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04 トラウマ案件

 この会社に派遣されてから、早いもので丸一年が過ぎていた。


 今は忙しい年度跨ぎを終え、閑散期に入ったところだ。部長相手のリマインド業務も、月に一、二回程度とめっきり減っている。……それでも、相変わらず春日部は皆勤賞なのだが。

 心なしか、メールを送ってからの反応が早くなっている気もするが、誤差の範囲だろう。


 仕事ぶりも評価されたらしく、時給が三十円アップした。

 ――微妙な額ではあるが、上がっただけマシと思うべきだろう。

 

 本当なら、会社からいくら支払われているのか。……考えまいとしても、派遣会社にどれだけマージンを取られているのかつい気になってしまう。

 だが、知ったところで悲しくなるだけで、調べる気にもなれなかった。


「馬場さんも大分仕事に慣れてきてくれたからね。業務範囲を増やそうと思うんだよね」


 契約更新の面談で小野路にそう告げられ、萎縮しそうになる背筋を伸ばす。

 基本的にはデータの取りまとめやリマインド作業がメインタスク。

 一体どんな業務が追加されるのかと戦々恐々としていたが――。


 いざ与えられた仕事は、さして難しいものではなかった。

 だが、問題は――。


 プルルルル……!


 デスクに新たに設置された電話が鳴り響く。

 周囲の電話も一斉に着信し、オフィス内に電子音が飛び交う。

 派遣という立場だからこそ、率先して取るべきだろう。そう判断し、メモ帳を片手に受話器を持ち上げた。


「はい。株式会社サイバーエレクトニカ、人事総務部です」


 これまでの会社でも電話対応は経験している。――とはいえ、やはり苦手だった。

 最初のうちは、相手の名前すら聞き取れない。何度も「もう一度御社名よろしいでしょうか?」と聞き直してしまい、相手の心象を悪くしたこともある。

 派遣のエントリーシートにも正直に、「電話応対が極力ない職場を希望」と書いてきた。


 だが、業務内容に正式に付け足された今、苦手だからと逃げるわけにもいかない。

 それにこの部署は、役所や提携先会社からの電話が多いから気も楽だ。

 たまに退職した社員からの問い合わせもあるが、それは担当者に回せば済む話だった。


 その日も――。


 お盆の時期で、オフィス内は閑散としていた。

 この会社は全社休業ではなく、社員が順番に休みを取る方式。家庭持ちに休みを譲る形で、亜由美は静かな執務室で、黙々とデータの打ち込み作業をしていた。


 育休中の進藤からメールが届く。

 復職時期に関する相談だったので、内容を確認していると――。


 プルル……。


 電話の着信音が響いた。

 昼休み、ただでさえ少ない社員の中で電話を取れるのは亜由美くらいだ。

 さすがに少し慣れてきた亜由美は、何の気なしに受話器を取った。


 それが――地獄の始まりだった。


 通話の相手は、最初から支離滅裂だった。

 話の内容から、かろうじてこの会社の提供するアプリのユーザーだと理解できたものの、何が言いたいのか、何を要求しているのかがさっぱり分からない。仕方なく曖昧に相槌を打つしかなかった。


 この外線番号は公にはしていない。だが、代表電話の末尾を変えれば容易に繋がってしまうため、稀にユーザーから直接問い合わせが入ることがある。

 その場合はカスタマーサービスに掛け直すよう案内するように、と指示があったことを、ようやく思い出す。


 ただ――肝心のカスタマーサービスの番号が思い出せない。相槌を打ちながら、涙目になりつつ社内サイトで検索をかけた。


「お、お待たせして大変申し訳ございません……! 大変お手数ですが、今から申し伝える番号におかけ直しいただけますか?」

『だぁから! その番号に繋がらないからこっちにかけてんだろうが! とっとと開発責任者に代われって言ってんだよ!』

「申し訳ございません、そのようなことは出来かねまして……」

『使えねぇ女だな! だからあのアプリも使えねぇんだよ! 金を取るだけ取りやがって、俺がもっと良くなる方法を教えてやるって言ってんだろうが!』


 ――駄目だ、まるで話が通じない。


 助けを求めたくても、お昼休憩や会議でオフィス内は閑散としている。頼りの小野路も社長室に籠もり不在だ。


 それに――そもそも、亜由美はこのアプリをまともに使ったことがない。入社時に指示を受けてダウンロードはしていたが、利用は任意だったので活用することが無かったのだ。

 だから、この相手が何を訴えているのか、さっぱり理解できなかった。


 電話は、一時間に及んだ。

『電話代を返せ』という無茶な要求まで飛び出し、受話器を持つ手は震え、手汗で滑りそうになる。

 頭がぼーっとする中、『お前の名前を教えろ』と言われ、つい名乗ってしまった。


 ――散々怒鳴り散らしてようやく満足したのか、相手は電話を切った。

 受話器を置き、大きく息を吐く。

 これではまた電話恐怖症になってしまいそうだ。

 バクバクと鳴る心臓を落ち着かせようと、手元のお茶を飲む。


「……切り替えなくちゃ」


 そう、いつまでも気にしてはいけない。本当にただ、運が悪かっただけ。

 小野路に報告すれば、「大変だったね、ごめんねぇ」と慰めてもらえる程度の出来事のはず。


 ――犬に噛まれたと思えばいい。

 そう自分に言い聞かせていたのだが――。


 夕方、退勤時刻が迫ったころ。

 執務室の扉が勢いよく開かれた。


 よーこさんと呼ばれる、カスタマーサービス部の女部長の松野だった。


「ちょっと! 馬場って社員はいる?!」


 肩を怒らせ、ヒステリックに叫ぶ声に、ビクリと身を震わせる。いつも彼女の相手をしてくれる小野路は、長時間の会議からまだ戻ってきていない。尋常じゃない様子に、他チームのマネージャーが「どうしましたか?」と駆け寄った。


「あんたのとこの馬場って女が客に適当なことを説明したのよ! 何も報告を受けていなかったから状況も分からないし、一体どういう教育をしているの?!」


 その言葉に、さっと血の気が引いていく。――昼間に電話で相手をした客が、カスタマーサービスに改めて連絡を入れたのだ。いったいどんなやり取りがなされたのかは分からなかったが、松野の怒りぶりを見る限り、相当な問題になっていることは間違いない。


「……馬場さん、何か知ってる?」

「あ、ご、ごめんなさい……。昼間に、お客様から電話があったので受けたのですが……何を言っているのかよく分からなくて……」

「その客が! 馬場って女がアプリの改修出来るって言ったぞって言ってきたのよ! 何を適当なこと言ってるのよ!」

「そ、そんなこと言った覚えはありません!」

「だいたい! 客からの電話を受けたらカスタマーサービス部にも報告しろって社内サイトにも書いてるでしょう! 何の連絡も受けてないわよ?!」


 ――それも、完全に失念していた。客からの連絡が来ることなんて滅多になかったから、目にはしていたものの、頭からすっかり抜け落ちていたのだ。


 弁明する間もなく松野に責め立てられ、頭が真っ白になっていく。マネージャーが間に入ろうとするものの、松野の怒りはヒートアップする一方だった。


 俯きながら何度も謝罪の言葉を重ねる。「人の顔も見られないのか」とさらに責め立てられ、涙を堪えながら顔を上げると、ちょうど誰かが執務室に入ってくるところだった。――春日部だ。何か用事があったのかもしれないが、一瞬顔を顰めると、そのまま部屋を出ていってしまった。


 軽い失望が亜由美を襲う。助けてほしいとは思わないまでも、同じ部長の立場で何か一言くらい声をかけてくれてもよかったのに――。

 いや、所詮は別部署の派遣社員だ。面倒ごとはごめん、そういうことなのだろう。

 

 今は目の前の女部長の怒りを鎮めることが先決だと、何度も頭を下げていると、突然、執務室の扉が勢いよく開いた。――小野路だ。


 室内をぐるりと見渡した彼は、人の良さそうな笑みを浮かべ、「よーこさーん」と人撫で声を出す。……松野の顔色が、変わった。

 

「ごめんねぇ、僕の指導が行き届いてないばかりに、そっちの部署に迷惑かけちゃったみたいで」

「本当ですよまったく! おかげでうちの部員がどれだけの時間をとられたと思ってるんですか?」

「うんうん、お盆でそっちも人手が少ないもんね。こっちにかかってきたのも事故みたいなもんだと思うんだけどさぁ。ここじゃあ何だから、会議室で少し話を聞かせてくれない? 今後のためにもさ」

「……まぁ、小野路さんがそう仰るのなら」


 あっという間に松野の怒りを鎮めた小野路が、「馬場さんは今日はもう上がっていいよ」と軽く目配せをする。

 亜由美は再度松野に頭を下げ、「大変ご迷惑をおかけしました」と謝罪すると、松野は多少は留飲を下げた様子で「次は気をつけなさいよ!」と指を突きつけ、小野路とともに会議室へと姿を消した。


「……災難だったね、馬場さん」


 まるで嵐のようだった。ようやく肩の緊張を解き、こぼれ落ちそうになる涙を必死に堪える。


「前にも似たようなことがあったから、よーこさんも気が立ってたみたいだね……」

「あんまり庇えなくてごめんね。ああなると、あの人、手が付けられないからさ」

「てか、あっちで電話取れなかったのが原因じゃないですか。棚に上げないでほしいですよ」


 遠巻きにしていた社員たちが慰めるように声をかけてくれ、亜由美は無言でこくこくと頷いた。――元を正せば自分の対応が悪かったのだ。助けてほしかったという思いもあるが、社会人である以上、仕方のない話だろう。


「春日部さんが、小野路さんを呼んできてくれたんですか?」


 社員の一人が声をかけた先には――いつの間にか戻ってきたらしい春日部が、気まずそうな表情で立っていた。


「いや、あの人、小野路さんのこと大好きじゃん? だから小野路さんを呼んできたほうが丸く収まるかなって思ってさ。……俺もあの人苦手だし」


 軽い口調で肩を竦める様子に、亜由美も肩の力を抜く。……見捨てられたと思ったのに、瞬時に状況を把握して助け舟を呼んできてくれたらしい。


「馬場さん、あんまり気にしちゃ駄目だよ。あの人、騒ぎ立てて小野路さんを引っ張り出すのが好きなだけだから」

「そ、そうなんですか……?」

「俺が言ったって言わないでね?」


 しぃ、と。悪戯めいた仕草に思わず頬が緩む。


「さ、今日は早く帰って寝ちゃうといいよ。……んでさ、明日の朝一で、近々締切が迫ってる仕事があったら教えてくんない?」

「……はい、ありがとうございます」

「礼なんて言わないでよ。なんにもしてないんだから」


 何でもないように言う春日部は、「あっ」と思い出したように声を上げた。


「すんません、旅行行ってたんでお土産もってきたんでした。いやぁ、皆様方には日ごろから大変お世話になっておりまして……」

「わぁ、仙台銘菓じゃないですか!」

「そのうちの一日くらい健康診断に行ってほしいんですけどねぇ……」

「賄賂ですか? 未受講の研修、早く受けてくださいね!」

「ははは……」


 すかさず方々から釘を差された春日部は頬を引き攣らせたが、手にした箱から一つ取り出し、亜由美に「はい」と手渡した。


「甘いものでも食べて、元気出してね」


 さりげなく、そして何気ない優しさに、緊張したままの心が解きほぐされていくようだった。

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