仮定1
満開の桜が咲く中、俺はテンションの低い天才君と無理やりハイタッチをした。
「来たぜ、入学式っ!!!!今日の日をどれだけ待っていたことかっ!!」
俺は拳を握りながら、舞う花びらを睨みつけた。
「落ち着いてよ。雷雅」
その隣に影のように静かに立っている天才君がなだめた。
「教室に行こう。そこで神原柚等を待つ」
緊張してうまく歩けない子供のような歩き方で教室に向かう俺を天才君は2歩後ろから見守る。
いつも天才君は俺を見守ってくれてる。どんなときも天才君は俺から離れていかない。
俺が困った時にいつも助けてくれるのは天才君だけ。
天涯孤独な少年の俺を見捨てないのは天才君だけ。
だから俺は天才君が俺を必要としてくれる限り、天才君と一緒にいようと思う。
「こけても知らないよ。いっとくけど僕は救急セットとか持ち歩くタイプのかわいい女の子じゃないからね」
左右対称の綺麗な眉をひそめて天才君はいった。
「ハハハッ知ってるサ。それぐらい」
ちなみに、天才君とは、倉下麗という、とても綺麗な顔立ちに完璧なスタイルの少女のことだ。
新しい制服に汗が染み込む。それでも、柚等は走った。
走りづらい少し大きめの新しい革靴。まだ硬くて歩くことさえ慣れないのに・・・・・・。靴擦れをしたのだろうか。足が痛い。でも構わず柚等は走った。
家から駅までの道は自転車で15分かかる。柚等はその道を走っていた。
途中、満開の桜の木に寄りかかって柚等は通学鞄を振り回し呟いた。
「はぁ、はぁ、入学式だけ、は、遅刻、したく、ないっ!!」
そしてその桜の木に頭突きをして、桜の花びらが舞い散る空に向かって叫んだ。
「それ、だけは、絶対、絶対、ありえないんだぁっ!!!」
最後のだぁっの部分で、柚等はまた走り出した。
「まってろよーーっ!電車ぁあー」
目覚まし時計の時間があっていなかったせいで寝坊した女子高生を待ってくれるほど、電車は優しくない。
電車が着くなり、柚等は息を切らしながら、ホームをでた。一番上の階段から足を踏み外し、柚等の体は宙を舞った。
「おっとっと、ってうわぁああっ」
手を地面について一瞬逆立ちをして、すぐに背中を反らして脚を地面につけた。そして、両腕を横に広げて、ポーズを取った。
「おっと。こんなことしてる場合じゃないっ!!」
柚等は綺麗な着地を披露してから改札を飛ぶようにでて駅から学校まで走った。
柚等が頑張って走っている頃、教室には2人の新入生がいた。
1人は窓から長い足をだして、その足を小学生のようにブラブラさせて鼻歌をうたっている。
もう1人はそれを心配そうに見つめて、床に体育座りをしている。
鼻歌を歌っている方は、長身で顔もよく、とても恵まれている外見をしている。体育座りの方については、なぜか仮面をして、顔まで覆う長いコートを羽織っているため何も分からない。
「なぁ、天才君。俺のパートナーは今日、本当にこんな時間に学校に来んのかぁ?」
鼻歌が仮面に聞いた。
「本当だよ。僕は君に嘘はつかない。君は僕の情報屋としての能力が信用できないのかい」
仮面は鼻歌を睨んだ。といっても、顔が見えないので定かではない。
鼻歌は鼻歌をやめて振り返った。
「そんなことないサ、天才君。ただ、天才君がなぜ俺のパートナーの行動を予測できるのか疑問に思っただけサ。俺が天才君を信用してんのは、天才君が一番わかってるだろ」
鼻歌は優しい笑顔で仮面を見つめた。この笑顔があればどんな年齢の女性でも顔を赤くするだろう。
「君は本当に意地が悪いね。わざとだろ?何度も何度も天才君と言うのは。いい加減やめてくれよ。僕は天才なんかじゃないんだから。」
ハハッと鼻歌が爽やかに笑った。
「俺から見たらお前は天才サ。お前からみた自分は天才じゃないかもしれないけどな」
フフッと仮面が呆れたように笑った。
「君はよくそんなようなことを言うね。僕には少し分からないな。……そんなことより、もうそろそろだと思うよ、君の言うパートナーが息を切らして来るのは。おいしいジュースを準備してあげたらどうだい?」
話しながら仮面はコートを脱いで、仮面を取った。コートの下に着ていた制服から、ふわりと甘い香りがした。
「なんで取っちゃうんだよ。お前は隠れてていいんだぜ?お前が外に出ただけでもすごいのに、俺以外のやつと会うとかキツくないか?」
鼻歌は慌てて窓から足を戻して、仮面を拾った。
「無理なんかしてないよ。僕は君の選んだパートナーに会いたいんだ。会うからには、ちゃんとした服装をしないとね。こんなの付けてたら怪しいじゃないか」
「お前が誰かに会いたいって言うの俺初めて聞いたよ」
「僕が覚えている限りでも初めてだよ。君以外に会いたい相手なんていないしね。……でも、やっぱり仮面は付けとくよ。これがないと僕、駄目みたいだ」
仮面は照れたように頭をかいたが、無表情の顔からは何も伝わってこない。
「嫌になったらすぐ言えよ。俺やパートナーに遠慮することなんかないんだからサ」
鼻歌は、もうすでに仮面をつけた仮面の頭に手を置いた。
「いつも遠慮なんかしてないよ。君はそろそろ僕なんかよりパートナーの事を考えた方がいいんじゃないかな。君のパートナーは大事な時に限って寝坊したと思い込んで、早く来すぎてしまう習性があるんだ。本当におもしろい子だね」
仮面は鼻歌の手をどかしながら、校門を窓から見た。仮面をつけた状態では何も見えていないのに、彼女には世界が見えているようだった。
「ジュース買いに行ってくる。天才君はここで待機だっ!」
そういうと鼻歌は窓枠に足をかけ、仮面に向かってウインクしてから、飛び降りた。
「2階から飛び降りるなんて、僕にはできないよ。やっぱり、僕なんかよりずっと君はすごい」
仮面はコートを羽織直して、鼻歌の背中を見つめた。
「覚えてろよぉ!!!目覚まし時計と自転車ぁあっ!!!!」
わたしは校門に着くなり、そう叫んだ。
「まず、あの時計があってたら良かったんだ。なんでズレてんだよ。信じらんないっ。自転車も自転車だよ。こんな時に限って、チェーンが外れるって……。あれ……どこに乗り捨ててきたっけ?」
散々目覚まし時計と自転車の悪口を言ってからため息をついた。
そしてさりげなく校舎の時計を見た。
「えっ。嘘ぉっ!」
わたしは顔の広げられる穴という穴をすべて広げて座り込んだ。
「嘘なんかじゃないサ。腰を抜かした俺のかわいいパートナーちゃん。はい、ジュース」
「ぬおぅっ!!」
わたしは目の前に差し出されたパックジュースに驚いて、奇声を発した。
「ハハハッ。もっとかわいい反応してほしかったなぁ。ハハ、ぬおぅはないよ。ハハハッ」
いきなり現れた爽やかに笑う少年をわたしは思いっきり睨んだ。憎たらしいほどに端整な顔立ちだった。頬が少し赤くなってきたが分かる。しょうがない。思春期の女の子なのだから。
「ジュ、ジュースはありがたくもらうけど……。あんた、誰」
「俺は、瀬戸雷雅。かみなりにみやびで雷雅。わかるかな?」
「わかるよ。それぐらい。か、漢字は得意な方だからね」
わたしはパックジュースをストローで飲まずに、口の部分を開いて逆さまにして、一気に飲み干した。
「ハハッ、いい飲みっぷり。トマトジュース、嫌いじゃなくてよかった。ところで君はいつまでそんなところに座っているんだ?」
わたしは無言で雷雅をまた睨んだ。よく見れば見るほど綺麗な奴。
「何か、俺怒らせることした?」
わたしはうつむいて、舌打ちしてから勢いよく立ち上がった。
「怒らせるもなにも……。このくそ機嫌の悪い時にナイスタイミングでウザイ奴。今日の私は本当についてないぜ……」
わたしは、雷雅の目を真っ直ぐ見て、不気味に微笑んだ。
「私の名前は神原柚等だ。君じゃない。あとなぁ、瀬戸雷雅……お前のパートナーでもないっ!!!」
わたしは人差し指を雷雅の眉間に食い込ませた。いや、正確に言うと長く伸びた爪を食い込ませた。
「痛っ!爪長っ!反則だってそれはぁあ!」
眉間をさすりながら叫ぶ涙目の雷雅に120円を握らせて、
「なにかしてもらうのは好きじゃないんだ。おいしかったよ。すんごーい喉渇いてたし助かった。ありがとう。それにトマトジュースは嫌いじゃないんだ」
わたしは振り返らずに、手を振った。
「今のわたし絶対決まってるッ」
小さく呟いて、ガッツポーズした。
「待ってよっ!柚等ちゃん。教室でゆっくり話そうぜ。まだまだ入学式には時間があるんだからサ」
そう言って、わたしの肩に馴れ馴れしく腕を回してきた。わたしと目が会うとウインクをしてきた。しばらく、雷雅の顔に見蕩れてから、またさりげなく時計をみた。
「……時間がある。そうね、憎たらしいことに入学式まで時間がありあまってる。遅刻しないために走ったのに…まさか、時間を見間違えていたなんて……不覚」
ハハハッとまた雷雅が笑った。わたしの肩に乗っかったままの腕が揺れた。
「笑うなよ。わたしがどんだけ必死に走ったと思ってんの」
柚等はさりげなく雷雅の腕を肩から払い落とした。
「柚等ちゃん最高!遅刻だと思って走ってくるとかっ。ハハハハ、ヤバいよ」
「……最高って言われるのは嬉しいけど、なんかなぁ、理由が…」
「まぁまぁ元気だしてっ」
雷雅が背中をドンッと叩く、と同時にわたしは足を高くあげて雷雅の顎を蹴り上げた。
「レディを叩くなんて失礼な奴」
わたしはしりもちをついた雷雅を冷たく見下ろした。
「ハハハッ遅刻だと思って必死に走るなんて馬鹿な奴っハハハハハッ」
爆笑しすぎて雷雅の目には涙がたまっている。何をされてもへらへらと笑う男を見てわたしは、ろくな大人にならないな、というか、将来嫁の尻に轢かれてそうな奴だ、とかそんなことを思った。
わたしは馬鹿に手を差し出した。
「たてよ。教室でゆっくり話すんだろ?」
「ハハッレディとか言うならサ、話し方からレディにしたらどうなんだよ」
「そんな話し方する私、見たい?」
わたしは雷雅の腹にパンチした。
「痛っ!!!」
そう叫ぶと雷雅は大げさにわき腹を押さえた。
「そんなに痛くないだろ」
「違っ……がっつりレバーに入った」
今度は痛くて目に涙をためている雷雅の顔を正面からわたしは見つめた。
「フッ……わざとだよ。ハハハッ」
「へっ?」
雷雅は、顔を覗き込んでニッと笑ってくる少女を信じられないという目で見つめ返した。
間抜けな顔もなかなか、かっこいい。と勝手に頭の中で評価した。
「や、やっぱり、異常だよ。柚等ちゃんは」
雷雅は苦笑いしながらウインクした。
「いつまで痛がってんの」
「永遠に……。じゃなくて、教室で俺の親友が待ってんだ。そいつをあんまり1人にしとくと不安なんだよね」
わたしは怪訝な目で雷雅を見た。立ち上がった雷雅はわたしよりもずっとずっと身長が高く、わたしは雷雅を見上げる形になった。
「なんか気に食わないな」
わたしは唇を尖らせてそっぽを向いた。
「なにが気に食わない?」
「知らね」
雷雅はわたしのパンチを警戒しているのか、数歩後ろに下がっている。
「なんか怒ってる?」
雷雅が上目遣いで見てくる。なんとなくムカついて、教室までの道のりは絶対口を聞かない、とわたしは誓った。
「いいよ、別に無視しても。俺慣れてるからサ。平気だぜ。全然効かないから」
わたしは、足を止めて、子供みたいに口を尖らせて言う雷雅を見つめて、とっておきの頭突きをくらわせてあげよう、とわたしは心の中で決めた。
「いってぇーーっ!!!!」
広い廊下に、雷雅の叫びが、木霊した。
「雷雅の声だ」
麗はひとり教室で、仮面をはずして、呟いた。
「叫んでないで早く帰ってきてよ。こんな広いところで僕をひとりきりにしないで……」
アーモンド形の瞳からとめどめなく涙が流れていた。
「雷雅の馬鹿」
麗以外、誰もいない教室に、麗の嗚咽だけが響いた。
真っ暗な部屋に、PCの画面がぼぅっと光っている。
その前に座りこむ、フタツのかたまり。
その1つがもう1つのかたまりを、指先でつついて、囁いた。
「次。説明。欲しい」
つつかれたかたまりが答える。
「これで、すべてのシミュレーションは終わったよ。次はない」
「次。現実?」
かたまりは見つめ合った。そっくりな互いの顔をまじまじ見て、
「やっと現実だよ。仮定は終わったんだ。現実の彼等のゲームを始めよう」
「ゲーム。開始。彼等。伝える」
「それは僕が伝えるよ。まかせておいて」
「明日。一緒。私も。一緒。行く」
「あぁ」
1つのかたまりが揺れて、立ち上がり、電気をつけた。
「あぁ。眩しい」
2つのかたまりの姿があらわになった。
1つは女。もう1つは男。
男の方が言う。
「明日の準備をして、今日はもう寝よう」
女が目を瞬かせながら、頷く。
「準備。私が。ジュン。寝て。私。準備」
「ありがとう、サラ。じゃあ、まかせたよ」
と、言ってジュンは目を閉じた。
サラはそっとジュンの体を支えて、ゆっくり横たえて、
「おやすみ」
小さく呟いた。
そして上に手を伸ばして、電気を消す。
再び部屋はPCの明かりだけになった。
目を閉じたかたまりと、動き回るかたまり。
夜は静かに訪れる。