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09 お疲れ様です、第六開発部のKSです(Side_春日部)

「――いやぁ、いつも催促ばかりで申し訳ない。ですが、このデータが揃わないと後続のプロセスが進められないんですよ」

「リマインドメールはうちの馬場が送っていますから、ゴミ箱行きにならないように設定をお願いしますよ?」

「本人もリマインドBBAなんて言ってるんですけどね、皆さんがちゃんと期日を守ってくれたら、そもそもこんなメール、出さなくて済むんですからね」


 部長会で、人事総務部の副部長である小野路が痛烈な釘を刺すと、部長たちは苦笑いを浮かべるか視線を彷徨わせ始める。思い当たる節がある者ばかりだからだ。


 その一人である春日部も、期日をぶっちぎる常習犯としてその悪評は人事総務部内ですでに定着していた。この春の大人事異動で部長に就任した若きホープ。確かに開発者としての腕は申し分ないが、事務作業に関しては壊滅的。そんな評価が早々にバックオフィス部門を中心に付きまとっている。


 小野路が言いたいのは、もうすぐ控えている上期賞与の基になる評価データについてだろう。部員の評価を決め、賞与額を算出する。部長としての一大任務といっても過言ではない。とはいえ、先日配布されたばかりのそのファイルを春日部はちらりと見ただけで、「まだ締め切りまで一ヶ月もあるし」と放置しているのだが――。


「リマインドBBAね……」


 随分と自虐が過ぎるが、確かに『人事総務部の馬場』という名をメールで頻繁に見かけるようになった。どうやら最近採用された派遣社員らしい。各部にひたすらリマインドメールを送りつけるのが主な業務のようだ。

 よく見るようになった、ということはつまり、それだけ春日部が期日を守れていないということでもあるのだが――その点については、あまり気にしないことにしている。


 ただ、そのユーモアの効いたネーミングに小さく笑ってしまったことだけが、この何の生産性もない部長会での唯一の収穫だった。


 


 それからも、春日部のもとには馬場から頻繁にメールが届くようになった。当然だ。期日内にデータを提出していないのだから。

 言い訳をさせてもらうと、春日部は多忙を極めていた。もともと第六開発部はこの会社の主力アプリの開発を担い、日々のアップデートも欠かせない。それとは別に新規アプリのキックオフが始まったばかりで、外注会社との交渉に春日部が出ることも多い。

 そうなると社内向けの業務はつい後回しになってしまい、期日を破っても何とかなる――そんな甘えが身についてしまっていた。良くない考えではあるが、これまで大目に見てもらえてきた成功体験が、悪い癖となっているのだろう。


 あまりにも提出しないものだからさすがに腹に据えかねたのか。馬場は当日だけでなく、前日にもメールを送ってくるようになった。そのメールを見て、「あ」と思い出す。まさに『リマインド』メールだ。

 しかも送られてくるタイミングが妙に絶妙で、大抵は春日部がPCの前にいる時だった。恐らくチャットツールで在席状況を確認しているのだろうが、その気配りにはしみじみと感心してしまう。


「――これで更新完了、っと」


 メールに返信する形で更新済みの旨を報告すると、すぐに『お忙しい中ご対応いただきありがとうございます!』と返事が届く。

 そういえば、先日わざわざデスクまで封筒を届けに来てくれたこともあった。あの時は忙しさの極みで雑な対応をしてしまったが、一連の流れを見ていたらしい大先輩の長谷川に、「忙しいのは分かるが、あの態度は人として終わってる」と後から軽く詰められてしまったか。


「お前な、相手がバックオフィスの人間だからって軽く扱うんじゃねぇよ」

「いや、そんなつもりはなかったんです。迷ってたのかなって思っただけで……すみません」

「大体なんだ、リマインドBBAって。お前、相談窓口に訴えられたいのか?」

「ち、違いますって、それは彼女が自虐で自分で言ってたらしくって――」

 

 どうして自分が弁明しないといけないのかと思いながらも、確かに彼女には悪いことをした。

 微かな罪悪感を抱きながらも、改めて謝るような話でもないような気がして、仕事に忙殺されるうちにその機会も逃してしまった。


 

 彼女とのメールのやりとりはいつも仕事の催促ばかりで、もはや何に謝っているのか分からないくらいに、春日部は返信メールに謝罪を重ねている。こんなんだからKSなんて言われるんだなと一人苦笑を漏らしてしまうが、彼女はいつも『とんでもございません、お忙しい中ありがとうございます!』と、他人行儀ながらも気遣う言葉を添えてくれる。


 そして、これは良いのか悪いのか分からない話なのだが――『馬場からの催促がない=まだやらなくても大丈夫』という方程式が、春日部の中ですっかり出来上がってしまっていた。

 そのため、人事総務部の別の社員から『*リマインド*健康診断受診のお知らせ』というメールが届いても、無意識にスルーしてしまったのだ。


 結果として健康診断をすっぽかすことになり、社内の忘年会の場で労務担当の進藤に白い目を向けられたのだが――傍にいた馬場に、「どうして馬場さんがリマインドを送ってくれなかったのか」なんて、八つ当たりめいた軽口を叩いてしまう。

 長谷川が聞いたら「何を甘えたことを言っているんだ」と、また叱責されていたかもしれない。だが馬場は困ったように笑いながら、他の放置していた案件のツッコミを入れてくる。

 

 ――こういう人が、うちの部署にもいてくれればいいんじゃないかな?


 いや、予算も有限だ。まさか自分の仕事の催促をさせるためだけに人を雇うわけにはいかない。

 それに、人事総務部からの依頼はセンシティブなものが多い。誰かに任せるにしても、まだ信頼に足る人を見極められていない。頼りの長谷川は完全に開発畑の人間だ。


 ……まぁ、馬場さんが連絡してくれるからいいか。

 これもある種の依存というのだろうか。手綱を握られているようにも思えたが、不思議と不快感はなかった。


 

 ――◇◆◇――


 

 部長として二年目を迎え、少し早めに夏休みを取得した春日部は何年かぶりに帰省した。

 田舎の両親は相変わらず「畑を継ぐ気はないのか」と無茶を言ってきたが、適当に聞き流して駅へ向かう。二日だけの滞在だったが、元気な姿をお互いに確認できたから良かっただろう。


 普段なら、土産なんて邪魔になるから買うこともない。だが、新幹線を待つ間になんとなしに土産物を眺めていると、何かと世話になっている人の顔が浮かんだ。

 長谷川には木刀でも買ってやろうかと思ったが、一発ネタのために重たい思いをするのも面倒だ。ペナントでも渡して「いらねぇよ」と笑い合うくらいがいいだろう。

 

 後はやはり――そうだな。馬場を始めとした人事総務部の皆様だろう。

 きっと部長衆の中でも自分が一番手間を掛けさせているはず、という自覚はあったので、それならばと銘菓を大箱で購入した。


 そして出社日。まるで賄賂だなと思いながらも、手土産を抱えて人事総務部の執務室に向かう。滅多に行く機会もないし、機密情報を扱う特性上、フロアの奥にひっそりとある部署だ。必要に迫られなければ好んで訪れるような場所ではない。そう、今日はお土産を渡すという任務があるから行くだけだ。

 

 ちょうどお盆の時期だから人は少ないかもしれないと思いながらも、馬場のチャットステータスは『在籍中』を示していた。お盆なのにご苦労さまと思いつつ、不思議と足取りも軽くなる。


 ――そんな気分をぶち壊しにしたのは、カスタマーサポート部の女部長、松野だった。


 人事総務部の扉を開錠したと同時に、甲高い声が耳を劈く。驚いた視線の先には、ひたすら松野に頭を下げる――馬場の姿があった。


 佐々木が何に怒っているのかは分からない。が、その剣幕は尋常ではない。ああ、まずいな、と周囲をぐるりと見渡してみても、小野路の姿はない。恐らくどこかの会議室にいるのだろう。


 一瞬、馬場と目が合った気がしたが、今この場を収められるのは自分ではない。むしろ下手に首を突っ込めば状況を悪化させる可能性が高いと判断し、即座に踵を返し、小野路を探し回った。


「――小野路さん、会議中すみません!」


 いくつかの会議室を廊下から覗き、そのうちの一つに小野路の姿を見つけ、春日部は迷うことなく扉を開けた。驚いた様子の小野路と、大きなモニタには社長の姿。どうやらテレビ会議の真っ最中だったようだ。


「どうしたの? 何かあった?」

「そちらの部署で松野さんがヒートアップしてるみたいで。仲裁してもらえませんか?」

『それは急ぎの案件なんですか? こちらも大事な会議中なのですが……』

「相手は派遣さんでした。……またパワハラ問題に発展させてもいいんすか?」


 春日部の一言に、社長は押し黙った。松野は部長就任後に何度かパワハラ騒動を起こしている。その都度、適切に対処してきたようだが、これ以上揉め事を起こさせたくはないはずだ。

 しかも今回は派遣社員が相手。トラブルに発展すれば、会社にとって大きなリスクとなる。


「社長、申し訳ございませんが、続きはまたリスケさせてください」

『……仕方ないですね。終わったら連絡をお願いします。どうしてそんなことになっているのかの報告も併せて』

「もちろんです。それではまた」


 小野路はすぐにモニタの電源を落とし、執務室へと足を向ける。春日部も彼の後を追ったが、脳裏に、すっかり委縮しきった馬場の姿が蘇る。


 ……格好よく、助けてあげられたら良かったんだけどね。

 現実はドラマのようにはいかないものだと、どこか皮肉めいた考えが頭をよぎった。

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