表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
令嬢が選んだ結末は、全員道連れの破滅でした  作者: ぱる子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

19/20

第19話 華麗なる散華

 王宮広場全体が炎上するかのような怒号と混乱に包まれる中、処刑台の上だけは、まるで静寂に隔絶された舞台のようにそびえていた。大勢の民衆が怒りと絶望を爆発させ、あらゆる方向で衝突が起きているにもかかわらず、台上に立つエレオノーラ・ローゼンハイムは、まったく動じる気配がない。両腕にはまだ枷がかけられ、泥や血で衣服が汚れきっている。それでも、その背筋はぴんと伸び、視線は迷いなく前を見据えていた。

 木製の床を踏みしめる足音が、鉄板を叩くように冷ややかに響く。執行人に連れられてエレオノーラが断頭台の台座へ向かうと、観衆の一部からは悲鳴じみた叫びが聞こえる。けれど、その大多数はすでに他の場所で暴徒化し、王宮や貴族たちへ襲いかかるような勢いだ。台の周囲に残った衛兵も、混乱を食い止める手立てがなく、半ば茫然としたまま定位置を保っているにすぎない。

 そんな惨憺たる光景を背後に感じながら、エレオノーラは断頭台の前に立つ。鎖が軋む音にあわせ、執行人の手が彼女の肩を押さえつけるが、彼女は抵抗することなく膝を折った。まるで舞踏会の最後のステップを踏むかのような、優雅ささえ漂わせている。


 その様子を、王太子ルシアンが壇の端から見つめていた。彼は先ほどから起きている大混乱により、まともに指示を出すことさえできずにいる。民衆や兵士、さらには裏切り者も入り乱れる地獄絵図が広場を覆い、王太子派の貴族たちは既に逃走している者が多い。何とか命令を下そうとしても、衛兵が混戦に巻き込まれ、場を制圧できない。

 さらに、ルシアン自身にも危険が迫っていた。怒りを抑えられない一部の民が、倒れた柵を乗り越えて彼のもとへ押し寄せようとしており、残った兵士たちは懸命にそれを阻んでいる。王太子としての威厳を示すどころか、必死に身を守るだけで精一杯という情けない状態だ。


「ここまでとは……!」


 声を上げたとき、彼は隣でしがみつくように立っているクララを見下ろす。純白の衣装はほこりと血が飛んで汚れ、柔らかな髪は乱れ、目には怯えが浮かんでいる。彼女もまた、しっかりと自分の安全を確保しようと必死に動いているのだろうが、民衆の前で“善良な少女”を演じていた姿とはかけ離れた姿があった。


「殿下……わたくし……どうすれば……!」


 クララは顔を伏せ、泣きそうな声で身を縮こまらせる。しかし、その奥には死に物狂いの焦りが滲んでいるようにも見える。もし混乱がさらに拡大すれば、民衆の怒りが自分にも向けられて命を落としかねない――その恐怖を抑え込みきれないのだ。

 ルシアンはまるで答えを持たないまま、歯噛みして混乱の中心へ視線を走らせる。彼の苦悩や恐怖など知ったことかと言わんばかりに、広場中は燃えるような叫びで満たされていた。


 その一角で、見窄らしく地面に手をついている男がいた。レオポルト・ローゼンハイム。かつて公爵と呼ばれた彼も、いまや狼狽の極みにある。この処刑を“生贄”にすれば混乱が静まると思っていたが、結果は彼の期待を大きく裏切る形で爆発的な暴動へ発展している。娘を捨て、自分は生き延びようとしたはずが、どこに逃げても危険であることは変わらない。

 泥だらけの広場を這うようにして彷徨うレオポルトは、横目に断頭台を捉える。その上には娘がいるはずだが、今この状況で“助ける”という選択肢など思いもよらない。そもそも、娘を売った時点で親子の情は消え失せ、むしろ憎しみに近い感情が胸にこびりついている。彼の耳には周囲の嘲笑が遠く聞こえ、「公爵家もここで終わりだな……」という囁きがこだまするように感じられた。


「しまった……もっと上手く立ち回るべきだったのか……」


 言葉も口先だけの嘆きで、すべてが手遅れだと悟りながらも、レオポルトはどうにも身動きが取れない。誰かが彼を蹴り倒し、誰かが彼の存在を見て見ぬふりをし、彼はただ流れに飲まれていくしかなかった。

 そして、その荒れ狂う人波の中、エレオノーラは断頭台にかがみこんだ姿勢のまま、衛兵たちの誘導に従いながらも、どこか美しい曲線を描くように動く。周囲が修羅場であることは明白だが、彼女の佇まいはまるで、自分がこの舞台の主役として彩りを与えているのだと示しているかのようだ。


 そして執行人が、首を落とすための刃の位置を合わせようとする。その様子を目の当たりにした観衆の一部は息を呑み、ある者は狂乱の拍手を続け、また別の者は暴徒に巻き込まれて悲鳴をあげている。まるで世界が二重、三重に混濁しているかのように、それぞれが異なる感情を叫んでいた。


「早く殺せ! すべてがこの女のせいだ!」

「嘘だ……王太子も同罪じゃないのか……どうしてこんなことに!」


 悲痛な声と怒気が広場を染めながら、執行人が木槌を握りしめ、最後の合図を待つ。衛兵の一人が祭壇の脇でぐったりした姿のルシアンを見やり、はたして命令を待つ意味があるのかと戸惑っているようだった。だが、エレオノーラはそんな僅かな間に、ゆっくりと背筋を伸ばし、正面へ顔を向ける。そして、混乱のただ中で見知らぬ悲鳴を上げる人々を、まるで凱旋の眺めを堪能するかのように見渡した。


 刃が降りるまで、あと一瞬――その緊迫感をかき消すかのように、彼女の唇がわずかにほころぶ。その笑みは嘲笑ではなく、どこか高貴な勝者が最後に見せる安堵のように映る。

 ルシアンが息を呑んだ。クララもまた、その一瞬を見逃さず、凍りついたように視線を奪われる。何故なら、あれほど凄惨な末路をたどる運命にありながら、エレオノーラには一片の後悔や怯えが見えないからだ。


「……どうして、そんな顔ができる……」


 クララの唇が震えている。まるで自分たちこそ、今まさに処刑を受ける側なのではないか――そんな錯覚さえ生じるほど、エレオノーラが放つ存在感は際立っていた。

 衛兵長が視線だけで執行人に合図を送り、刃が落ちる音が高らかに鳴り響く――その瞬間、彼女の表情はまったく変わらない。まるで永遠の中に身を置いたかのごとく、不敵で優雅な微笑を浮かべたまま、最後の息を吸い込み、地面へ紅の花を描く。


 周囲の人々の視界では、その首が落ちる刹那、いかにも華麗な舞踏のフィナーレを迎えたような幻影が走る。誰かが悲鳴をあげ、誰かが歓喜の声をあげ、悲嘆と興奮が入り混じった声が爆音のように広場に轟く。しかし、エレオノーラの顔は最後の最後までその笑みを崩さなかった――

 そして、一滴の血が壇を染め広がりゆく。処刑は無事に執行された。けれども、周囲の混乱は収まるどころか激しさを増している。呆然とする民衆の中には、死体を指さしながら「これで終わりか?」「殿下も同罪じゃないのか!」と激昂する声も多い。処刑されることで、すべての悪が消え去ったと思い込めるほど、今の王国は甘い状況にはなかったのだ。


 ルシアンはその現実を思い知りながら、呆然と自分の胸を押さえた。熱を持った血が、壇上の隙間から滴るように流れ落ちる姿を見て、指先が震えを起こす。確かに彼は自らの手でこの国を救うために、この女を処刑したはず。なのに、何の解放感も得られないどころか、さらに深い暗闇に引きずり込まれたような感覚に苛まれていた。

 クララは泣き崩れるふりをしながら、内心では必死に生き延びる道を考えている。エレオノーラがいなくなった今、民衆の怒りの矛先がこちらに完全に向かないとも限らないのだ。どうやって言い逃れし、どうやって次の庇護を得るか。その算段を巡らせつつ、民衆の前ではあくまで悲壮感を演じてみせる。

 そしてレオポルトはといえば、さすがに目の前の光景に足をすくわれたようだ。娘が自分の手ではどうしようもない形で殺された。それでも、救いたいという気持ちよりも、何とか自分が巻き添えにならないようにと恐怖が先立つ。その浅ましい姿は、たまたま近くにいた民から唾を吐かれ、石を投げつけられる。まったく報われぬ光景だ。

 この地獄じみた場面の中心で、エレオノーラは一瞬にして絶命した。けれども、その最期の微笑は強烈な印象を残す。彼女が生きたまま世を破滅に導いた訳ではないが、死の瞬間まで誰よりも冷静かつ誇りを保ち、“勝利”を信じるようなまなざしを捨てなかった。その姿が、修羅場と化す広場を彩る決定的な光景となったのだ。


 この国に“正義”は存在したのか――民衆も、貴族たちも、誰もがその疑問に答えを持っていない。最終的には、一人の女を血祭りにあげても苦しみや混乱が消え去りはしないことだけがはっきりとわかった。

 血のついた台から視線を離せないまま、ある者は立ち尽くし、ある者は絶望に沈み、ある者は怒りを増幅させる。王太子ルシアンとクララの姿は台の向こうで取り巻きの兵に守られながらも、決して安堵の表情ではなく、むしろ自分たちがこれからどんな仕打ちを受けるかを恐れるような暗い面持ちだ。

 一方、レオポルトは賽が投げられたとばかりに肩を落としている。あれほど大切に育てたはずの娘が最後に見せたあの涼やかな笑顔こそ、彼にとって残酷な罰のように思えた。すべてを壊すために生きてきた娘の確信に満ちた死を、どんな言葉で弔えばよいのか、答えなど見つからない。


 こうして、優雅にして傲慢だったエレオノーラは、王国の目前において首を落とされる形で最期を迎えた。多くの者がそれを“当然の罪”と見なし、ある者は恐怖し、ある者は空虚感に苛まれる。だが、彼女は最後まで崩れなかった。処刑台で散ったその瞬間までも、自分が勝者だと言わんばかりの微笑で世界を睥睨したのだ。

 血煙が上がり、凶暴化した暴動が広場の隅々まで波及してゆく。燃えさかる建物や人々の絶叫が混然一体となり、王国はさらなる混沌に飲み込まれていく。ルシアンとクララにはその制御など到底できそうになく、ただ混乱の波に飲まれ、破滅の足音がますます大きく迫ってくる。

 あまりにも美しき最後の瞬間。エレオノーラが、その生涯を“悪”の道で貫いたかどうか、もはや誰にも定義できない。ただ、“悪”であれ“正義”であれ、彼女が最期まで凜と誇りを失わず、人々を振り回し、そして最終的には処刑台で輝くように散ったことは紛れもない事実だった。

 こうして、心を貫く静かな余韻だけを遺し、王国は破滅への一途を加速していく。その陰で笑う者はもういない。エレオノーラの姿こそが、悲劇と混乱を完結に示す、ただ一つの彫像のように佇んでいた――その首が落とされる刹那まで、確かに高潔で、不敵な笑みを湛えたままで。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ