭を伸ばした壮年の技師。
肩口に“サージマーク”と呼ばれる古い連盟ロゴがある。かつて戦闘宙域にいた証だ。
「来たのか。案外早かったな」
「どうも。……依頼のブツは?」
シーナが短く返すと、男は一つ頷いて無言で歩き出す。
名前も、挨拶もなかった。
それでもシーナは気にしない。
そういう“重い空気”に慣れていた。
* * *
案内されたのは、灯台管制の外縁、荷物保管庫のような薄暗い区画だった。
床は錆び、壁の塗装は剥げ落ちている。空調も完全ではなく、湿気と金属臭がこもっている。
その中央――簡易台座に固定された一体の機械があった。
円筒型ボディに三本の姿勢制御スラスター。先端には半球型のライト。
塗装は剥がれ、溶接跡には焼け焦げた痕。スラスターはすべて破損。航行不能。
それでも――
ライトだけが、静かに灯っていた。
誰が触れても、電源を切っても、配線を断っても。
明滅しながら、呼吸のように、まだ誰かを照らすように。
「……ふざけた代物だろ」
不意に男が口を開いた。
「こいつは《探索灯DRX-γ》――通称“希望灯”。昔の探索ドローンさ。
けど、規格は古く、今じゃ誰も使っちゃいない。……十年前のモデルだ」
シーナは目を細め、そっとその機体に触れる。
表面温度はぬるく、ほんのわずかに振動している。
完全に“動いている”。
「勝手に戻ってきた。数日前、灯台の旧ポートに衝突してな。
航行制御も動力も死んでたのに、灯りだけ点いててよ。まるで……帰巣本能でもあったみたいに」
「ログは?」
「空っぽだった。航行記録も、宙域データも、消えてる。
こいつが何をしてたのか、どこにいたのか――なにも分からねえ」
シーナは黙ったまま、機体の裏側に回り、接合部の隙間を覗く。
中から覗いた基盤の一部は、明らかに“後付け”のものだった。
溶接の痕跡、配線の束、そして――古い手書きの記号。
それは、規格外の改造であると同時に、技術者としての“何か”を感じさせた。
「……これは誰が?」
問うと、男はふと目を伏せた。
「俺の弟だ。十年前、行方不明になった。こいつは……あいつが最後に持って出た灯りだ」
灯りは、今日も誰かを照らしていた。
帰る場所があるかのように。まだ、探し続けているかのように。
* * *
シーナは静かに工具を取り出すと、ドローンの下部パネルを開き始めた。
表面の塗装を削り、改造された部分のコードと回路を追っていく。
「この灯り……電源ラインと完全に分離されてる。主系統が落ちても、こっちは点き続ける設計。
たぶん、追加の補助セルか……いや、それだけじゃない」
基盤の奥に埋め込まれていたのは、旧式の“感応回路”だった。
信号や命令ではなく、“状態”を読み取って反応するタイプの機構。
かつての探査機や応答ビーコンに一部使われていた、今ではまず見かけない代物。
「これ……わざと“消えない”ように組んである。普通の回路じゃない。
誰かを待ってるっていうか、何かを“知らせ続ける”ように作られてる」
男――クラフは無言のまま、その灯りを見つめていた。
「弟さん、どういう人だったの?」
「……変わり者だったよ。
探索技術班にいながら、ろくに指令に従わない。非効率でも手作業にこだわる。
古い言い回しを使って、やたら“灯り”にロマンを語っててな」
苦笑しながら、だがその口調には微かな寂しさが混じっていた。
「“光ってのは、届くためにあるもんだ。無反応でも、誰かが気づくまで照らし続けなきゃ意味がない”ってさ。
バカだよな。そんな理屈じゃ、誰も助からねえのに」
シーナはそれには答えず、内部に取り付けられていた記録モジュールをそっと引き抜いた。
ごく低容量の旧型――だが、表面に刻まれた文字に目を留める。
“IF YOU SEE THIS, YOU ARE NOT ALONE.”
それは誰かに向けたメッセージだった。
たとえ反応がなくとも、誰かが見るかもしれないという希望。
灯りは、その希望をずっと掲げていたのだ。
* * *
端末に記録モジュールを接続すると、ログの大半はすでに破損していた。
解析ソフトが断片的な座標データと、意味を持たないノイズに近い記録を拾い上げる。
「ほとんど潰れてるけど……これ、座標データの断片。しかも一点をずっと指してる」
シーナがホログラムを展開すると、広大な宇宙図の中で、ポツンとひとつだけ赤く光る領域が浮かび上がった。
それは、惑星の名もつかない空域。航路からも外れ、観測記録もほとんど存在しない“宙の空白”。
「どういう場所?」
クラフの問いに、シーナは腕を組んだまま答える。
「航行記録がないってことは……少なくとも、公式には“何もない”ってされてる場所。
けど、この灯りはそこに行って、しばらくホバリングしてた形跡がある。航行痕跡が局所で集中してる」
「……つまり、誰かを待ってた」
クラフの声が、わずかに震えた。
「弟は、そこにいたんだろうか。いや……最後にそこに“いた”のかもな。
だからこの灯りは、ずっとその場で、誰かに向けて照らし続けてた」
シーナは沈黙したまま、ホログラムから視線を外す。
目の前の灯りは、今も同じように脈打つような明滅を繰り返している。
ただの照明ではない。
ただのビーコンでもない。
それは――“信号”だった。
「ここに、誰かがいた」「ここで、待っていた」という、存在の証明。
「消せるよ、この灯り。制御基盤を引っこ抜けばすぐにでも。
でも……それはもう、“壊す”に近い」
シーナはそう言って、振り返る。
クラフは、しばらく何も言わなかった。
けれど、ほんの少しだけ口元をゆるめ、静かに呟いた。
「……なら、俺が決めるべきじゃないな」
* * *
「壊すんじゃなく、再構築する」
シーナはそう独りごちて、工具箱をひっくり返した。
ゴトリ、と音を立てて転がる配線、センサー、記憶素子のかけら。
その中から、古いタッチセンサーと省電力系のマイクロスイッチを取り出す。
「この灯り、誰かが“触れた時”だけ点くようにする。
外部から接触があった時にだけ、ほんの数秒、光るように設計し直すわ」
クラフが眉を寄せる。
「それって……“消す”のとどう違う?」
「全然違う。
“消えた”のではなく、“迎えが来た時にだけ応える”灯りになる。
つまり……ずっと待ってるってことを、姿勢で伝えるようになるのよ」
クラフはしばらく黙っていたが、やがて目を伏せたまま頷いた。
「……あいつの“考えそうなこと”だ」
回路を組み替える。
光源の接点にセンサーを仕込み、主電源と切り離した簡易起動ユニットを差し込む。
自動起動はさせない。代わりに、センサーが“誰か”を感知したとき、数秒間だけ呼吸のように灯る。
それは、意思なき機械に、あえて“待つ”という行為を与える行為だった。
シーナの手元で、最後のスパークが跳ねる。
再起動――灯りは、一度だけ、ふっと点滅した。
そして、すぐに静かに沈黙する。
もう勝手には灯らない。
けれど、そこに“希望”が宿っていた。
作業を終え、工具をしまいながら、シーナはクラフに尋ねた。
「この灯り、どうする? 飾る? 保管庫に戻す?」
クラフは答えない代わりに、保管庫の端、陽の当たる壁際を指さした。
「……灯台の窓際に置くさ。
ここは昔、兄弟で星を眺めてた場所だからな」
シーナは、黙ってうなずいた。
* * *
灯台の窓際は、宇宙を一望できる開けた空間だった。
ステーションの管制区画から延びる細い通路の先、かつて観測ドームとして使われていた半球状のガラス張りの小部屋。
クラフが言っていた“星を眺めた場所”だ。
その中心に、小さな台座を据え、再構築された“希望灯”をそっと置く。
まるで今も誰かを待っているように、静かに、まっすぐ前を向いた姿勢で。
シーナが軽くタッチセンサーをなぞると、灯りが一度だけ柔らかく点滅した。
それは、呼吸のような淡い光。確かに“生きている”かのような反応。
「誰かが触れたら点くってのも、悪くねえな」
クラフがぼそりと呟く。
その目は、ガラス越しの宇宙ではなく、目の前の灯りを見ていた。
「……弟さん、ここに帰ってきたんだね」
シーナがそう言うと、クラフは小さく肩をすくめた。
「帰ってきたかどうかは分からねえさ。
けどまあ、帰る場所が残ってるってのは、悪くない」
その言葉に、シーナもまた頷いた。
「壊れたものは直す。
けど、直せば元通りってわけじゃない。
“変える”ことが、時には“救う”ってこともある」
クラフはふっと笑った。
「職人気取りの小娘が言うには……なかなか洒落たセリフだな」
「はあ? 小娘じゃないし。しかも、いちいち言い返さないと気が済まない性格だし、私」
ふてくされたようにそっぽを向くシーナ。
だがその顔に、わずかに笑みが浮かんでいるのを、クラフは見逃さなかった。
しばらくして、クラフは静かに背を向けた。
「……灯りは、消しても、思いは残るもんだな」
それだけを言い残し、通路の奥へと消えていった。
ガラス越しに広がる宇宙には、数え切れない星々。
そのひとつひとつに、帰る場所を探す者がいるのかもしれない。
そして今、ここにもひとつ――
“誰かを待つ”小さな灯りが生まれた。
* * *
《グリモア号》のハッチが音を立てて閉じる。
誰もいない船内は、いつものように静まり返っていた。
シーナはブーツの音を響かせながらブリッジへと戻り、操縦席に深く腰を下ろす。
通信デッキの端末に、クラフからの短いメッセージが届いていた。
【あんたの仕事は気に食わなかったが――悪くなかった。
あいつなら、きっとあの灯りを笑って見送るだろう。ありがとう】
「気に食わなかった、ねぇ……どこまでひねくれてんだか」
苦笑しながら、シーナは出航準備に入る。
エネルギーラインが繋がり、航路ナビゲーションが次の依頼地を探し始める。
彼女の目の前には、再び、星の海が広がっていた。
何かが直ったからといって、過去が元通りになるわけじゃない。
けれど、壊れたものの“意味”が、少しでも未来に繋がるなら。
それはきっと、修理屋の仕事じゃない。
――職人としての、意地のようなもの。
「さ、次。どこの誰が、今度は何を壊してくれたのかしらね」
エンジンが唸り、静かに《グリモア号》が宇宙の空へと滑り出す。
その軌道の先には、また新たな“壊れかけた何か”が、彼女を待っているのかもしれない。
修理屋シーナ。
今日も文句を言いながら、しっかり“直して”いく。
誰かが待っていた、灯りのように。
(完)
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