それを人は天才と呼ぶ
レティシアが王立学院に転入して、早くも一週間が経過しようとしていた。
その間、政治学やら高位貴族特有のマナーやら、様々な授業があったがレティシアにとっては師に拾われた後行われた淑女教育ですべて習ったことで、復習にすらならず大変つまらなかった。何度授業中に寝そうになったことか-----ウィリアスタもアレクセイも同様のはずだが、さすがに真面目に受けていた。
そんなこんなで転入後最初の一週間最後の日。今日の授業は午前中一杯「術式構築理論」の講義が予定されていた。魔術馬鹿のレティシアは、非常にわくわくしていた。
(魔術!今日までずっと退屈だったけどやっと魔術に触れられる!ああ、どんな内容なのかしら。短距離転移における術式構築の簡略化についてかしら、それとも特級攻撃魔術を行使する際構築すべき術式の数は何個が最適か、という話かしら。それとも-----)
レティシアが考えていることは非常に高度なのだが、いかんせん本人は気付いていない。
いつもは退屈そうなレティシアがにこにこで席に着いているのを見て、ウィリアスタは心の中で笑う。レティシアの考えなどお見通しな彼はきっとこの後とてもがっかりした顔になるであろうことがわかっているが、その顔が見たいので言わない。
始業のベルが鳴ると同時に、本日の講師がやってきた。王立学院の教師はクラス担任除いてすべて外部から招致しているのだが、レティシアはその講師の顔を見て凍り付いた。
-----とても見覚えのある顔だったからである。
「三年生のみなさんこんにちは。術式構築理論の授業を担当します、カミル・イルサと申します。普段は魔術学院で教鞭を執っていますので、基本的なことは問題なくお教えできますのでご安心を」
名前も聞き覚えどころかよく知った名前で、レティシアは冷や汗が止まらない。
レティシアの席は一番後ろだ。見つからないことを祈りたいが、カミルの手元にある座席表(魔術が施してあるので座っている生徒の名前が浮かびあがっている)にはきっちりレティシアの名前が表示されていることだろう。
案の定それに気づいたのか、カミルがこちらへ視線を向ける。最後に会った時と変わらず無造作な茶髪にヘーゼルの瞳が一瞬だけ驚いたように大きくなり、次いで隣で微笑むウィリアスタを見て、憐れむように笑われた。恐らく色々察したのだろうが非常に不愉快だ。
「……え~では、お手元の術式構築理論学の三ページ目を開いてください」
とりあえず授業を進めてくれるようで、ほっとしたレティシアは言われた通り教本を開いた。
そして、目が点になった。
「本日は術式構築理論とはどういうものかについてご説明致します。まず、術式というのは魔方陣を複数組み合わせることをそう呼びます。魔方陣は、組み合わせた数に応じてその効果が向上しますが、その分大きな魔方陣が必要になったり、膨大な魔力が必要になります。術式構築理論とは、如何に最小限の労力で最大限の魔術的効果が付与できる術式を構築するか議論することです。ここまでは皆さん、よろしいでしょうか」
教本の三ページ目に書かれている内容を簡易的にカミルが説明する。非常にわかりやすい説明だが、レティシアにとっては晴天の霹靂だった。
(こんなの……初歩を通り越して常識なんじゃないの……!?)
無論、そんなことはない。
魔術学院ならこんなことは知っていて当然だが生憎とここは王立学院だ。術式構築理論は三年になって初めて組み込まれてくる授業なので、ここにいる大多数の生徒がそれが何たるかを理解しているはずがない。
隣で声を殺して笑っているウィリアスタが憎たらしい。事前に教えておいてくれればいいのに。
復習にもならないが、たまには初心に返ることも何かしら得られるものがあるかもしれない、と開き直ったレティシアは改めてカミルの話に耳を傾けた。
「大丈夫そうですね。では、言葉だけではわかりにくいでしょうから一つ実践してみましょう」
そう言って、カミルはポケットから取り出した植物の種の上に一つの魔方陣を築いた。すると、種が芽を出し見る見るうちに成長していく。最後に綺麗な花を咲かせたところで止まった。
「これは今、種に対し成長を促す魔方陣を構築してみました。ですが、今の魔方陣では一つの種を成長させることしかできません。そこで、先程の魔方陣に【強化】の陣を組み込んでみます」
今度は五つほどの種の上に、先程とは別の魔方陣を築く。すると、今度は五つ同時に成長し、同じ花を咲かせた。
「こうすると、複数の種を同時に咲かせることができます。二つ目の【強化】を付与した魔方陣は一つ目の魔方陣より大きくなったのはお分かりですね。今度はこれを、小さくした上で同じ効果を生み出せる魔方陣を築くにはどうしたらいいか、を考えるのが“術式構築理論”になります。本日の授業では、これを皆さんで考えてみましょう」
カミルは袋に詰まった種を一人五個ずつ配布すると、ぱん、と両手を合わせて
「では、隣の席など近くの方と一緒に考えてみましょう。しばらく自由に議論してください」
と告げた。
一斉にざわつく教室内。あちこちから、ここをこうすればできるのでは、いやこっちの方が、と言葉が飛び交う。さすが、高位貴族なだけあって全員家でもある程度の教育を受けている。随分と理解が早い。
この程度、陣を構築せずとも瞬き一つでできてしまうレティシアは、でもそれだとダメなんだろうなぁ、とため息を吐いた。
「レティ、思ってたより簡単だったからってそんな顔しないの」
「知ってたなら教えてよね……こんな初歩的なことから始めるのは新鮮だわ」
「君が何を考えてたのか詳細は分からないけど、それは恐らく魔術学院で七年生がやるようなことなんじゃない」
「そんなことないわ。私は二年目の時に-----んん、その時は四年生だったかしら?」
半年で二学年ずつ飛び級していたレティシアの記憶はちょっと曖昧だ。まごうかたなき「天才」なのだが、彼女にはその自覚があまりない。
「時には傲慢とも取られるから気を付けなね-----と、どうかな」
やんわりと窘めたウィリアスタは、構築した魔方陣をレティシアに見せた。ちょっと不満そうな顔をしたレティシアは、
「悪くはないけど…」
「…言いたいことがあるならどうぞ」
「こことここを省略して、代わりにこっちを循環式で組み込めばもっと小さくなるわ。ついでに成長速度が倍になる」
「そこまではこの授業では求められてないと思うけど…なるほど確かに」
「でもそれだと、必要な魔力量が元の術式の三倍にならないか?」
「組み込む循環式の内容を魔力量と成長回数にすればいいのよ。そうすれば、一回の注入で巡るようになるわ」
「ああ~その手があったか」
となるとここをこうして…とあれこれ作り込み始めたアレクセイと、こっちはこうしたら?とウィリアスタが議論し始める。凡そ王立学院でやる範疇を越えていることには気づいていない。
レティシア程ではないが、この二人も魔術に関して大変優秀なのだ。
「アレクセイ殿下、進捗はいかが?…まぁ、さすが、素晴らしいですわね」
あーだこーだと議論する二人を眺めていると、エルネスティーヌが話しかけてきた。彼女の席は三つ隣の机のはずだが、わざわざここまで来るとは。
「ファーレンハイト公爵令嬢、いやいや、私だけの力ではないからね」
「カールハイツ様もお見事ですわ。お二人の力を合わせたら、なんでもできてしまいそうですわね」
「…そういう貴女は、できたのか?」