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お疲れ様です、人事総務部のリマインドBBAです。  作者: Mel


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02 やっぱりKS部長?

「お帰り。KSに渡せた?」


 どっと疲れた亜由美が自部署に戻ると、小野路がデスクでサンドイッチを頬張っていた。どうやら会議が終わったところらしい。彼もなかなか忙しいらしく、いつもデスクで食事を済ませている。


「渡せましたが……返されました。シュレッダーしといてって」

「あー、ごめんねぇ。まあ、形式的にでも一度渡したっていう事実があればいいから」

「そういうものなんですね……。それと、なんか、リマインドBBAさんって言われたんですけど……」

「あー……ごめんねぇ」


 その様子を見ただけで分かる。亜由美の自虐風あだ名を広めたのは、間違いなくこの人だと。

 小野路は役職持ちであり、各部署の部長とやり取りをする機会も多い。どうやら先日の部長会で、話のネタとして持ち出したらしい。


「――いやぁ、いつも催促ばかりで申し訳ない。ですが、このデータが揃わないと後続のプロセスが進められないんですよ」

「リマインドメールはうちの馬場が送っていますから、ゴミ箱行きにならないように設定をお願いしますよ?」

「本人もリマインドBBAなんて言ってるんですけどね、皆さんがちゃんと期日を守ってくれたら、そもそもこんなメール、出さなくて済むんですからね」


 そうやって提出率の悪い部長たちに笑顔で釘を刺してくれたらしいのだが――。

 春日部の心に響くことはなく、『リマインドBBA』の部分だけが印象に残ったようだ。


 やや焦ったような笑顔で説明を続ける小野路が、「ごめんねぇ」と再度謝ってくる。

 別に怒っているわけではないし、驚いただけなので不問にすることにした。そもそも言い出したのは亜由美自身だ。


 ただ――。

 それを本人に向かって平然と言う春日部を見て、やはりこの会社は常識がない人が多いのだと痛感する出来事だった。



 仕事の特性上、一般社員ともやり取りはするが、圧倒的に部長クラスへメールを出す機会が多い。

 相手はお偉いさんということもあり、なるべく言葉には気を付けているつもりだ。それでもちょっとした言い回しの齟齬で逆鱗に触れ、小野路に出てきてもらうこともしばしばあった。


「小野路さん、申し訳ありません。私がうまく説明できなかったばっかりに……」

「いいのいいの。そのために僕がいるんだから。よーこさんは要注意人物だからね。もし不安に思うことがあったら、メール投げる前に相談してくれて構わないよ」


 その言葉を聞いて、亜由美は思わず「神か……」と心の中で呟く。


 実際、小野路が亜由美のことをどう評価しているのかは分からない。

 だが、彼は決して怒らず、かといって甘やかすだけでもなく、的確に指導をしてくれる。

 この常識外れの会社でやっていけているのも、ひとえに小野路の存在があるからだろう。


 とはいえ、『よーこ』こと松野や春日部のような問題児を相手にしていると、デスクワーク中心の仕事とはいえ精神的にはかなり消耗する。

 提出期日内にデータを更新し、さらに対応完了の連絡まで入れてくれる――。

 ただそれだけで相手が神様のように思えてくるのだから、我ながら判断基準が狂ってきているなと実感した。



「馬場さん、年末の最終出社日に食堂で忘年会があるんだってさ。オードブルやお酒も出るらしいよ。派遣さんでももちろん参加OKだから、時間が合えば顔出してみてね」

「そうなんですね。ありがとうございます」


 派遣にはウォーターサーバーすら使わせない会社もあると聞く。それを思えば、この会社は本当に働きやすいほうだろう。

 忘年会も定時後ではあったが、せっかくだから少し残業をして、顔を出してみることにした。


 食堂内はすでに人でごった返していた。見知った顔も少なくないが、だからといって知人というわけでもない。誰かに話しかけるつもりもなく、手近な料理を取ろうとしていると、同じ部署の同僚を見つけた。


「お、馬場ちゃんお疲れ~。もう年末だなんて早いねー。あ、スモークサーモン美味しかったよ」

「お疲れ様ですー。あれ、進藤さん、ご懐妊では……?」

「ちょっとくらいなら大丈夫だよ! ……ちょっとくらいなら」


 妊婦は生ものを控えたほうがいいと聞いた覚えがあるが、当の本人が平気そうならいいのだろう。

 進藤は労務系の業務を担当し、年度末に産休を取る予定になっていた。


「忙しい時期に抜けちゃってごめんね~。今年度中に健康診断の受診してないの、あと数人だと思うから……」

「はい、催促するのは得意なので任せてください」

「リマインドばばちゃんね。偉いよね、私は急かすの苦手だから、つい後回しにしちゃうんだよね」


 そう遠い目をする進藤に、亜由美も苦笑を漏らす。

 相手にしているのは何かと忙しい立場の人たちだ。そんな人たちに「部下に健康診断をちゃんと受けさせろ」とか、「研修未受講者に声をかけろ」とか、いちいちお願いするのは気が引ける。その気持ちは痛いほど共感できた。


「特にKSの部署はほんと酷いからねー。機材確認調査もボロボロだったみたいだよ。なんであんなのが部長になったんだか……」


 どうやら春日部に対する不満が相当溜まっているらしい。周囲に社員がいるから声を潜めていたものの、徐々に熱を帯びていく。

 この会社にも慣れてきたとはいえ、社内の事情にはあまり詳しくない。

 確かに春日部は部長にしては年若いなとは思っていたが、どうして抜擢されたのだろう?


「春日部さん、最近部長に就任されたんですか?」

「この春の大人事異動でね。若手にも管理職をやらせてみる方針になったんだってさ」

「そうなんですね。……優秀な方なんですね?」

「開発はね? 事務作業は壊滅的なの、馬場ちゃんも知ってるでしょ?」


 ……確かに、と納得する。なんであんなに提出物が守れない人間が上に立っているのか、ずっと理解に苦しんでいたが、どうやら会社の方針だったらしい。


「松野さんもですか?」

「よーこさん? あれはまた別。女性管理職の比率を上げたかっただけでしょ? ほら、女性活躍なんちゃら~の数字を良くしたいだけだよ」

「……なるほど」


 大企業ともなるといろいろとあるようだ。

 だが、会社の方針なんて亜由美には関係のない話だった。派遣という立場をわきまえて粛々と業務をこなし、契約を更新してもらい、あわよくば年に一度の昇給チャンスで時給が五十円でも上がれば万々歳――それが現実的な目標だ。


「あ、噂をすればKSじゃん」


 進藤に促されるまま、人だかりの隙間から壇上を見れば、社長の隣に立つ春日部の姿があった。


「口はうまいし、人当たりもいいから社外からの評判はいいんだけどさ。うちの部署には甘え散らかしてるんだよね。ある種の内弁慶? とっとと健康診断受けてくれないかな……。事務やる秘書でもつけてくれればいいのに……」


 壇上で爽やかにスピーチをしている春日部を横目に、進藤はぶつぶつと恨み言を繰り返す。

 たしかに、他部署では事務作業専任の補助をつけることが多いのに、春日部は頑なにすべてを自分でやろうとしていた。

 その姿勢自体は称賛に値するかもしれないが、結果的にすべての期限を破るなら本末転倒だ。


 不意に、拍手が鳴り響く。どうやら挨拶が終わったらしい。

 軽やかに壇上を降りる春日部と目が合い、思わず「あっ」と声を上げそうになる。


「春日部さん、お疲れ様です~。先日健康診断でしたよね? ちゃんと受けましたよねー?」


 すかさず進藤が笑顔で話しかける。

 彼女の張り付けた笑顔を見た瞬間、春日部は「しまった」とでも言いたげに苦笑いを浮かべた。


「すんません、社外打ち合わせが入っちゃってドタキャンになっちゃいまして……。また予約しといてもらえます?」

「……はぁい、分かりました~」


 張り付けた笑顔が、今にも剥がれ落ちそうになっている。

 それでもさすがは人事総務のプロ。気を取り直し、「早速、医療機関と調整してきますね~」と仕事モードに切り替えた。

 ……たしか、予約枠がもう少ないと言っていたが、大丈夫だろうか。


 進藤が去り、亜由美も春日部に軽く会釈をして、この場を後にしようとする。

 もともと雑談をするような間柄でもないし、二人きりになったところで、ただただ気まずいだけだった。


「あ、私もこれで……お疲れ様でし――」

「馬場さんさ、どうして健康診断の前の日にリマインドくれなかったの?」

「えっ?!」


 突然の言葉に、声が裏返る。

 たしか、健康診断のリマインドは進藤が対応していたはずだ。前日と当日の朝、しっかりメールを送っていたと記憶している。

 訝しむ亜由美を前に、春日部は少し不服そうに唇を尖らせた。


「ちゃんと仕事してくれないと困るよ。だからすっかり忘れちゃって、しんどーさんにも怒られちゃったじゃん」

「え、ええ? 私のせいなんですか……?!」

「だってリマインドBBAさんなんでしょ? 次は頼むよ?」

「あ、それなら登用データも年明けまでなんですけど」

「……また年明けにリマインド送っておいて」


 ――スケジュール管理がなっていないのは春日部のほうでは?


 甚だ遺憾ではあるが、リマインド業務は基本的に亜由美の仕事だ。

 仕方ない。年明け早々に春日部にメールを送るタスクを、頭の中に刻み込んでおく。


「春日部さん、あのプロジェクトの仕様のことなんですけど――」

「あぁ、あれなら――」


 他部署の社員が声をかけた途端、春日部はそちらへと向き直り、もう用済みだと言わんばかりに亜由美のもとを離れた。

 ……本当に、自由な人だ。

 

「お疲れ様でした」と、社会人としての礼儀でその背中に挨拶を送ると、春日部は振り返りもせず、ただ手をひらひらと振った。

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