8 都を治める
更新は1日1回と決めていたのに前回はうっかり2話出してしまいました。
まあいっか。
信長には問題点が痛いほど分かっていた。
岐阜は京から遠い。
(ワシがいない間、畿内をどうやって治めていくか)
畿内で勢力を誇るのは寺社だ。
信長は摂津の本願寺に戦費として銭五千貫を要求する。
本願寺はすぐに応じた。従う意思の表明だ。
興福寺と法隆寺にも多額の課税を命じる。
しかしまだ安心はできない。
信長は将軍義昭に殿中御掟九か条を出し、大寺社のむやみな出仕を禁じた。
寺社勢力が政治に口を出さないように。
次に信長が着手したのは二条城の修復だ。
敵がいつ攻めてくるか分からない状態で、いつまでも将軍を寺住まいとさせるわけには行かない。
先代義輝公が心血を注いで築いただけあって、二条城の基礎はしっかりしている。
三好勢に攻められたさいだいぶ痛めつけられたが、1から作るよりは労力の短縮になった。
信長は畿内だけでなく近隣の国から費用や物資、人員を動員した。尾張や美濃ともかく、若狭や播磨まで従ったようである。おかげで石垣はたった70日で完成したらしい。
(京の民もまだ不安なようじゃ)
信長が京から去ってすぐ別の軍が押し寄せたのだ。
民衆の混乱と不安も収めなければ安定した統治はできない。
「いっそ工事を祭りにしてしまうか」
名石の藤戸石を運ぶ際は、岩を錦で飾り立てまるで祭りの山車行列の様に運ばせる。
「ヨイヤサー、ヨイヤサー」
京の民の顔が久しぶりに明るくなった。
先頭で音頭を取るのはもちろん信長。こんな目立つ役、他の奴には任せられない。
(京への道は複数確保しなければ)
次に考えたのは、岐阜から京へのルート。
琵琶湖の南を通る道だけではいざと言う時困る。
もう一つの道、伊勢ルートも確保する必要がある。
伊勢は美濃攻めの時北部だけは獲得したが、それ以降手をつけていない。
信長は伊勢の平定を決定した。




