8.闇落ち聖女のひきこもり
それから私は、王城の裏手に広がる森の奥に建てられた簡素な作りの平屋を与えられ、そこに移り住んだ。
王城から歩いて半日はかかる距離だそうだが何も問題はない。
部屋の中は王城のものより質素で寝室と食堂の他に部屋が2つあった。一人で寝るだけだから十分すぎるくらいだ。食堂に行くといつでも何か食べられるものが置いてあったので、お腹がすくと何か食べた。
私はすごく体が怠くて、ここに移ってしばらくの間、起き上がるのも億劫なくらいだった。寝て、起きて、ぼんやりして、食事をしたらまたうとうとして、そんな風にしていたら1か月があっという間に過ぎていった。
ある日の夜、ドアをノックする音が聞こえ、私は久しぶりに玄関のドアを開けた。
そこには黒いマントに黒いフードをかぶったカエルがいた。
「……私は誰にも会いたくないし、話したくないの」
「聖女よ、すまなかった」
カエルは玄関で土下座した。
「君が僕に会いたくないのは承知の上で、どうか聞いてほしい」
私は空を見上げ、星を見ていた。
「君にしてきた数々のこと、本当に申し訳なかった。私の視野が狭かったせいで君に辛い思いをさせたこと、反省し心から謝罪したい」
いつの間にか季節が変わっている。夜の秋の風は少し肌寒いくらいだ。
「どうか許してもらえないだろうか。これから誠心誠意、聖女に尽くし、聖女を支えていきたいんだ。せめてそれだけは許してほしい。君の気が済むまで、僕は何をされても甘んじるよ。だからどうか顔を元に戻してくれないか。頼む」
カエルの顔をした王太子は土下座したまま顔を上げた。暗闇の中を緑色の顔がぼんやりと浮かんでいる。カエルだわ。
「元の顔が分からない」
私がそう答えると、王太子はしくしく泣き出した。
「許してもらえるまで、毎日だってここへ来るよ」
「もう来ないで。私は誰とも話したくないし誰の顔も見たくないの」
それから私は再びベッドにもぐりこんだ。
王太子は翌日もやって来たようだが、私はもうドアを開けなかった。ドアは外から開けることはできないようだった。
◇ ◇ ◇
寝て、起きて、ぼんやりして、食事をしたらまたうとうとして。ある時ふと寒さを覚えて目覚めると、窓の外は雪景色となっていた。
久しぶりに頭がすっきりして体が軽い。私は暖を取ろうと、部屋に備え付けてある暖炉に近づいた。
なんとこの世界にもマッチは存在していて、私は見よう見まねで暖炉の横に積んであった薪を組み乾燥した葉を載せて火を起こした。上手くできてちょっと嬉しい。暖かくなるとお腹が空いてきたので、食堂へ行くと軽食が置いてあった。いつもありがとうございます、と自然に思え、手を合わせていただきますと唱える。
お腹もいっぱいになり、さて、と思っているとドアがノックされた。
玄関のドアを開けると、木枯らしが吹きすさぶ中、カエルが立っていた。
「久しぶりね、王太子」
「もう王太子じゃない。ただの王子だ」
「どういうこと?」
「従弟のヘンリーが新しく皇太子に立てられた」
「そう」
カエルの王太子はカエルの王子様になったようだ。
王子はちょっと痩せたみたいで、すさんだ雰囲気になっていた。
「この顔では王にはなれないそうだ。……中身は僕のままなのに、カエルの顔ではダメなんだそうだ」
そうでしょうね。
「なあ、これは君の力なんだろう?君がやったことだよね。頼むよ、元の顔に戻してくれ」
「分からないわ。私には聖女の力なんてない。無能聖女なんでしょう?」
「あんな噂!どうして君の耳に入ったんだ!くそっ!どうして僕を信じてくれなかったんだ……その力を、僕に教えてくれなかったんだ……」
「勝手なことばかり言わないでよ。あなたのそういう独善的なとこ、うんざり」
カエルはびっくりしたのか大きな目を真ん丸にした。
「え……?」
「自分勝手、独りよがり、自己中心的。私のこと、利用することしか考えてなかったよね!」
「そんなことはない!誤解だ!聖女、聞いてくれ!」
「嫌よ」
「話せば分かるから……話し合おう。僕の言うことを聞いてくれないか。頼む」
「私の言うことを聞いてくれないのに?」
「だから、聖女……」
「あなた、私が会いたくない、話したくないと言っているのに、こうしてずけずけと私の前に現れて、勝手なことを言っている。わかる?私のことものすごく軽く扱っている。バカにしてるわ。そんな人、私だって嫌いよ。顔も見たくないわ!」
王子は絶句した。
「それは……だから……」
「あなたは私がいなくて困っているんでしょ?でも私はあなたがいなくても困らないの。あなたなんて要らないの!」
呆然と立ち尽くすカエルに私は思い切り怒りをぶつけた。
「あなたなんて大嫌い!さっさと出て行って!!!」
次の瞬間、王子は玄関ドアの外にいた。
王子は慌ててドアに縋り、ドンドンと打ち付けた。
「ごめん!僕が悪かった!!許してくれ!ユイ!」
私は暗くなった部屋で耳を防ぐ。
言いたいことを言ってやったわ。すっきりした。
あの人のこと、本当に嫌い。大嫌い。気持ち悪いわ。顔も見たくない。
私にあんな扱いをして、私の自尊心を粉々にした。
カエルになって、苦労してるみたいだけど、いい気味だわ。
私は独りなのだから、一人にさせて。
私が傷ついたら、誰かを傷つけてしまう。
もう誰も傷つけたくない。
私はもう誰にも嫌われたくないの。
ひとりでいさせて。
「どうして?何がそんなに悪かったんだ。ユイ、教えてくれ」
外から聞こえる王子の声がだんだんと小さくなる。
「僕がしたことはそれほど罪深いことだったろうか。このような罰を受けるほどのことだったのだろうか」
分からないわ。でも私は傷ついたの。
「僕はそんなに悪いことをしただろうか」
王子のか細い声に、少し胸が痛んだ。