プロローグ
キーボードを叩く音をBGMに瀬戸雷雅はコーヒーを啜った。
「はい、雷雅。桜庭高校に今年入学する生徒の情報を一覧にしたよ」
そう言って、倉下麗は青白く細長い手でパソコンの画面を指した。
長い睫毛に前髪が乗っかっていて、目を開けるのがめんどくさそうだ。
「おぉ、早いな。ありがと」
雷雅がニコッと笑って麗の方を見た。
「そんな顔で僕の方を見るのはやめてくれないか」
形の整った顔を思いっきりしかめて、麗はトマトジュースを飲んだ。
「そんなに顔しかめんなよ。綺麗な顔に皺ができるよ。……む、この子の情報をもっと詳しくみたい」
パソコンの画面を指差して雷雅は麗を横目で見た。
画面には1人の少女の顔写真とその少女の情報らしきものがズラリと並んでいた。
少女の名前は、神原柚等。
「神原柚等か……まだ詳しく調べられてない。1週間待っててくれ」
麗は両手の指を7本、顔の横に並べて、満足そうにパソコンの画面を見た。
一週間後、麗は言ったとおり神原柚等の情報を完璧に調べてきた。
「どうだ。僕の情報収集能力は世界トップなんだ。本当は1週間も待ってもらう必要はなかったんだけど、なんたって雷雅に渡す情報だからね。失敗は絶対したくなくて」
麗は意味ありげな笑みを浮かべて言った。
「そりゃどうも。プロの情報屋にタダで情報を貰えるだけでもありがたいのにサ。悪いな」
「悪くなんかないよ。君は僕の救世主なんだ。これぐらいするのは当然だよ」
雷雅は照れて首筋に手を当てた。
「救世主とか大げさだよ。俺は何もしてないのにないんだからサ」
麗は雷雅の言葉に大きく首を振った。長い髪が彼女の華奢な背中で揺れた。
「雷雅はいじめにあっていた僕を救ってくれた。いや、いじめからだけじゃない。雷雅のおかげで僕の世界はガラリと変わったんだ。何もしていないなんて言わせない」
「あぁ、それは……だからその…………何回も言ってるだろ。俺はただ、麗と友達になりたかっただけなんだって。そんな救世主なんて大したもんじゃないのサ」
「雷雅は充分救世主だよ。いじめられッ子と友達になってくれたんだからね。雷雅は僕の初めての友達だよ」
「……俺って普通だろ。だから、麗みたいな変わってる奴が気になるんだ。他とは違う、ズバ抜けた何かを持ってる奴が好きなだけ。ただそれだけサ」
そう言って、雷雅は麗にトマトジュースを差し出した。麗はトマトジュースを受け取ると、くんくんと、カップに鼻を近付けて、トマトの香りを嗅いだ。そしてカップのふちに口を添えたまま、雷雅を見た。
「神原柚等の情報を見せてくれ」
「いいよ。準備するから少し待ってくれ」
麗はノートパソコンを開いて、キーボードをせわしなく叩いた。
白くて長い指が忙しそうに動きまわるのを雷雅は見つめた。
「俺、文章読むの苦手だからサ、声にだして読んでよ」
「わかった。神原柚等の知りたい事を質問してくれ。それに答えるから」
麗は自慢の白い歯を出して笑った。
「家族構成だ。このまえ見たやつには両親の名前や職業までは載ってなかった」
キーボードをカタカタと叩いていた麗の指が止まった。
「父親の名前は神原兎等で元プロボクサー、母親の名前は神原柚李で元飛び込みの選手。オリンピックにも出たことがある。どちらもかなり美形だ。写真見る?」
麗はパソコンの画面を雷雅の方に向けた。
「ほんとだ。てか、どちらも“元”ってことは今は無職なのか」
「そうみたい。でも、お金はありあまってるみたい。家もすごく大きいし、別荘もある。車は半年に一回の割合で新車を購入している。二人とも美しいしね、かなり儲けてたみたいだ。それにしても金ありすぎだな」
「金持ちかどうかなんてどうでもいい。これで分かった」
1人で納得して満足そうな顔をしている雷雅を麗は睨んだ。
「何がわかったんだい?僕にも教えてくれないか」
「何って神原柚等が異常に運動神経がいいわけサ」
余裕の笑みを浮かべた雷雅は、何か言おうとした麗を手で制した。
「この前見せてもらったのにな、神原柚等のスポーツテストの結果があったんだ。それ見て俺びっくりしっちゃったぜ。全部1位なんだ。体格がいいわけでも、特別身長が高いわけでもねぇのになんで、全てで1位なんだ?そのわけが今分かった。両親がそんなスーパーなスポーツ選手なんだもんな」
「それはすごい。あっ、父親は今、作家をやってるみたい。結構売れてる」
それから前に見せた情報を見て、麗はため息をついた。
「前の情報にスポーツテストの結果が載ってたなんて、僕知らなかったよ」
「自分で作ったのに?麗ってやっぱり変な奴だな。習い事も教えてくれ。大会の成績とかはいらない」
「習い事……神原柚等はダイビングスクールに通ってる。ボクシングもやってるみたいだ。バレエもやってる。あとは……ピアノ、バイオリン、習字」
雷雅は、指折り数えながら読み上げる麗をおもしろそうに眺めた。
「忙しそうだな。それだけ習い事してると。休みの曜日教えてくれ」
「えっと……。土曜日だけだね」
「わぉ。頑張る子だな。神原柚等」
「もう、聞きたいことはないかい?」
雷雅は目をつぶってゆっくり頷いた。
「この子に決めたのかい?他の子は調べなくていいの?」
「あぁ。神原柚等ほど俺のパートナーに相応しい子はいないサ」
麗は空になったコップを片付けて、ベットにもぐりこんだ。
「おやすみ。麗」
「む、おやすみ」
雷雅も麗をならって布団を敷いてもぐりこんだ。
静かな部屋に麗の寝息が心地よく響く。
「神原…柚等……か」