"月の無い夜の星"②
魔術学院は、魔術に関する貴重な資料が保管されているが、それはかなりの数になる。それらを管理している管理棟、学生たちが学ぶ校舎、講師陣の研究棟、古代文献専用と、魔術関連の一般書物専用の図書室がそれぞれ一棟ずつ。その他にも多数の建物が存在するので、例えば管理室から盗み出した"月の無い夜の星"をそれらのどこかに隠したところで、そう易々とは見つけられない。
魔術学院に通っている生徒は魔術師の卵なので、使える魔術を限定できるよう制御結界を張っている。その為、探知用の魔術―――特定の人や物を探すことができる魔術―――を使うには、魔術学院に張っている結界を一度解く必要がある。あるかどうかわからない代物の為にそれをするのは非常にリスクが高い。
「どちらにしろ、今は様子見するしかなさそうだね」
「そうねぇ。ああやだやだ、見つかっても見つからなくても厄介そうな案件じゃない」
「一応、国家魔術師たちの耳には入れるよう言われていましてね。先輩には僕から話すことになっていました。……近々会うだろうから、って陛下からの鳥は言ってましたけど、まさか生徒として会うことになるとは思ってもみなかったです」
レティシアもまさかかつての後輩にこんなところで会うとは露程も思っていなかった。卒業後も年に数回は会っていたが、カミルが今何をしているのか等気にもとめていなかったので教師になっているとは知らなかったのだ。
「また何か進展がありましたら、お教えしますよ」
「……そうね、私も気にしておくわ」
一度魔術学院に行ってみた方がいいかなぁ、とレティシアは思う。卒業以来たまに足を運んでいるが、レティシアがあそこに行くと生徒たちから奇妙な物でも見るような目を向けられるので居心地が悪い。本音を言えばあまり行きたくはない。
難しい顔をしていると、目の前に焼き菓子が差し出された。視線をあげると、ウィリアスタがそれを指で摘まんでいる。反射的に口を開けると、ひょいっと放り込まれた。
さくさくと咀嚼すると、その優しい甘みと香ばしいナッツの触感にレティシアは瞳をキラキラさせた。再度口を開けると、またしても焼き菓子が放り込まれる。
「レティ好きでしょ、こういうの」
「うん。おいしい」
四回程繰り返したところで、紅茶を飲んで喉を潤す。ご満悦そうなレティシアと、実に楽しそうなウィリアスタを前に、カミルは自身の光景が幻か何かかと一瞬我が目を疑った。
カミルの視線を受けて、リオネルは食べていた果物の果汁で少々赤く染まっていたウィリアスタの服を自身の魔術で綺麗にしてやってからぱたぱたと飛び、今度はカミルの肩の上に落ち着く。
「……あの二人って」
「一応まだなんでもないぞ」
「あれで…?」
この国は家族や婚約者ではない異性に対しては程よい距離感で接することが望ましい、とされている。優秀な王太子殿下がそれを知らないはずがないが、彼らのそれは凡そその「距離感」から逸脱しているように見えた。
ああなるほどそういうことか、とカミルは理解する。先程妙にウィリアスタが自身に対し攻撃的だった理由も納得した。
そして、何の衒いもなく手づから菓子を食べさせられているレティシアを見て、カミルは空恐ろしくなった―――どこかの国の言葉に触らぬ神に何とやら、という言葉があるそうだが、正にそれである。
「……先輩は相変わらず、ですね」
「?」
カミルに妙な笑顔を向けられ、レティシアは首を傾げる。その初孫でも見るみたいな視線は何なのだろうか。カミルはレティシアよりだいぶ年上ではあるが、祖父と孫程離れているわけでもない―――大体彼はまだ独身だ。
「今日のところはお開きとしましょうか。また何かありましたらお呼びします」
「分かったわ。じゃあ、また―――」
「あ、そういえば…来週辺り魔力判定がありますので、気を付けてくださいね」
ふと思い出したようにカミルに言われ、レティシアははた、と固まる。
来週からは魔術実習も始まる。それでは魔力値や現時点での能力によって班分けされ、それぞれの班にあった課題が課せられる。その班分けの為に行われるのが「魔力判定」だ。
魔力は、使えば使う程向上していく。無論個人の限界値もあるが年に一度しか判定しないため、王立学院では実習前に再測定を行い、実習のための班を再編成しているのだが―――。
「王立学院の魔力判定装置の最大測定数量は確か十万までです。……先輩、卒業してから計測しました?」
「……してないけど、最後に測ったときは……ななひゃく…えっと、いくつだったっけ」
「……確実に壊れますよ。しょうがないですねぇ、僕からレスターに話しておきましょう」
「……レスターって、まさか」
カミルはにっこりと笑って、レティシアの嫌な予感を見事的中させた。
「ええ。王立学院の魔術関連の授業はすべて魔術学院の講師が兼任しています。ですから、レスターも貴方のよく知るレスター・アレンシュタインですよ」
かつての旧友の名に、レティシアはひどく懐かしい思いが胸を掠めた。魔術学院は三年しかいなかったが、その三年間でもそこそこ楽しかった思い出もある。
―――レティシアは母を失くしてからリオネルに出会うまで、ずっと一人きりだった。同い年くらいの子供が父親と母親に挟まれ両手を繋ぎ、楽しそうに家へと帰って行く光景を視界の隅に置きながら見えない振りをしていたあの頃には、想像すらしなかったであろう思い出がたくさんある。
レスターはレティシアと同時に卒業した男だ。彼もまた教師になっていたとは初耳だが、カミルとは違い卒業以来あまり会う機会がなかった。故に会えるのは嬉しいと言えばうれしいが、彼もまた癖の強い男なので少々不安だ。
「レティって、俺たち以外に友達いたんだね」
「喧嘩売ってるなら買いますけど!?」
「はいはい。本当にそろそろ帰ろうか。アレクのことだから夕飯食べずに待っているだろうし」
気付けば、寮での夕食に指定されている時間を少々過ぎている。決まった時間以外に食べるには自身で調達するしかなくなるので、確かにそろそろ帰らなければならない。
「引き留めてすみませんでした。では」
「お菓子ごちそうさま」
「邪魔したね」
「まったな~!」
とんでもございません、とウィリアスタに一礼するカミルに手を振り、レティシア達は寮へ向かい、そのまま食堂に着くと案の定待っていたアレクセイに少々の文句を言われながら夕食を取り、レティシアの三年振りの学生生活一週間目は終わった。
尚、焼き菓子を数個食べてお腹が満たされていたレティシアは食べたくないと主張したが、笑顔のウィリアスタに却下され規定量の半分だけにしてもらい、頑張って食べた。
* * *
エルネスティーヌはその光景を見て、手にしていたフォークを折りそうなくらいに握り締めた。貴族令嬢らしくそこまでの握力はないが、気分的にはぱきりと折っている。
自習を終えたエルネスティーヌは、夕食の時間を少々過ぎてから食堂に向かった。平等を謳う学院ではあるが、高位貴族向けとそれ以下の貴族向けで食堂は分かれている。高位貴族向けの食堂の入り口で、ウィリアスタの背を見つけて昂揚し―――次いで、背の高い彼に隠れ一瞬見えなかったあの女を見つけ、声をかけようと開きかけた口を閉じ、唇を噛んだ。
(どうして、あの子がまた殿下と一緒にいますの!?)
信じられないことに、ウィリアスタとその女―――レティシアはアレクセイと同じ席に着き、食べ始めた。高位貴族向けの食堂には給仕係がおり、その彼に最初は首を振っていたが、隣に座るウィリアスタに何か言われた後渋々注文していた。
そう、隣に座っているのである。
「エルネスティーヌ様、ごきげんよう。ご一緒しても?」
「……あら、ごきげんよう。ええ、構わなくてよ」
話しかけてきたのは親戚筋の侯爵令嬢だった。共に席に着くと、彼女もまたレティシアたちの方を見て渋い顔をしている。
「ご覧になりまして?いくら殿下方がお優しいからって、あんな…」
「ええ…きっと、貴族社会が何たるかを、ご存じないに違いありませんわ。……わたくしたちでお教え差し上げた方がよろしいかもしれませんわね」
レティシアはそんじょそこらの貴族令嬢より遥かに高等な淑女教育を受けているのだが、それを彼女たちは知る由もない。嫉妬というフィルターを介した彼女たちには、レティシアが身勝手にウィリアスタたちの傍にはべっているようにしか見えない。
(そうよ……許しませんわ。殿下は、このわたくしの婚約者になる方ですのよ)
幼い頃から天使のように愛らしく蝶よ花よと育てられたエルネスティーヌは、「お前は可愛いから、将来はきっと王太子殿下に嫁ぐのだ」と言われてきた。それを信じ込んでいる彼女は、自身がウィリアスタの婚約者になると信じて疑わない。
だから、突如現れたウィリアスタの周りをちょろちょろしている子ネズミのようなレティシアが心底気に食わなかった。殿下は、わたくしのものですのに―――と。
確かにこの国では、十八になるまで婚約者を定めない決まりではある。だが、王族―――特にいずれ王妃になることを確約された者が、十八になって婚約してからそれ相応の教育を施すのでは遅い。
故に、伯爵位以上の家に生まれた場合は幼少の頃からかなりの教育を施されるし、定期的に王主催の夜会や王妃主催のお茶会に参加させられる。それを自身が「候補」だと勘違いする者も多い。
―――以前はともかく、ウィリアスタは特に候補を定めたりもしていないのだが、外野というものは自己の都合のいいように解釈しがちだ。
(……少々わからせて差し上げねばなりませんわね……何かいい方法は)
「そういえば、来週はいよいよ魔術実習がございますわね。去年より難しくなると聞き及んでおりますので、わたくしは少々不満なのですけど……エルネスティーヌ様は魔術も優秀でいらっしゃいますから、心配ございませんわね」
どうやってレティシアを痛めつけようが考えていたところで、令嬢が話題を振ってきた。それを聞いて、エルネスティーヌはふとあることを思いついて美しい顔を昏く歪ませる。
「―――ええ、もちろんですわ」
令嬢にそう返し、込めすぎていた手から力を抜いて食事を再開した。
―――来週がとても楽しみですわ、と思いながら。
長くなってしまったので今日はここまで。
なるべく更新できるよう頑張ります。