9 敗走
天文十六年の九月、織田軍は木曽川を渡って美濃に出陣した。
合戦は楽勝だった。美濃軍はすぐ逃げる。
「このまま進め!」
父信秀の軍が敵をけちらす。信長も前線に出たいのに、長槍隊の進軍速度がイマイチで後方にひかえざるをえない。
新しく作った長槍隊の威力を見せつけられなくて信長はイライラした。
敵の居城である稲葉山城が近づく。
美濃の大将、斎藤道三は山城に軍勢をすべて逃げこませた。立てこもって籠城戦をするようだ。
「町を焼け!」
信秀は命令する。
稲葉山城は規模が大きい。城攻めは時間も手間も人手も必要になる。つまり簡単には落とせない。
(まずふもとの町を攻撃し、相手の補給路を断つ)
美濃軍が我慢できなくなって出てくるのを、物資を略奪しながら待てば良い。
敵の大将が並の武将であったらそれで充分である。
しかし相手は謀略の天才、斎藤道三であった。
はっきり言って相手が悪い。
道三は籠城すると見せかけて、織田軍が町から引き上げるのを待っていたのだ。
略奪品をかかえて油断しきった織田軍に、美濃勢は襲いかかった。
織田軍は大混乱におちいる。
「若、ここはそれがしが食い止めます!早くお逃げください」
家臣の青山に後ろをまかせ、信長も逃げた。
長槍隊は後方にいたおかげで何とか犠牲は少なくすんだが‥青山は戻れなかった。
織田家全体では武将が五十人も失われる。
とりあえず最前線の砦は死守できたけどまだまだピンチは続く。
「信秀様、古渡の城が放火されました」
織田信秀は「まずいな」と声を荒げた。
古渡の城は信秀の拠点だ。那古野の南にあって美濃勢が手出しできる位置じゃない。
「清州が敵に回ったか」
清州城を拠点としている織田大和守は実質的な尾張の支配者で信秀の仕える相手だ。本来なら味方のはず。
しかし戦国の世では味方さえあっという間に敵になる。
信秀の武力を警戒していた大和守は、敗戦で弱ったスキを突こうとしたのだ。
「クソッ‥斎藤道三に言いくるめられたな」
信秀はあせった。
美濃軍と清州軍からはさみうちにされてしまう。
信長も那古野城に戻って防衛を命じられた。
那古野城と清州城は川をはさんだお隣さん。つまり信長がいる場所が最前線。
「弓組は川を見張れ!一兵も近づけさせるな」
信長は意気揚々と命令した。
もともと那古野の城は平野の中に少し小高い地形に建てられている。守るだけなら簡単だ。
美濃勢と違って清州勢は‥あんまり強くないし。
「政秀、清州をおさえろ」
それでも織田信秀は平手政秀に大和守家との和睦を命じる。
古渡の城はかなり燃やされたので、末森の地に新しく山城を築いて移り住んだが、失った手勢は回復に時間がかかる。
「さすがに美濃とは戦わぬ方が良いか」
信秀は平手を美濃に送った。
斎藤道三とは何とか和平が結ぶことができた。
条件は信長と道三の娘との結婚。
この姫は美濃から嫁いで来たので濃姫と呼ばれる。
平手政秀は信長の家老ですが、この時期は
かなりのピンチだったようで、父の信秀に
使われまくっています。
斎藤道三に負けた時の死者は五千人説と
五十人説があります。
太田牛一は自軍の死者は武将のだけ数える
くせがあるので五十人説を取りました。
新婚ラブラブ話は書きません。
書けないとも言います‥。