第17話 血塗れの幕開け
その日の朝、王都ヴァルモンドの宮廷広場は、薄曇りの空の下にもかかわらず熱狂した人々で埋め尽くされていた。ふだんは市民が行き交う程度の空間が、今や国中から集まった見物人たちであふれ、大声での談笑や罵声、物売りの掛け声が重なり合って一種の狂騒を生み出している。
噴水のそばに臨時で張られた柵には衛兵たちがずらりと並び、一定の緊張感を保ちつつも、民衆の苛立ちや興奮に圧されているように見える。その中央部、少し高く作られた木製の台には大きな柱が据えられ、周囲を取り囲むように階段が組み立てられていた。さらに、その横には布で覆われた一角があり、そこが処刑道具を隠し置く場所であることは、誰の目にも明らかだ。
早朝から詰めかけた民衆は、ある者は露店で酒を買い、ある者は最前列を陣取ろうといがみ合っている。処刑の見世物という血なまぐさい催しに、奇妙な興奮を抱く層も少なくない。周囲には子供まで引き連れた家族の姿があり、兵士が注意するが耳を貸さない者が大半だ。彼らの目には「ついに今回の騒乱を収束へ導く劇が始まるのだ」という期待が浮かんでいるかのようだった。
やがて、王太子ルシアンが率いる一団が姿を現したとき、広場はざわめきから喝采へと変わる。馬に跨るルシアンの背筋は真っすぐ伸び、民衆に声をかけることなく静かに前方の壇へ向かう。その横にはクララ・ブランシェが続き、純白の衣装をまとっているのが目に入った。胸元にはささやかな飾りが付され、まるで聖女のような印象を与えるが、彼女の眼差しには微妙な焦燥が見え隠れしていた。
ルシアンとクララが壇上に上がると、衛兵長らしき人物が合図を送り、広場周辺が徐々に静まっていく。民衆は何事かと息を飲みながらも、より近くで見ようと人々が押し合いへし合いしているため、余計に混乱が高まる。
そんな中、ルシアンは堂々と前を向き、声を張り上げた。
「皆の者、聞け! 先の混乱によって我が国は大きく乱れ、多くの血が流れてきた。このままでは、われらが誇る王国が破滅の道をたどるのは明白である。しかし、その混乱を招いた首謀者……ついに、わたしの手で裁きを下すときが来た!」
その宣言に、民衆から拍手と歓声が上がる。一部は悲鳴のような声も混ざっていたが、圧倒的多数が興奮と期待を込めて王太子の言葉に耳を傾けている。
クララが続いて前に進むと、どこか神妙な顔で周囲を見渡した。少し頬をこわばらせながらも、まるで王太子を守る立場の優しい少女を演じるように口を開く。
「お騒がせしております。ですが、皆さまの恐れや怒りは本日で区切りを迎えることでしょう。恐ろしい陰謀を巡らせ、多くの人々を苦しめた者が、この国から排除されるのです」
彼女の声は透き通っていて、いかにも正義を掲げる者の調子だった。だが、その胸の奥には違うものが渦巻いているだろう。この激動の中で自分の立場を失わぬよう、必死に保身に走っていることを知る者はごく僅かだ。
一方、観衆の後方にあたる場所では、レオポルト・ローゼンハイムがみすぼらしい格好で立ち尽くしていた。華やかな衣装を失い、家臣に囲まれることもないまま、彼は一人でこの処刑の光景を眺める。かつて公爵と呼ばれた男が、今や周囲から見放され、生き恥をさらす形で佇むしかないのだ。
彼は娘を見捨てた罪悪感よりも、自分自身がどのように生き延びるかを優先している。すべての罪をあの娘に負わせれば、自分に追及の矛先は向かわないかもしれない――そんな打算が、崩れかけた心を支えている。だからこそ、ここにいるべきかどうかさえ逡巡しながら、立ち去る勇気もないまま民衆の喧噪に紛れている。
「もう、取り返しはつかないな……」
呟きながら、レオポルトは遠い視線で壇上を見る。かつて自分が誇った権勢は崩れ去り、エレオノーラの首を差し出すことで辛うじて生き延びる道を探す――そんな自分の境遇に、苛立ちや空虚感が重くのしかかる。
すると、広場の端で太鼓の合図が鳴り響いた。あたりに張り詰めた緊張が走り、人々の視線が一箇所へ集中する。そこから見えてきたのは、鎖を引かれた女性――エレオノーラ・ローゼンハイム。囚人の護送を担当する衛兵たちが、彼女を両脇から挟むようにして台へと連れていく。
その姿を認めた途端、野次馬たちの興奮はさらに高まり、怒号や嘲笑が飛び交い始めた。
「反逆者! 国を乱した大罪人を今ここで処してやれ!」
「あの女がすべての悪の根源だ! 首を跳ねろ!」
言葉だけでなく、石や野菜くずの投げつけが始まり、衛兵の盾に当たって落ちる音が響く。しかし、エレオノーラはそれらをまるで意に介さないように、淡々と前を見据えている。その沈着ぶりが、かえって人々の神経を逆撫でするかのようだった。
ゆっくりと壇上に引き上げられる途中で、彼女がわずかに目を巡らせたのを、近くにいた者が見逃さなかった。まるで自らの処刑を傍観する民衆を冷やかに視界に収めるような、その視線に一瞬ゾクリとする者もいる。
壇上の中央まで来ると、衛兵が後ろ手に拘束したまま彼女をひざまずかせようとするが、エレオノーラはほとんど抵抗することなく片膝をつく程度で動きを止める。肩を上下させることもなく、悲鳴ひとつあげない。その姿に、民衆の盛り上がりがいっそう激しくなる。
「どういう神経をしているんだ……」
隣り合う観衆がそう呟けば、別の者は「彼女は悪魔に魂を売っているに違いない」などと口にして嘲笑する。とにかく、ここにいる大半の民衆はエレオノーラを人と思っていないのだろう。国を乱した大罪人としてのイメージが完全に植えつけられ、血を見て溜飲を下げたいという欲求さえ混じっているように思える。
その歓声や罵倒を眺め下ろすように、ルシアンとクララは壇の端に立っている。ルシアンは「国を守る正義の君主」として最後の演説を行おうとするが、思ったより民衆の騒ぎが大きすぎて声が通らない。やむなく、クララが手を差し伸べ、民衆に向けて真摯な視線を投げかける。
こうした二人の姿こそが、民衆にとっては“正しい国の姿”だと思い込む材料になっているらしく、さらに多くの視線がルシアンとクララへ向いた。そして、そのはるか下手には、レオポルトが物陰から娘を睨むようにして見守っていた。かつては親子という立場であったはずが、今ではお互いに救い合う意思もなく、ほとんど他人以上の距離を感じさせる。
すべてが整ったところで、衛兵長が民衆に向かって声を張り上げる。
「本日ここに、国家転覆を図った罪人を処刑する! これよりの行いは、国の秩序を取り戻すための正しき裁きである。民よ、その目で見届けよ!」
歓声が轟く。見上げる先には、何の憂いもなく立つエレオノーラの姿。彼女は全身に泥や打撲の痕を負っているが、その表情は不可思議なほど穏やかだった。
誰が見ても普通ではないと感じるだろう。ここまで執拗な罵倒と攻撃を受けながら、一片の恐怖を見せない姿に、一部の民衆は違和感と畏怖を覚える。しかし、すでに多数派は狂乱の熱気に包まれ、明らかに彼女の見せる落ち着きが「悪あがきの冷笑」だと解釈しているようだ。
ルシアンはそれを見届けながら心の中で苦渋を噛み締めていた。なぜなら、ここでこの罪人を処刑しても、果たして本当に国が落ち着くのか、確信が持てないからだ。だが、今は王太子としての威厳を示し、混乱の責任をひとりに押し付ける以外に手段がないのも事実。
クララもまた、罪人を見下ろす眼差しの奥に重い翳りを宿している。一時的に民衆の支持を取り戻すためには、この公開処刑が効果的だと理解しつつも、エレオノーラという存在が心の底に冷たい不安を刷り込んでくるのだ。確かに、明日以降は反乱や暴動が沈静化に向かうのかもしれない。しかし、本当にそれで終わりなのか――わずかながらも疑問が残る。
いずれにせよ、今この場で処刑は避けられない。王宮の鐘が甲高く鳴り、いよいよ幕が下りる時が来たと知らせるかのように響く。護送されてきたエレオノーラは、一歩ずつ壇の中心へ導かれ、魔女裁きの儀式でも見るかのように民衆が熱狂し、地鳴りのような歓声が広がっていく。
こうして、絶頂に達した熱狂の中で、公開処刑の序幕が切って落とされた。血生臭い見世物を、だれもが凄惨な絵巻と知りながら、それでも目を離さない。人々は拍手と罵倒を繰り返し、押し寄せる感情に任せてその場の空気を吸い込み、一瞬たりとも息をつかせぬ勢いだ。
すべてが、あたかも“悪”を葬り去るための正義の祭典だという建前で進んでいる。ルシアンとクララは、まさにその建前を最大限に活用し、群衆の恐怖と怒りをすべてエレオノーラに向けさせようと意図していた。
事実、その演出は効果抜群で、誰も彼もが王家の再生を願うように口々に叫んでいる。だが、その裏でほんの少しだけうごめく不安――エレオノーラの不可解な余裕、レオポルトの歪んだ視線、そして各地の反乱の火種がいまだくすぶり続けることに、いったいどれほどの者が気づいているだろうか。
人々はその疑問を押し流し、祭りのような熱狂を高める。エレオノーラは壇上で、一瞬だけ空を見上げるように首をかしげてから、微かに微笑んだ。それは誰にも悟られない程度の微かな動きだったが、彼女の心の内に燃え続ける破滅への意志を、最期まで貫くことを示しているかのようにも見えた。
こうして公開処刑の幕は上がり、民衆の歓声と興奮が頂点を迎える。次の瞬間、エレオノーラの運命が一気に動き出すと誰もが確信していたが、その先にある本当の破滅を、どれほどの者が予見できたかはわからない。
血なまぐさい見世物が、まさに始まろうとしている。大勢の兵や民衆が熱狂し、王太子ルシアンとクララが正義を謳い、レオポルトが零落した姿で立ち尽くす。その中心でエレオノーラは、一切ひるむことなく己の立場を受け入れ、淡々と処刑台へ進んでいく――それは、国を覆う大混乱を象徴するような光景だった。




