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そして覇者になる ~織田信長の物語~  作者: ノーネアユミ
第三章 信長上洛編

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1 京都近辺の情勢を適当にまとめてみた

 今回はこの時代の状況と背景をふり返ってみようと思います。


 ‥ ふり返りすぎたかもしれません。

 戦国時代、京の都は荒れていた。



 室町幕府は、京の室町に三代将軍足利義満が花の御所(ごしょ)を建設し住まったことからそう呼ばれている。

 義満は足利家の中で一番の権力を誇った将軍だ。

 つまり、それ以降将軍家の威光(いこう)は下がる一方だった。


 権力は将軍の補佐役である管領(かんれい)に奪われる。

 その管領家も、応仁の乱によって斯波(しば)畠山(はたけやま)は没落する。


 残った細川家は守護大名の六角氏と手を組み都を抑えたのだがそれも一時。

 家臣の三好長慶(みよしながよし)に実権を奪われた。


 この時代の畿内(きない)[*京都周辺]は権力者が目まぐるしく変わり、調べるのも書くのも嫌になるレベル。



 信長が上洛する以前の畿内は、三好長慶によってしばらくの平和が保たれていた。

 しかし長慶が病で死んだ途端に均衡は崩壊する。


 三好長慶は実力者であっても将軍を排除しようとはしなかった。

 まあ将軍と敵対して得られるメリットとデメリットを冷静に計算していたのだろう。



 そんな長慶の後を継いだのはまだ十代の少年義継(よしつぐ)。実力は未知数だが野心だけはあった。


 その三好義継によって将軍足利義輝(よしてる)が暗殺されたのだ。



 興福寺(こうふくじ)に入っていた弟は三好家家臣の松永久秀(まつながひさひで)によって幽閉される。

 


 しかし将軍の弟はわずかな側近と共に敵の手を逃れた。

 今は越前の朝倉氏に保護されている。


 名を足利義昭(あしかがよしあき)と言う。


 

 ところでやんごとなき身分のお方が、由緒正しい寺で育つとどうなるか。

 権力争いの名手になるのだ!


 義昭のいた興福寺は当時畿内でトップの権威ある寺だった。[*だから将軍の弟とかが入れられる]



 興福寺を創建したのは藤原不比等(ふじわらのふひと)

 大化の改新で有名な中臣鎌足の息子だね☆

 みんなが義務教育で勉強した律令政治とか班田収授法とかの時代‥

 その後口分田の不足から墾田永年私財法が制定されて荘園制度が発達したのは覚えているかな?


 そのころから大寺社は荘園の奪い合いをしていたのだ。

 本当に気が遠くなる‥


 何百年も昔から興福寺は大和[*ほぼ奈良]に君臨し、信者をまとめ年貢を取り時に武装し戦う。

 戦うのは外部とだけではない。長い歴史を持つ組織は派閥争いだって苛烈だ。


 

 信長の上洛以前、大和も三好家の支配が及んでいた。興福寺も一応は松永久秀に従っている。

 しかしそれは一時のこと。

 何かあったら権力を取り返そうと、虎視眈々なのはもちろんなのであった。



 足利義昭はそんな興福寺で育ったのだ。



 宗教勢力はくわしくないので比叡山の僧兵についての本を読みました。

 平安時代後期にまで意識をのばしていたので、興福寺もいけるかなって検索してみたら‥


 不比等って藤原の二代目じゃん。え? 興福寺って奈良遷都と同時期なの?


 ガチでクラっとしました。

 スタンダール症候群の一種でしょうか?


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