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そして覇者になる ~織田信長の物語~  作者: ノーネアユミ
第三章 信長上洛編

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4 京都への道 対六角

 キャラ紹介

 

 六角承禎 琵琶湖の南を支配する戦国大名 ちょっと体が弱いが堅実 隠居済み


 結局、信長は琵琶湖ルートを取った。


 上洛に連れて行く軍勢を考えれば、琵琶湖沿いの平坦な道を行く方が都合は良い。

 伊勢ルートは山間を進むしかないのでリスクが多かった。



 とりあえず六角氏にも手を組まないかと声をかけたが、この時点の六角は三好三人衆と同盟を組んでいる。

 領地の通過は許可が下りない。


 しかし数年前の騒動で六角氏の勢力はそがれていた。途中までは義弟である浅井氏の領地だったし信長は六角氏と対決する方を選ぶ。




「兵を増やせば六角も問題ない」


 尾張・美濃・北伊勢から動員した兵は約三万。 


 9月7日に岐阜城から出発した信長軍は、12日には六角氏の居城である観音寺山に攻めかかった。




 本来であれば山城を落とすのは手間と時間がかかる。

 天才肌ではないが堅実に領地を治めていた六角承禎(じょうてい)が当主であったら、信長は伊勢ルートを選んだかもしれない。



 しかし六角承禎は隠居して息子に家督をゆずっていた。

 そして新当主の息子が、何と言うか‥ ポンコツだった。バカ殿だった。



 家督を譲り受けて数年、親にも相談せず側近の制止も振り切って重臣をだまし討ちにしちまった。


 こんな主君は信頼できない。次は我が身かと恐れをいだいた他の家臣が次々と主家と敵対しちゃったのだ!

 バーカバーカ。



 世に言う観音寺騒動である。



 蒲生(がもう)氏が仲介して何とか戻った家臣たちだが、忠誠心までは戻っていなかった。

 分国法で有名な『六角式目(しきもく)』は、当主が無茶しないように家臣が草案した物だ。




 信長が大軍で攻めかかったら‥ えーっと‥ たった一日で落ちた。


 信長の城攻め、最速記録じゃね?

 だれも命がけで守ろうとしなかったんだね☆


 六角承禎と残念な息子は川を沿って甲賀に逃げる。




 信長は琵琶湖を渡って軍を三井寺に入れた。ここから京までは何も障害はない。

 しかしこれで上洛、とは行かなかった。



 一応支城の箕作城だけは奮戦したけど、夜になるまでに落とされたので六角父子は焦って逃亡しました。


 今回の参考文献は 六角定頼 著 村井祐樹 です。

 六角式目の制定過程を読んでいたら、デジャブが。

 イギリス王ジョンのマグナカルタと一緒じゃん!

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