表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
令嬢が選んだ結末は、全員道連れの破滅でした  作者: ぱる子


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

11/20

第11話 追い詰められる二人

 ルシアン・ヴァルモンドは、宮廷の大広間に足を踏み入れた瞬間、場を取り巻く空気の重さに苦い表情を浮かべた。以前ならば彼が姿を現すだけで、貴族たちは歓迎と敬意の色を示したものだが、今やそのような光景は見当たらない。代わりに、ひそひそと何かを囁き合う声や、険しい視線ばかりが感じられる。

 まるで、王太子としての輝きが一夜にして褪せ去ったかのような扱いだ。実際、ここしばらくの暴露と混乱が彼の評判を大きく揺るがしているのは事実。貴族ばかりでなく、街の住民までもが「王太子派には裏がある」という噂を囃し立てるようになっていた。


 深い吐息をつきながら、ルシアンは控えている家臣の一人に低い声で指示を与える。


「……今夜の会合で、各派閥の代表をきちんと押さえておけ。余計な火の粉が舞う前に、我々が再び主導権を握る方法を探るんだ」


「しかし、殿下。その会合に出席予定だった貴族の中には、すでに公爵家との接触を図っている者がいるという報告が……」


「構わない。公爵家など、この混乱で自滅しつつあるのが目に見えている。むしろ、その者がどの程度の情報を掴んでいるのか探りを入れろ」


 苛立ちを露わにするわけにもいかず、どうにか穏やかな口調を保とうとするルシアンだったが、側近はその隠しきれぬ焦りを感じ取っていた。

 国中からの非難は日に日に強まり、民衆の間でも“王太子が私腹を肥やしていたのではないか”という話が飛び交っている。少し前までならば適当な取り繕いで抑え込めたかもしれないが、今回の暴露は想定以上に具体的すぎた。しかも、加害者として王太子派だけでなく公爵家も名指しされており、まともな収拾策を打ち出せずにいる。

 ルシアンは、王太子としての威厳をかろうじて保ちながらも、内心では激しく混乱していた。そんな彼を表立って支えているのが、クララ・ブランシェだ。

 彼女はまるで慈悲深い庇護者でもあるかのように、人前では健気な態度を崩さない。だが、その実際のところは、戦略的に行動しているのをルシアン自身が一番よく知っている。公爵家が追い込まれている今、彼女にとってもルシアンを守ることが自分の生き残りに繋がると分かっているのだろう。


 大広間を離れ、別室での小さな会議を終えたルシアンが廊下を歩いていると、クララが控えめに近づいてきた。淡い色のドレスを身にまとい、まっすぐな瞳でルシアンを見上げる。


「殿下、今はいかがお過ごしでしょうか。お疲れが重なっているようで……。少しでもお休みになっていただきたいのですが」


 その声音はどこまでも慈しみに満ちた様子を装っているが、ルシアンは彼女の裏側にある打算を思わず探ってしまう。それでも今は、クララの存在が民衆の視線をほんのわずかでも柔らげてくれる一助になっているのも事実。彼は表面上の微笑を返しながら、低く答えた。


「心配してくれてありがとう。だが、休んでいる暇などない。次の対策会合までに、地方の鎮圧計画や貴族たちの説得をどうにかまとめなくてはならない」


「そうですね。わたくしも、殿下をお支えするために出来ることがあれば……。今こそ、殿下のお心に応えて、皆の不安を少しでも和らげたいと考えております」


「頼りにしている。……クララ、おまえには、もう一つやってほしいことがある」


 彼女が小首を傾げる様子を確認してから、ルシアンは辺りを伺い、声を抑えて続ける。


「例の暴露が、誰の手によるものか。今のところは公爵家や第三勢力の可能性を探っているが……正直、このままでは手がかりがなさすぎる。そこで、おまえの人脈を使って、もう一度“あの女”の動きを探ってほしい」


 クララは、その言葉に一瞬だけ顔を強張らせる。“あの女”とは、エレオノーラ・ローゼンハイムを指しているのだと、すぐに理解できたのだろう。表向きでは立場を失い、婚約破棄までされているエレオノーラが、ここまで巧妙な策略を巡らせられるのか――誰も確信を持てないまま、彼女の影がちらつく。

 クララは思わず視線を落とすと、微かに唇を震わせる。


「……エレオノーラ様、やはり関わっておられるのでしょうか。何も証拠はありませんが、わたくしも……彼女が気になります」


「ならば、協力を頼む。おまえは平民出身とはいえ、今や貴族社会に一定の影響力を持っている。闇の情報交換の場にも近づきやすいはずだ」


「はい。お引き受けいたします……ただ……」


「どうした」


「もし彼女が本当に関わっているとしたら、わたくしには……どうすることもできません。あの方は……」


 言葉を呑み込みかけながらも、クララの瞳には恐怖が垣間見える。自分が散々利用し、婚約破棄まで追い込んだはずの相手が、実は静かに牙を研いでいたのではと想像すると、全身が凍りつくような思いがこみ上げてくるのだ。

 そんな彼女の心境を察したのか、ルシアンは少しだけ声を柔らげる。


「怯える必要はない。わたしがいる。おまえが掴んだ情報を持ってくれば、必ず打つ手を考えてやる。……それが、わたしとおまえの利益になるはずだ」


「はい……殿下のためにも、わたくし自身のためにも、やれるだけのことをいたします」


 こうして、クララは再び王太子派の一員として暗躍を始めることになる。彼女は表向き、王太子を支える純粋な少女として、愛らしい笑顔と丁寧な言葉遣いを欠かさない。しかし、その裏では貴族や商人、下級役人など、人脈を総動員して噂や動向を探り回る。少しでもエレオノーラと関連のありそうな情報があれば、密かに王太子の耳へ届けようとするのだ。

 だが、現実は甘くなかった。混乱が深まるほど、宮廷の誰もが警戒心を高めており、思うように情報が集まらない。一部では「クララもまた暴露の黒幕では?」と勘繰られ、逆に問い詰められる場面さえあった。

 しかも、王太子派への風当たりは今なお強く、ルシアンが直接号令をかけようとしても、相手がすでに別の派閥に転じている場合も多々ある。謁見を拒否されることも増え、思うように事態を収束できない苛立ちが、ルシアンの心を蝕んでいった。


「まったく……早く何とかしないと、王家の威信が瓦解しかねない」


 ある夜、ルシアンは宮殿の一室でクララと二人きりになった際、怒りを抑えきれずに独りごちる。書類が散乱するテーブルには、地方で起きている小規模反乱の報告や、海外との貿易ルートが不正に使われている事実を取り上げる投書などが山積みになっている。

 それらの大半は、王太子派によるものであることが示唆されており、言い逃れは容易ではない。しかも、公爵家との癒着を疑う文言も含まれ、単なる派閥争いを超えた汚職の横行として民衆に広がる可能性がある。

 クララは、書類の一枚を手に取ると、震える指でそこに記された金額を眺めた。


「こんな大金を横領していたなんて、もし本当に事実なら……民衆が暴動を起こすかもしれませんね。まして、軍の一部が既に不満を口にしている以上、王宮の安全すら揺らぐのでは……」


「わかっている! だが、対策を打とうにも、この短期間で書類が乱れ飛びすぎだ。どこから手をつければいいのか……」


 苛立ちが募るルシアンに対し、クララは寄り添うように肩に手を伸ばし、穏やかな表情を作る。


「殿下、どうかご自身を責めすぎないで。今は、わたくしどもが手を携えて民の不安を解消すべく行動すべき時でしょう。少しずつでも、誠実に向き合う姿勢を示せば……」


 だが、最後まで言い切らぬうちに、ルシアンは厳しい視線を返した。


「誠実な姿勢? そんな美談で済むほど甘くはない。あちらは証拠を握って、これでもかと我々を追い詰めているのだぞ! 情けや言葉だけで解決できるはずがない!」


 クララは、王太子の激昂に肩をすくめる。彼をなだめようとした言葉がかえって怒りを煽ってしまったのだ。まるで、二人の利害が完全に一致しているわけではないことを暗示するように、ほんの少しの間が訪れる。

 それでも、クララにはルシアンを見限る選択肢はなかった。今や彼女が頼れるのは王太子の庇護だけ――逆に言えば、ルシアンを失えば自分の存在意義も消えかねない。そう感じているからこそ、彼女はまた笑顔を浮かべ、ぬるい説得を繰り返す。


「殿下、どうか落ち着いて……。わたくしは、エレオノーラ様の動きだけでなく、公爵家の内情も探ってみます。何か有力な切り札が見つかるかもしれません」


「……頼む。おまえだけが頼りだ、クララ」


 ルシアンの声には疲労と絶望が入り混じった重みがあった。派閥の足元が揺らぎ、王家からも明確な支持が得られない今、クララの尽力だけでも希望の光を見出そうとしているのだろう。

 しかし、クララの内心では、焦りが加速していた。エレオノーラという脅威を排除したはずなのに、彼女の目に映る世界はむしろ悪化の一途をたどっている。まるで、自分たちを舞台の真ん中に踊らせながら、誰かが糸を引いているかのようだ。

 夜が更け、クララは寝室へ向かう廊下を歩きながら、何度もエレオノーラの名を頭に浮かべてはかき消す。もし本当にあの人がすべての黒幕だとすれば、これからどんな罠を仕掛けられるか分からない。そして、今度は自分が婚約者を奪われる立場になるかもしれない――そんな得体の知れない恐怖が、胸に棘を立てるように刺さるのだ。

 ある扉を開けると、そこは彼女の私室につながる前室だった。近くにいた侍女が小走りに寄ってきて、小声で耳打ちする。


「クララ様、先ほど一通の文が届きました。差出人は不明ですが、“王太子を支えるだけでは危うい”と記されておりました。どうなさいますか?」


「……ここへ」


 侍女が差し出した封筒を開いてみると、雑多な文言の中で「あなたも保身に走るなら、今が最後のチャンスだ」という含みが読める。まるで、王太子派が全滅した際に自分だけでも生き延びるための誘いかもしれない。

 クララは冷や汗が頬を伝うのを感じながらも、文を火皿に投げ入れた。燃え盛る小さな炎に紙が飲み込まれていく様を眺め、彼女は唇をきつく噛む。


「わたくしには、殿下を裏切る選択肢なんて……」


 だが、それは半ば自分に言い聞かせるような呟きだった。もし王太子が完全に失墜すれば、自分もろとも破滅する可能性がある一方で、今のうちに誰か別の勢力と手を組めば自分だけ生き延びられるかもしれない――その誘惑は日に日に大きくなっている。しかし、それを選んだ先に安息がある保証もない。

 こうして、ルシアンとクララはそれぞれに不安と焦りを抱えながら、エレオノーラの影を探り続けることになる。日中は王太子としての職責を全うするふりをしつつ、夜には密かな密議や情報収集に奔走する。クララもまた、表向きは清らかな笑顔で貴族たちに接し、「殿下のために頑張る可憐な娘」を演じながら、その裏では自らの保身を第一に暗躍しているのだ。

 しかし、暴露の動きはまったく収まる様子を見せない。まるで、地下に潜んだ水脈がいくらでも湧き出てくるかのように、日を追うごとに新たな醜聞や不正の証拠が拡散され、王太子派は致命的な打撃を受け続ける。公爵家も同じく炎上しているとはいえ、ルシアンにとっては凶兆を打ち消す要素にはならない。

 そんな中、二人の間には微妙なさざ波が生じ始めていた。ある時、ルシアンが再度エレオノーラの調査を急ぐよう求めたとき、クララが曖昧な返答を繰り返したせいで、ルシアンは疑念を抱いてしまう。


「おまえ、本当にわたしのために動いているのか? まさか……いや、考えたくはないが……」


「殿下、どうか疑わないでください。わたくしは殿下の傍にいるしか選べないのです。おわかりいただきたい……」


 だがルシアンの視線は冷ややかだった。自分の周囲から次々と離れていく貴族たちを思えば、いくらでも人が裏切る可能性があると悟っているからだろう。

 こうして、王太子とクララは不安に苛まれながら互いに頼り合い、同時に隙を見せまいと観察し合う奇妙な同盟関係へ陥っていく。彼らには、それぞれ守らなければならない目的と未来があった。しかし、それはすでに足元を失いつつあるかのように揺らいでいる。

 もはや、エレオノーラの影響がどこまで及んでいるのか、二人ともはっきりと把握できない。だからこそ、焦燥と恐怖が日増しに大きくなっていくのだ。夜な夜な繰り返される密議でも、決定的な打開策は生まれず、次の朝にはさらに厳しい批判が待ち受ける。

 王太子としての威厳を維持するために必死に振る舞うルシアン、そして純真さを装いながら裏で利己的な策を巡らせるクララ。二人はそれぞれのやり方で危機に立ち向かおうとするが、暴露の勢いは収まるどころか加速するばかりで、まるで奈落へ向かう滑り台の上に立たされているような感覚に囚われていた。


 そして、その滑り台を一歩一歩下る先には――重たくよどんだ破滅の影が広がっていることを、彼らは徐々に確信し始めていた。かろうじて踏みとどまる場所を探し求めているが、それがどこにも見当たらないような漆黒の闇が、周囲を覆いつつある。

 “優雅な王太子”と“純朴な平民上がりの少女”という美辞麗句が今にもはがれ落ちそうになりながら、二人は宵闇の廊下でそっと視線を交わす。


(まだ大丈夫……今は、信じ合うしかない)


 そう自分に言い聞かせるものの、互いが互いをどこまで信用しているのかは、言葉にしなくても疑いの色が見え隠れしている。深い夜の帳が下りる中、王太子の周辺はさらに険悪な空気に包まれていき、クララがふと窓の外へ視線を投げると、闇に潜む何者かの瞳がこちらをじっと見つめているような錯覚がした。

 エレオノーラの影――追い詰められれば追い詰められるほど、その影は一層濃く、冷ややかに二人の呼吸を蝕み始めていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ