第4話「共鳴水晶と、声のない会話」
新着通知は、いつもどこか雑だった。
《グリモア号》の航行中、ブリッジの端末にピコンと音が鳴る。
画面に表示された文字列は、相変わらず手抜きで――いや、妙に曖昧だった。
【件名:応答式装置の修理】
【依頼元:惑星・調査隊】
【概要:旧文明遺跡の中枢部にある音声反応装置が機能せず】
【詳細:不明。振動か共鳴か? ともかく反応しない。】
「……雑にも程があるわね」
シーナは端末に向かって呆れ声を漏らした。
件名だけ見ると、よくある“古代遺物いじり隊”が、適当に持ち込んだ修理依頼にしか見えない。
でも、“共鳴”や“振動”といった言葉が妙に引っかかる。
なにより、“詳細:不明”というところが、ある意味で最も興味を引いた。
「まあ、壊れてるって言ってるだけマシか。たまに“気のせいかもしれないけど見てほしい”とか言ってくるアホもいるし」
苦笑しながら、彼女は座席を倒し、航路計算用のインターフェースを開く。
《ナトリム》は辺境宙域にある低重力型の惑星で、かつて非人間型文明の痕跡が見つかったことで、細々と調査が続けられている場所だった。
「共鳴で会話していた種族がいた」なんて話も、半分はロマン、半分は捏造めいた噂話だ。
けれど、その噂に“修理屋”の出番が絡むなら、悪くない。
「はいはい、壊したのはどこの誰? 調査隊の連中か、それとも文明そのものか……」
微笑を浮かべながら、シーナはエンジン点火のシーケンスを開始した。
《グリモア号》は惑星の軌道へ向かって、音もなく滑り出す。
冷えた宇宙の静寂の中で、またひとつ、“壊れもの”との出会いが始まろうとしていた。
* * *
惑星の地表は、思った以上に静かだった。
大気はかろうじて呼吸可能だが、湿度が高く、ぬるりとした空気が肌を包む。
遠くで雷のような音が鳴っていたが、雲は見えず、原因も不明だった。
《グリモア号》を自動係留装置に預けたシーナは、起伏の多い岩場を案内役の男と歩いていた。
「ここの遺跡、音が全然響かないのよ。不思議でしょ」
そう言ったのは調査隊のひとり――名前はたしか、グレアムとか言ったか。
白衣に野外用ジャケットを重ね、記録端末を手に持った小柄な男だった。
「元は大きな都市構造体だったんじゃないかって説もあるんだけど、地下に潜ってる部分のほうが圧倒的に広いんです。で、その中枢にあるんですよ、問題の“水晶”。」
「水晶って、あんたらが勝手に呼んでるだけでしょ?」
「まぁ、そうですね。でも他に呼びようがなくて」
苦笑するグレアムに、シーナは「ふん」と鼻を鳴らした。
足元の階段が自然岩を削ったものから、やがて金属製のスロープへと変わっていく。
遺跡の内部に入ったのだ。
数分後、シーナは問題の“装置”と対面した。
それは地下の広間にぽつりと設置されていた。
照明も電源もなし。外部からの配線は全て切れている。にもかかわらず――
「……共鳴してる?」
装置の中央にあったのは、直径50センチほどの半透明の水晶体。
楕円形で、表面には微細な彫刻のようなパターンが走っていた。
その水晶が、かすかに震えていた。耳には聞こえないが、足元にわずかな振動が伝わってくる。
「ほんのり震えたり止まったりを繰り返してるんです。周期もバラバラで、パターンもなくて……まるで、“何かを探してる”みたいに」
シーナはしゃがみ込み、工具を取り出して装置の基部をのぞき込んだ。
その瞬間、肩に鳥肌が立つ。
「基盤、焼けてるじゃない。制御層は死んでるはずなのに、なぜ震えてるのよ……」
通電していないはずの共鳴。
論理回路が死んでいるはずの制御装置。
それでも、“なにか”が、水晶の中心に残っていた。
静かな部屋の中で、言葉なき問いかけが確かにそこにあった。
* * *
「ねえ、この共鳴体。中に何か入ってる可能性は?」
しゃがみ込んだまま、シーナは背後のグレアムに声をかけた。
反応が遅い。おそらく、彼女が“そんな可能性”を考えたとは思っていなかったのだろう。
「……内部の観察は、透明性が低くて難しくて。でも、たしかに何か“心臓”のような構造があるかもしれない、という意見はありました」
「ふーん」
シーナはうなずき、振動測定器をそっと水晶に当てる。
装置は即座に値を表示し、データログが記録されていく。
「パターンは――不規則。でも完全なランダムじゃない」
表示された数値の波形に、微かな“くせ”が見える。
それは、まるで誰かの話し言葉の抑揚のようにも感じられた。
「何かを……伝えようとしてる?」
シーナの独白に、グレアムが身を乗り出す。
「それ、音じゃなくて“意味”を持つ揺れ、だとしたら?」
「かもね。問題は、それが“今”起こってるのか、“昔の記録”が再生されてるだけなのか」
シーナは装置の基部にプローブを挿し、通電テストを行った。
焼損した回路の一部が、奇跡的に閉じた回路を形成し、わずかな起動信号を水晶体に送り続けている。
「……やっぱり。誰かが“最後の一瞬”で信号を固定したんだわ。完全に壊れる前に、何かを残そうとした」
その“最後の信号”が、いまだに水晶を震わせていた。
「グレアム、この装置に言語記録は?」
「解析不能です。周波数が広域すぎて……それこそ、振動だけで意思疎通をしていた可能性があるとしか」
「だろうね。これ、声じゃない。“声のない会話”よ」
シーナは目を細め、水晶の震えに意識を集中させる。
わずかに上下する振動。そのパターンが変化し、繰り返しが現れる。
「……これ、ただの共鳴じゃない。呼びかけだ」
誰かを探している。誰かを呼んでいる。
それが誰なのか。何のために。どれほどの時間を経て。
それは、まだわからなかった。
* * *
シーナは、静かに工具箱から小型の共振測定ユニットを取り出した。
装置本体と接触させると、ユニットがわずかに唸り、共鳴波の解析を開始する。
表示された周波数帯は予想以上に広く、人間の聴覚領域をはるかに超えていた。
「やっぱり……これ、可聴音じゃ意味がないのよ。“揺れ”そのものを読み取らなきゃ」
シーナはユニットに簡易翻訳アルゴリズムを走らせるが、結果は“言語情報なし”。
記号でもなく、コードでもない。
けれど、その振動には――明らかに“感情の癖”があった。
焦り、諦め、そしてほんの一瞬、震えるような“願い”の波形。
言葉ではないけれど、確かにそこに“人の形”を感じさせる何かが宿っている。
「……本当に、誰かが、これを通して会話してたのね」
シーナは低くつぶやいた。
この装置は、ただの録音装置でも、反応端末でもない。
それは“声を持たぬ存在たち”が、互いに伝え合うための“口”だったのだ。
だとすれば――
「壊れてるのは、水晶じゃない。話し相手がいなくなった、それが問題」
静かに、基板の修理を開始する。
焼けたチップを慎重に取り外し、代替回路を仮設する。
共鳴信号のログを採取しながら、再生ユニットを調整していく。
作業の合間にも、水晶はかすかに震え続けていた。
それはまるで、「まだ、誰かがここにいる」と言っているかのようだった。
* * *
焼け焦げた回路を外し、新たな導体パターンを組み直す。
作業は繊細だった。もともと人類の技術ではない、かつ“誰も正確な構造を理解していない”ものに手を入れるのだ。ミスは即、再起不能に繋がる。
それでも、シーナの指は迷いなく動いていた。
修理屋として、経験の蓄積と“第六感”が共存する領域。
彼女はそこに足を突っ込んで久しい。
「……よし、通電確認」
再接続された回路に、低電圧を流す。
水晶体が一度、ピクリと震えた。
それは今までと違い、どこか“明確な応答”のようだった。
「気づいた?」
シーナは軽く笑い、再生ユニットを動かす。
微弱な共鳴波が空気を揺らし、床に伝わってくる。
周囲に設置された振動検知器が同時に反応し、一斉に記録を始めた。
その瞬間だった。
――ビィィィィ……ィン……
低い唸りが、空間全体に満ちた。
水晶体が突如、力強く振動し始めたのだ。
部屋の空気が震え、壁面に薄く積もった塵が宙に舞う。
床がじわじわと共鳴し、重心を奪われるような感覚に襲われる。
「な……に、これ……!」
グレアムが後方で叫ぶ。が、シーナは一歩も動かなかった。
彼女には分かった。
この強い“揺れ”は、怒りでも、混乱でもない。
――歓喜。
ずっと、呼びかけ続けてきた存在が、ようやく“応答”を得たときの――
純粋な“よろこび”の共鳴だった。
《ここにいる。まだ、ここにいる。あなたの声が、届いた》
耳ではなく、骨を通じて、心の奥にまで響くような感覚。
それは、言葉がなくとも十分に伝わる“感情”だった。
やがて共鳴はゆるやかに鎮まり、水晶体は静けさを取り戻す。
「……ふぅ」
シーナは工具を置き、震える指先をぎゅっと握りしめた。
「修理、完了よ。……声のない誰かに、届いたみたいだから」
* * *
「で……これは、何だったんですか?」
数分後。
共鳴が鎮まり、測定器の針がようやく落ち着いたころ。
グレアムが、水晶体から目を離さないまま問いかけてきた。
彼の声には、明らかに動揺と――ほんのわずかな敬意が混じっていた。
だが、シーナは工具を拭いながら、そっけなく答えた。
「さあね。ただの応答よ。ずっと鳴ってた信号に、ようやく“誰かが聞いた”ってだけ」
「……誰か?」
「この装置の向こうにいた“何か”。もしかしたら、もう存在してないかもしれないし。
でも、呼びかけた事実だけは確か。反応が返ってきたことも」
グレアムはしばらく黙り、なにかを噛みしめるように息を吐いた。
「記録じゃ、伝わらないだろうなあ……」
「そりゃそうよ。これは、言葉じゃないんだから」
シーナは端末を操作し、共鳴中の振動ログを転送する。
そして、その末尾に一行だけメモを添えた。
《応答完了。おそらく最終の感情共鳴》
形式的な文面だった。だが、そこに含まれた“余韻”だけは、誰にも消せない。
「報酬は依頼通りで。振動データと基板記録は、私の方で預かるわ。複製なら後で送る」
「ええ、問題ありません……あの、水晶体は――」
「いじらない方がいいわよ。また黙るかもしれないし、もう話し終えたのかもしれない」
シーナは立ち上がり、軽く伸びをした。
肩に乗っていた重さが、ほんの少しだけ軽くなったように思えた。
出口に向かう途中、ふと振り返る。
広間の中心。
今はもう静かになった水晶体が、そこにただ“在る”。
揺れも、光も、発していない。
けれど――
“何か”を残したものの佇まいには、確かな意味があった。
「声がないってだけで、伝わらないとは限らない。ほんと、馬鹿よね、あたしたち」
誰にでもなくつぶやいたシーナは、再び歩き出した。
* * *
《グリモア号》のブリッジに戻ったシーナは、工具ベルトを脱ぎ捨てると、深く椅子に沈み込んだ。
疲れていた。
だが、それは嫌な重さではなかった。
指先に残る金属の冷たさ、機材の熱、共鳴の余韻――
どれもが静かに、彼女の中に降り積もっていく。
メインディスプレイには、先ほど取り出したログが転送されていた。
波形データは一見するとただの乱雑な振動の記録だ。
しかし、それをずっと眺めていると、不思議と“語りかけ”に思えてくる。
「……だから、記録なんてあてにならないのよね。意味を見つけるのは、いつだって受け取る側の勝手」
彼女はログの一部をカットして保存し、暗号化をかける。
そうしておけば、誰かが勝手に“科学的解釈”を試みて壊すこともない。
「これは“会話”だった。記録じゃなく、やり取りだったんだから」
シーナは、自分の記録ファイルに今日の出来事を短くまとめた。
【案件名:共鳴水晶の修理】
【内容:古代遺物。非人類言語による共振通信の可能性あり】
【備考:通電時に応答と思しき高共鳴を確認。以降、沈黙】
【修理完了。感情の応答らしきものあり】
報酬処理とデータの整理を終えると、ディスプレイが静かに切り替わる。
新たな通信予告だった。
差出人は……匿名。内容はまだ不明。
だが、ファイル名だけが、異様に長い。
【件名:重要/貨物便U-92より回収の通信機が“叫び続けている”件について】
シーナはため息をついた。
「はいはい……今度は“壊れてるの、通信機”ってわけね」
けれど、その口元には、ほんの少し笑みが浮かんでいた。
* * *
エンジンの起動音が、低くブリッジに響いた。
シーナは片手でホログラムを操作しながら、薄く口を開く。
「航路設定。次の寄港は、貨物便U-92の所在宙域――スタティア中継帯。時間、三標準時間後」
自動操縦モードに切り替えれば、航路計算も補助航法もすべて済む。
けれど、彼女はそうしなかった。
微調整を、あえて“手作業”でこなす。
誰もが自動化に任せるようになった今、それは時代遅れの職人気質とも言えるが――
シーナにとっては、“もの”と向き合う礼儀のようなものだった。
「壊れた通信機が、叫び続けてる……ね」
振り返ると、ディスプレイの端にまだ残っている共鳴水晶のログ。
再生は止まっているが、記録された“震え”は、シーナの中でまだ続いていた。
「声がないものにだって、伝えたいことはある。……なら、通信機にも叫ぶ理由があるかもね」
軽く伸びをし、立ち上がる。
メンテナンスツールを並べ直し、燃料系統の圧を再確認し、非常電源を手動で一度だけ点検。
出発前の一連の動作――それは儀式のようでもあり、気持ちを切り替えるスイッチでもあった。
《グリモア号》が滑るように発進する。
星々の間を縫うように、次の“壊れもの”を目指して。
誰もが見過ごすような、音のしない悲鳴。
伝わらなかった想い。
壊れた理由も、文句も、動かない理由も――
「全部、まとめて聞いてあげるわよ」
シーナはそう言って、ブリッジの椅子にふんぞり返った。
――はいはい、壊したのはどこの誰?
今日もまた、誰かの“声なき声”が、銀河のどこかで待っている。
(第4話・完)
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