第2話「冷たい手紙と、忘れられた映像記録」
ステーションの外壁が視界いっぱいに迫るたび、シーナは無意識に眉間を寄せた。
「ちょっと……思った以上に、でかいわね。これが“宙域救助局の簡易支部”ってやつ?」
目の前にあるのは、オルト連邦第七宙域救助局が運営する小規模ステーション――のはずだった。
が、実態は“簡易”どころか、ほとんど要塞に近い。鋼鉄製の補強壁と赤いラインがいかにも官公庁然とした印象を与える。
《グリモア号》のドッキングプロトコルに従い、外部ブリッジが接続される。
カチリと機械音が鳴ると同時に、シーナは工具バッグを肩に引っかけて立ち上がった。
「さて、と。じゃあ“壊れたお役所のジャンク”、拝みに行きますか」
無理矢理テンションを上げるように言いながら、彼女は船外に出た。
迎えに来たのは、ひときわ無表情な男だった。
銀縁のバッジに「救助局・補佐官 アードマン」と記されている。
「あなたが修理屋シーナ氏。間違いありませんね」
「まーね。それで、壊れてんのは何? 爆弾? 人工太陽? それともあんたの性格?」
アードマンのまぶたが微かにピクリと動いたが、何も言わずくるりと背を向けた。
「依頼物はすでに準備済みです。こちらへ」
「……つまんないな、反応薄くて」
シーナはぼやきながら後をついていった。廊下の空気は無機質で、温度管理も完璧すぎるほどに整っている。
まるで“人の温度”が一切介在しない、そんな場所だった。
案内された小部屋には、密閉ケースが置かれていた。
中には、灰色の金属筐体がひとつ。大きさは手のひらよりやや大きく、片側には焦げ跡のような焼損痕がある。
「これが……?」
「はい。三週間前、遭難信号を発していた探索艇から回収されたものです。おそらく搭乗者の個人データ記録装置と思われます」
「記録装置ね……あー、なるほど。通信ユニット焼けてるわ、これ。中のチップも一部吹き飛んでそう」
ケース越しにじっと観察しながら、シーナは手袋を外して両手をパンと叩いた。
「いいわよ。とりあえず、うちの船で解析やってみる。料金はデータ量と損傷レベルによるから、そのへんは後で精算で」
「必要であれば、追加資料もご提供します。ただし、映像再生の権限は当局が管理しますので」
「ふん……やっぱりそう来るか。お役所仕事はだいたいそうなのよね。勝手に直しても、勝手には見せるなってやつ」
そう言いながらも、シーナはすでに記録装置をケースから取り出し、工具バッグにしまい込んでいた。
作業の準備は、彼女にとっては呼吸と同じようなものだ。
「じゃ、預かったわよ。中身、楽しみにしてるから」
「……くれぐれも、慎重に」
アードマンの声が、微かに硬くなる。
それがただの官僚的な堅さなのか、それとも……。
シーナはちらりと後ろを振り返り、ニヤリと口角を上げてみせた。
「壊れてるのは機械だけであってほしいわね」
* * *
《グリモア号》の作業室に戻ったシーナは、さっそく記録装置の診断を始めていた。
部屋の空調が低く唸りを上げる中、シーナは装置を固定台にセットし、周囲に各種アダプタと診断器を並べていく。
「表面はそこまでボロくないけど……焼損の深さがやばい。下手すりゃ内部の記録素子までやられてるかもね」
独り言を漏らしながら、薄型のスキャナーをスライドさせる。
表示された内部構造図には、いくつもの損傷箇所と「読取不能」の赤い表示が並んだ。
「案の定、メインストレージが死んでる。サブチャンネルも損傷……でも、まだ生きてる回線がある。回路B-2、ここなら信号引っ張れるかも」
シーナは手早く補助ラインを引き、信号ブースターと切り替えユニットを接続した。
どれもすでに市場には出回っていない、彼女が自作した“裏道具”だ。
「さーて、お役所が何を隠したがってるか……興味湧いてきたわ」
あくまで“解析”という名目のもと、シーナは情報へのアクセスを試みる。
過去の記録装置から同様の構成を逆算し、手作業でソフトエミュレーターを組み上げていく。
静かな電子音が何度か鳴ったあと、端末のモニターにかすかな波形が現れた。
「……引っ張れた。残留信号、あるじゃん……!」
ノイズ混じりの映像が、一瞬だけ画面に映し出された。
宇宙服姿の青年。船内カメラと思われる視点。ゆらゆらと揺れる映像の中で、彼は何かを話していた。
『……ナラ……この記録が残って……るなら……お前、まだ……生きてるって、信じてる……から……』
音声は途中で途切れた。
瞬間、シーナの手が止まった。
ただの装置修理かと思っていたこの仕事に、少しずつ“人の重さ”がにじみ出してくる。
「……名前、ナラ……か。女の名前か、それとも……」
モニターに再び波形が浮かび上がる。
断片的ながら、データは確かに残っている。問題は、それが“最後の瞬間”に関わる可能性が高いということだった。
「……さて。直すだけで済ませるか、覗いちまうか。どっちが“マシ”なんだろうね」
椅子に深く座り込みながら、シーナは目を閉じた。
だが次の瞬間、モニターのサイドに新しい通知が表示された。
【訪問者接近:ステーション職員/ID:NARA】
「……へえ。もう来たの?」
シーナは椅子を回し、ゆっくりと立ち上がった。
「お役所の人間にしちゃ、せっかちじゃない。さて、どんな顔してるか楽しみにしてるわよ」
* * *
数分後、《グリモア号》のサイドエアロックが作動し、小柄な女性が一歩踏み入れた。
白銀の制服に身を包み、両手でしっかりと書類ホルダーを抱えている。年の頃はシーナとそう変わらない。艶のない黒髪をひとつに束ねたその姿は、どこか病室の看護師を思わせた。
だが、顔に浮かんでいるのは“看る”者の穏やかさではなく、“守ろうとする者”の固い意思だった。
「修理屋シーナさん……ですね?」
「そーだけど?」
椅子に腰を掛けたまま、シーナは片肘をついて応じた。
視線だけで相手の全身をざっと観察し、その態度と緊張具合から目的を見定めにかかる。
訪問者はわずかに深呼吸し、自分の名を告げた。
「私はナラ。プロメテア号の乗員だった……ユウ=ハスミの同僚です」
「ふーん。じゃ、その“ユウ”って人が、あの記録装置の中身ってことか」
ナラの肩がぴくりと動いた。否定しなかった。
シーナは脚を組み替え、ため息をひとつ。
「言っとくけど、私はまだデータを全部見てない。けど、あんたが来たってことは、なーんか“見られたくないもん”でも入ってるって話でしょ?」
「……違います。見たくないんじゃなくて……見るべきかどうか、わからないんです」
ナラは顔を伏せたまま、言葉を搾り出すように続けた。
「彼は……ユウは、仲間のために最後まで残ったんです。でも、その映像が、もし“事故”ではなく、“判断ミス”だったとしたら……」
「名誉を守るか、真実を知るか、って話?」
ナラは静かに頷いた。
室内の空気が重くなったような気がしたが、シーナはそれを打ち払うように肩をすくめた。
「私にとっちゃ、ぶっちゃけどうでもいい話よ。私はただ、“壊れたものを直す”だけ。見るかどうかはあんたらの問題」
「……でも、あなたは中身を見ようとした」
「技術者として当然の確認よ。データがどこまで生きてるか、それを判断するには中身をチェックする必要がある。あんたたちがお偉いさんに提出するにしても、再生できなきゃ意味ないでしょ?」
ナラは押し黙った。正論だった。
シーナは立ち上がり、モニターに向かって数回タップした。
そこにはノイズ混じりの映像データの一部が映っていた。
青年――ユウ=ハスミが、宇宙服の中でマイクに向かって何かを話している姿。
音声はまだ不安定だが、顔つきは驚くほど穏やかだった。
『……それでも、俺は最後まで……やれること、やりたいんだ。』
その言葉に、ナラは拳を握りしめた。
「……見せてください。彼が最後に何を言おうとしたのか、私は……知りたいです」
「後悔しない?」
「……はい」
静かに、しかし確かな声だった。
シーナは何も言わず、解析作業の続きを始めた。
* * *
作業モニターに向かい、シーナは補助回線を一本ずつ丁寧に接続していく。
回路が焦げている部分には、彼女の手製の信号リレーを差し込み、焼損を迂回させるように組み替えを進める。
「損傷部分を避けて、サブストレージから信号を抽出……ああもう、詰めが甘いのよ、あんたたちの保存設計。ホントに」
口では文句を言いながらも、その手つきは確実で、止まらない。
作業室の明かりが彼女の手元を照らし、工具と電子音が交互に鳴るたび、失われかけた記録が少しずつ蘇っていく。
ナラはその様子を、ほとんど息を殺すようにして見つめていた。
その目は不安と期待の間で揺れ、何かを覚悟しながらも、どこかで“見たくない”と願っているようでもあった。
「……どうして、そんなに丁寧に作業するんですか」
ふいに、ナラがぽつりと口を開いた。
それは、ただの感想ではなかった。まるで「修理屋」という職業への問いかけのようだった。
「どうしてって……そりゃ、そうしないと直んないからでしょ?」
シーナは振り返らずに答えた。
「“壊れたもの”ってのはね、雑に扱うと、さらに壊れるの。元の形がどうだったかなんて、誰にもわかんなくなる」
数秒後、彼女はようやくナラのほうをちらりと見た。
「それは“記録”も、“感情”も同じよ。――直したくないなら、最初から私んとこなんか来るべきじゃなかった」
ナラは何も返さず、唇を噛んだ。
やがて──モニターに表示されるノイズが、ふいに静かになった。
画面が明滅し、破損していた映像が、ひとつの“場面”として再生され始める。
船内カメラの映像。
ゆっくりと揺れる視点の中、宇宙服姿のユウ=ハスミが、壁に背を預けている。
酸素残量の警告音が、かすかに鳴っている。
ユウはそれに反応することもなく、レンズに向かって話しかけていた。
『……もし、これを誰かが見てるなら。……ナラ、お前が見てるなら』
『俺は……仲間を脱出ポッドに乗せた。間に合った。たぶん、そっちはもう帰ってる』
『俺は――船に残る。推進ユニットを切り離さないと、爆発の波が後を巻き込むから』
『判断ミス? そうかもなしれない。マニュアル通りじゃない。あいつらにも怒られそうだ』
『でも、これでみんなが助かるなら、俺はそれでいい』
ユウは小さく笑った。
ノイズの中でも、その目だけは不思議と澄んでいた。
『ナラ。お前には、ちゃんと謝りたかった』
『ごめんな。あのとき、言葉にできなくて』
そこまで言ったところで、音声がプツンと切れた。
再生終了の表示が、冷たく点滅する。
ナラは、しばらくその場から動けなかった。
顔を伏せ、肩を震わせ、ただ――静かに泣いていた。
シーナは何も言わず、そっと背を向けて工具を片づけ始める。
慰めの言葉なんて、彼女の辞書にはない。ただ、その姿が何よりの“答え”だった。
* * *
船内の空調が低く鳴っている。その音が、ナラの呼吸をかき消してくれるのが救いだった。
ユウの最後の言葉が、まだ耳に残っていた。
彼の穏やかな笑顔。あれは確かに、“選んだ者”の顔だった。
「……私、ずっと……」
かすれた声でナラが言った。
「彼の判断が間違っていたかもしれないって……信じたくなくて。でも、信じたい気持ちが強すぎて、逆に……怖くなって……」
言葉が続かない。胸の中で渦巻いていたものが、ようやく“整理”に向かいはじめていた。
そしてそれは、涙という形で、少しずつ外にあふれていく。
シーナは背中を向けたまま、静かに言った。
「そういうのってさ、壊れたジャンクと同じよ。直すには、まず“どこが壊れてるか”知らなきゃいけない」
カチン、と工具箱の蓋を閉める音が響く。
「――あんたは、それを見た。だったらもう、修理は済んだんじゃない?」
ナラはゆっくりと顔を上げた。目の縁は赤いが、その表情はどこかすっきりしていた。
「……ありがとう。あなたにお願いして、よかった」
「礼はいいわよ。私は仕事しただけ。しかも、まだ精算もしてないしね」
その返しに、ナラがわずかに笑った。
「……あの、ひとつ聞いてもいいですか?」
「何?」
「あなた……こういう依頼、辛くならないんですか?」
その問いに、シーナは一拍置いてから、無造作に答えた。
「辛いとか思ってたら、こんな仕事続けてないでしょ」
でも、と前置きして、彼女はちらりとナラの方に視線を投げた。
「“直せる”ってのは、いいもんよ。どんなにボロボロでも、まだ動く可能性がある。それを引き出すのが、あたしの仕事」
「……人の心も、ですか?」
「心なんて扱えたら、とっくに宇宙最強の修理屋名乗ってるわよ」
ふっと笑いあう二人の間に、ようやく静かな余韻が生まれる。
やがてナラは席を立ち、丁寧に一礼してからエアロックへ向かった。
手には、修復済みのデータチップが入った小型ケースが握られている。
背を向ける直前、彼女は最後にもう一度だけ、言った。
「彼は、最後に“ありがとう”って言ってましたよ。たぶん……あなたにも」
「そっちに向けて言ってたでしょ。私は関係ない」
そっけなくそう返したシーナだったが、ナラが去ったあと、しばらく椅子に腰かけて動かなかった。
ふと視線を落とした先――作業台の上に、ユウの映像の一コマが静止画として残っている。
その笑顔に、シーナは眉をひそめながらも、そっと独り言のように言った。
「……まったく。あんな顔されちゃ、壊す方が悪いって気になるじゃん」
* * *
数時間後。
《グリモア号》のハッチが再び開いた。
入ってきたのは、冒頭に出迎えた男――補佐官アードマンだった。
「……修理は完了したと、ナラから報告を受けました」
「なら話は早いわね。これが復旧済みの映像データよ。形式は互換性あるし、再生テストも済んでる。文句ないでしょ」
シーナは無造作に、データチップの複製を封筒型の保護ケースに収め、アードマンの前にトンと置いた。
彼はその小さなケースをじっと見つめ、しばらく黙っていた。
「……中身は、あなたが確認したのですか?」
「そっちが“再生権限は当局”って言ってたけどね。まあ、技術者として必要最低限は確認したってことにしといて」
「……そうですか」
アードマンの表情はいつも通り無機質だったが、その声音にはかすかに揺らぎがあった。
何かを呑み込み、そして納めるように、彼はケースをそっと懐へしまう。
「ハスミ少尉は、我々にとって誇り高き乗員でした」
「なら、彼が自分の意志で残ったことも、ちゃんと誇ってあげなよ。
誰にどう言われようとさ」
「……肝に銘じます」
短い言葉だった。
でもその一言に、少なくとも“誰かが想いを受け取った”という手応えが、シーナの中に残った。
「請求書は後で送るからね。うち、悪徳修理屋じゃないけど、タダでやるほど暇でもないから」
「了解しました。正式な処理を通して、費用は支払います」
「どうせ経費で落とすんでしょ。役所って、そういうのだけは得意なんだから」
アードマンの口元が、わずかに動いた気がした。
それが笑みなのか、そうでないのか――シーナには興味がなかった。
彼が去ったあと、シーナは作業室に戻って、しばらくぼうっと天井を見上げていた。
静かすぎるほど静かな室内。
でも、それが悪い気はしなかった。
たったひとつの記録装置。たったひとつのメッセージ。
でも、それが誰かの時間を前に進めるための“修理”になるなら、やる価値はある。
「……人間のほうが、よっぽど壊れやすいのにね。どうして機械みたいに直せないんだろ」
誰に聞かせるでもなく呟いたその言葉は、部屋の壁に吸い込まれていった。
* * *
しばらくの間、依頼も通信もなかった。
グリモア号の船内は、いつもより一層静かだった。
シーナは珍しく作業台に工具を並べず、コーヒーカップ片手にハンモック状の簡易ベッドに寝転んでいた。
船内照明はやや落とし気味。ぼんやりと天井の配線を見上げながら、ひとつ、ため息をつく。
「……たまにあるんだよね、こういうの。終わったはずなのに、頭ん中にこびりつく感じ」
ユウの映像は、簡潔で、淡々としていた。
英雄的な台詞もなければ、涙ながらの別れでもない。
けれど、そこにあったのは“選んだ者”の揺るがぬ意思だった。
「生き残った側のほうが、たぶん……長く苦しむのにね」
ぽつりと呟いた声が、船内の静寂に溶けていく。
そこへ、不意に警告音が鳴った。通信ブリッジに信号が届いたのだ。
ピコン――。
「……ん、誰よ。タイミングが良すぎるっての」
シーナは重たい腰を上げ、通信端末に歩み寄る。
表示されたのは、知らない発信元からのメッセージだった。
【発信者:個人識別番号なし】
【件名:部品修復依頼】
【内容:記憶媒体つきの感覚記録装置。極度に古い型。応答可否のみ返答を】
シーナの眉がぴくりと上がった。
「……また妙なのが来たわね。感覚記録装置って、まさか……“シナプス同期型”? え、ほんとに? 冗談でしょ……?」
その技術は、かつて一時的に研究が進んだが、倫理的問題と実用性の壁からほぼ廃れていたはずだった。
直せるかどうかもわからない。
でも、だからこそ――修理屋の血が騒ぐ。
「ふふっ。いいじゃない。気になるじゃない。……はいはい、直してほしいのはどこの誰?」
そう呟いたとき、シーナの顔にひとつの“戦闘前の笑み”が浮かんでいた。
* * *
シーナはカップを脇に置き、通信端末を再操作した。
表示されていた差出人欄には「個人識別番号なし」とだけ書かれているが、接続元のトレースは完全に遮断されていた。
「また厄介なのが……」
思わず苦笑する。
だがその顔には、どこか楽しげな光も混じっていた。
記憶媒体つきの感覚記録装置。
人の視覚、聴覚、触覚、感情などの一部を脳波同期型で取り出し、データ化するために開発された技術だ。
実用化に至らず廃棄されたはずの旧世代機。もし本当にその修理依頼なら──これは、過去の“誰かの感情”そのものと向き合うことになる。
「……解析だけでも骨が折れそうだな。でもまあ、直してみたくなるのが修理屋の性ってやつよ」
ブリッジ端末で返答を打ち込みながら、シーナは思考を巡らせた。
──感覚デバイスを修理して、記録が復元されたとして。
その中に何が入っているかなんて、誰にもわからない。
それが美しい記憶なのか、取り戻してはいけない過去なのか──
けれど、彼女は迷わなかった。
「見るかどうか」は、依頼人の問題。
「直せるかどうか」は、自分の腕の問題。
答えはいつだって、シンプルだ。
シーナは工具バッグの中身を入れ替え始めた。
標準の診断装置では解析不可能なため、感応系ユニットを追加し、古い信号フォーマットにも対応できるコンバータを仕込む。
「感覚同期型か……懐かしいわね。訓練施設で1回だけ見たことあったっけ」
その時の記憶がふとよぎる。かつての技術開発競争。テストされるだけされて、結果として“封印”された領域。
シーナはそれらの歴史を「道具」としてだけ記憶していたが、それでも胸の奥に一抹のざらつきが残る。
「ま、感情を“直す”なんて傲慢な真似はしないよ。あたしは部品しかいじれないからね」
それでも――
部品のひとつひとつに、誰かの“願い”が込められていることを、シーナはよく知っていた。
やがて、返信が届く。
たった一行だけの、簡潔なメッセージ。
【了解。デバイスは転送済。48時間以内に到着】
そして、静かな宇宙の中で、また新たな“壊れもの”が修理屋のもとへと向かっていた。
* * *
翌日、予定通りに“それ”は届いた。
小型カーゴポッドによる無人転送。外装には送信元も依頼人名も一切記されていない。
だが、受信ログは間違いなく《グリモア号》宛てになっていた。
シーナは機械的な作業手順でロックを解除し、コンテナを開く。
中に入っていたのは――銀灰色の楕円型装置。掌に乗る程度のサイズで、やや重たい。
表面には擦り傷と熱損の跡。シーナはそれを慎重に作業台に置く。
「うわ、マジでシナプス同期型……第一世代のやつじゃん。よく残ってたな、こんなの」
デバイスの端子部を確認し、接続を開始する。
中に記録されたデータ構造は、旧型かつ暗号化されており、現行の規格とは互換性がない。
「解析からかー。ほんっと手がかかるな、今回」
ぼやきつつも、指先は止まらない。
ケーブル、診断ユニット、サブルーティンのエミュレータを次々と呼び出して、作業環境を整える。
その途中、不意にデバイスが震えた。
キィン……
耳を突くような、けれど極めて微細な電子音。
その周波数は通常の聴覚では捉えづらいが、シーナには聞こえた。
「……おいおい。動いた? まだ自動反応残ってるの……?」
警戒しながら、モニターを確認する。
画面には、脈打つようなシナプスデータ波形と共に、記録ラベルらしき文字列が表示された。
【記録No.07-B:あの子の手紙】
【記憶主:ユリス・ノード】
【感覚記録:嗅覚・触覚・情緒系列/部分損壊】
【開封条件:第三者照合不可/修復モードのみ許可】
「“あの子の手紙”?……やっぱりこれ、誰かの“感情”そのまんま記録されてんじゃん」
記録主の名前を見ても、ピンとこない。
けれど、記録のタイトルと記録形式――嗅覚、触覚、情緒――その組み合わせが、ただのデータではなく、“誰かが何かを伝えたかった”ことを示していた。
「……そうか、“読む”んじゃなくて、“感じる”タイプか……」
つまり、この記録装置の中身は、再生されることで“その瞬間の空気”そのものを体験させる仕組み。
その内容が喜びか、哀しみか、あるいは苦痛かは……まだわからない。
「修復だけして、“見る”かどうかは向こうに決めさせる。それでいい」
シーナは軽く息を吐き、目を細める。
「――まったく、手紙ってのは読むだけで充分重いのに、感覚まで押しつけるなっての……」
そう言いながらも、彼女はすでに手を動かしていた。
壊れた“想い”に、手を伸ばす修理屋の仕事が始まる。
* * *
シーナの指先が、慎重かつ的確に感覚記録装置の中枢へとアクセスしていく。
損傷した神経信号データの断片をパッチし、失われた回路をエミュレーションで再構成する。
“感じた記憶”を扱う修理は、いつものような回路や構造部品の交換より、はるかに繊細だ。
「触覚、嗅覚、情緒データ……こりゃまるで“人の奥底”を直してる気分ね……」
作業台にこぼれる光が淡く揺れる。
集中しすぎて、コーヒーの香りがすっかり冷めていることにも気づかない。
やがて、最終解析が完了した。
モニターには、ひとつのログメッセージが浮かんでいた。
【修復成功】
【記録再生準備完了】
【最終確認:再生は未許可。第三者アクセス禁止】
シーナは椅子に深く座り込み、ディスプレイを見つめた。
再生はしない。できない。依頼内容はあくまで“修復”であり、“再体験”するかどうかは、記憶の持ち主――あるいはそれを継ぐ者の選択だ。
「……中身は知らなくていい。でも、直ったってことだけは、ちゃんと伝えなきゃね」
シーナは記録装置を丁寧に保護ケースに収め、通信端末へデータログとともに発送完了報告を入力した。
【感覚記録装置の修復、完了】
【想いは、壊れてなかった。少なくとも、今は“再生可能”です】
しばらくして返ってきたのは、たった一言だけだった。
【ありがとう】
それだけのメッセージに、シーナはしばし目を細め、口の端をわずかに上げた。
「ほんと、修理屋ってのは損な役回りよね。誰が、何を、どう感じるかなんて、関係ないのに」
でも。
だからこそ、直す価値がある。
それが誰かの人生を、少しでも前に進める部品になるのなら。
その日の夜、シーナは珍しく作業台を片づけたまま、薄暗い船内でカップを両手に抱えていた。
宇宙は静かだった。
ただ、いつもよりほんの少しだけ――あたたかく感じた。
そしてまた、どこかで“壊れた何か”が、彼女を呼ぶ。
(第2話・完)
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