森部の戦い
濃尾平野の木曽川を超えた先が美濃だ。
川を渡るのはまだ良い。北進してもしばらくは平地が続く。
しかし敵の本拠地は稲葉山城。名前の通り山である。
あたりまえだけど平地より山道の方が移動は困難だ。
軍勢の進軍は個人で行くよりもっと大変になる。
そして攻撃は上からする方が有利になる。
弓の攻撃力が上からと下からでは段違いだから。
大体、標高が三百メートル以上の稲葉山は尾張者には山脈としか見えなかった。
[* 桶狭間山は標高四〇~五〇m ただの丘]
つまり稲葉山城はほとんど難攻不落の要塞。まともに攻めるなんて考えられない。
信長は平地で決戦したかった。
(そのためには城から兵をおびき出さねば)
信長は船で木曽川を超え、さらに飛騨川も超えた。
[*おそらく長良川]
まず西美濃から攻めるために。
この信長の進軍に斎藤家の跡継ぎ龍興は引っかかる。
まだ十四の若さだからしかたないとも言えた。
「敵、墨俣の砦に軍勢を集めております」
斥候が吉報を知らせてくれた。
「これぞ好機じゃ、進軍せよ」
雨が降る中で信長は軍を北上させる。
墨俣から敵軍がくり出し、両者は森部で激突した。
弓をうち合い長槍部隊を前進させる。
「柴田組進めぇ」
「佐久間組もじゃ」
戦場のあちこちで部隊同士がぶつかる。
「我は足立六兵衛、腕に覚えがある者はかかってこい!」
敵軍の大男がさけんだ。
「あれが美濃の首取り足立か」
信長軍に動揺が走る。
尾張でも名が知れている美濃の豪傑だ。みな二の足をふんだ。
そこにさっそうと近寄る一騎。
「前田又左衛門、参る」
前田又左衛門は先の大殿存命のころより信長に仕えていた昔なじみ。
しかし二・三年前に事件をおこす。
信長お気に入りの小姓とけんかになり、切り殺してしまったのだ。
私闘を止めていた信長は激怒し、又左衛門の出仕を禁ずる。
汚名をはらそうと桶狭間の戦いでも活躍したが、まだ許されてはいなかった。
「今こそ命をかけてお仕えいたす!」
前田又左衛門は大男に馬を走らせた。
ブンっと槍がふられガツンとぶつかり、そのまま打ち合いになる。
もちろんこれでは後ろががら空き。
首取り足立の後ろから織田兵が一人近づいて漁夫の利をねらいにかかる。
しかしさすが豪傑、すぐに気がつき槍を振るう。
そしてそのスキを見逃す又左衛門ではなかった。
「ぐふ」
又左衛門の槍が敵甲冑のすき間に深々と入る。
大男は血をはきながら馬から落ちた。
「見事」
さすがに信長も称賛するしかない。
この功績により又左衛門は信長に目通りを許される。
前田又左衛門はもちろん利家です。
切り殺された小姓は拾阿弥君です。