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「…………しぬ」
「死なない死なない」
夏季休暇に入って、早二週間。最初に与えられた一週間の自由は既に終わりを告げ、レティシアはウィリアスタの公務のためあちこち連れまわされていた。今も、公務の一環で出かけた帰りの馬車の中である。引きこもりのレティシアにとって、毎日外に出るのは拷問に等しい。
向かいに座ったウィリアスタは、こんな馬車の中でも王太子としての書類仕事をこなしていた。こういうところは尊敬しなくもないのだが―――レティシアを揶揄う時だけ子供のようにいきいきとしているのが、何とも解せない。
「―――そういえば、西の森の件だけど」
「!」
西の森―――精霊王がなんとかしろ、と言っていた場所だ。王都の西、馬で五日ほど行ったところには森があり、そこを抜けるととある貴族が治める領地へとつながっている。
「瘴気の沼が発生していたそうだよ。危うく森中の動物たちが魔物になってしまうところだった」
「…………未然に防げたのなら、よかったわ」
「精霊王に感謝しなければならないね……それで、その近くには竜の死骸もあった、と報告にはある。これまた酷い殺され方だった」
「……なんですって?」
レティシアは思考の海に沈む。
―――瘴気の沼とは、濃くなり過ぎた魔力が淀んで、それが凝り固まった際に発生するものだ。
恐らく、殺された竜の魔力が淀んで発生したのだろうが、それ以前に竜が殺されたことが問題だった。この国において、竜殺しは禁忌に近い。正当な理由なくして竜を害することは法でも禁じられていた。
そして、記憶に新しい”のろい”を受けた竜―――誰かの憎しみを植え付けられていたが、恐らくその根源は殺された竜なのだろう。
ちらり、とレティシアは馬車の天井を見上げる。屋根の上で今の話を聞いた竜の王は、何を思うのだろう。存外優しい王様なので、救えなかったことを悔いているかもしれない。
ウィリアスタは書類から顔を上げて、こんこんと考え込んでいるレティシアを眺めた。ふわふわの銀髪が、陽の光を浴びてきらきら輝いていた。けぶるような睫毛が、瞼に影を落としている―――黙っていれば本当に、妖精のような少女だ。
ウィリアスタは音もなくレティシアの横に移動し、髪を弄び始めた。くるくるしているのにその手触りはさらさらだ。こういう時のレティシアは悪戯をしても気づかないから面白い。
髪を指に巻き付けながら、とりあえず、とウィリアスタは声を掛けた。
「目下の課題は、来週の夜開催される夜会かな」
「そうね、警備体制を確認しておかないと……って、ウィル、何しているの」
「君の髪で遊んでいる」
嫌そうな顔をして、ウィリアスタの指から髪を抜き取る。この王子様はこうしてレティシアを揶揄っては遊ぶから本当に質が悪い。そも、きょうだいでもないのに未婚の男女が馬車の中で二人きりというのもおかしな話ではあるが、そこは護衛のためだなんだとウィリアスタがいつものきらきらしい笑顔で押し通していた。
「いつも通り君のドレスは俺が送るから。身支度は侍女を派遣しておくよ」
「いや別にいいのだけど……!?護衛するならいつものローブで」
「だーめ。俺の隣にいた方が咄嗟に動けるでしょ」
「…………ドレスだと動きにくいし……」
「ドレスでもある程度は戦えるよう、鍛えている癖に」
ああ言えばこう言う。レティシアは頭がいいはずなのに、口下手なせいかウィリアスタに口で勝てた試しがない。狡猾なこの男は口も頭も良く回るのだ。
人見知りのレティシアはそれはもう夜会なぞごめんこうむりたいが、国家魔術師で侯爵当主が後見人についていると避けては通れないものもある。ただ、今回の夜会はそういった類のものではなかったので、物陰で護衛しているか、国家魔術師の長衣でいいかなと思っていたが、どうやら逃れられないらしい。
ウィリアスタは再びレティシアの髪をいじくりながら、爽やかな笑顔でよろしくね、と宣った。
―――経験上、こういう笑顔のウィリアスタは大抵よからぬことを企んでいる。
レティシアがうんざりした顔で、ため息を吐くと、ウィリアスタはひょいっとレティシアを抱え上げ、自身の膝に乗せた。
「ちょ、何して―――」
「そうむくれないの。お菓子あげるから」
は、と開けた口にクッキーを放り込まれる。見れば、菓子の袋とそこから数個はみ出したクッキーがふよふよ浮いていた。むぐむぐと咀嚼した後、こくんと飲み干す。ついついじっと浮かんでいるクッキーを眺めていると、ウィリアスタはクスクス笑いながら宙に浮いたクッキーを一つ取り、レティシアの口に放り込んできた。
そのまま、ウィリアスタはレティシアの頭をぽんぽんと撫でて、
「レティ、昨日寝てないでしょ。着いたら起こしてあげるから、寝てていいよ」
「え、いや、でも」
どうやら、時々船を漕いでいたのがばれていたようだ。それでは護衛の意味がないのでは、というレティシアの懸念を、ウィリアスタは君なら寝てても結界くらい展開できるでしょ、と一蹴した。
「リオネルもいるし、大丈夫だよ」
頭をゆっくり撫でられなが、おやすみ、と優しく囁かれる。絶対に口が裂けても言えないが、レティシアがこの世で唯一安心する体温に包まれて、とろとろとした睡魔が襲ってくる。レティシアはそれでも抵抗しようとしたが、何度目かの瞬きの後その瞼は遂に開かなくなり、代わりに小さな寝息が聞こえてきた。
昨日の公務先は国の中でも特に温暖な気候で、冬でも温かいくらいだ。逆に、夏は異様に暑くなる。レティシアは暑さに弱いらしく、どうせ暑くて寝付けないからと夜通し起きていたことくらいウィリアスタはお見通しだ。
全く世話が焼ける、と呟いたウィリアスタは、大事そうにレティシアを抱えながら書類を宙に浮かせ、仕事を再開した。
次回更新は土曜日になります。




