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その夜。
レティシアはとっくに消灯した寮の窓から、ひらり、と外へ出た―――レティシアの部屋は最上階なので、単に出たのではなく足元に最小限の魔方陣を煌めかせながら、夜空の階段でも昇っているかのようにとんとん上へと上がっていく。
寮全体を完全に見下ろせる位置まで来たところで、レティシアは足を止め地面でも在るかのようにその場に立った。
ちなみに、リオネルは腹を上向けにしてなにやら「うへへへっ…しょんなに、食べきれないぜぇ…ひひっ」と呻いていたので置いてきた。まったく煩い黒竜だ―――ああ見えて、彼は実は何気に結構凄い竜なのだが、最近はもしかしたらレティシアの気のせいだったのかもしれないと思い始めている。
自身の部屋で寝こけているリオネルを思い出し、レティシアは何とも言えない顔になった。一つため息をついて気持ちを切り替えると、す、と瞳を閉じる。
―――すると、レティシアを中心にして透明な輪が広がり、寮を通り越して王立学院の敷地すべてに行き渡った。音もなく、視認もできないそれは、しかし確実に王立学院全体を網羅した。
程なくして瞳を開けると、丁度頭上に広がる星空のように瞬く瞳が剣を強める。
「何も無い、か……」
本日昼間の魔術実習で、エルネスティーヌが放った攻撃魔術―――あれがどうにも、レティシアには違和感が強く残った。魔力量九十程度であの威力の魔術が発動できるとは思えなかったからだ。
故に、学院どこかに魔力量増強の魔法具の類、もしくはその時どこかに潜んでいた魔術師の残滓が無いか、魔力探知で探ってみたのが、結果は芳しくない。
既に回収していたとしても、魔法具を使えばそれなりな形跡は残る。そして、例えその形跡を消しつつ自身の魔術の残滓すら消し去っていけるような魔術師は、そういない。
膨大な魔力を使った名残で煌めく瞳―――魔術師は使った魔力が大きければ大きいほど、その瞳が輝く、という特徴がある―――を再度瞬かせ、思案に耽る。
「―――やぁレティ、こんな時間に散歩?」
しばらく思考の渦に飲み込まれていたレティシアだったが、突如として聞こえたその声に驚いて顔を向けた。そこには、丁度背後に浮かぶ満月よりも輝かしいウィリアスタが微笑みながら立っていた。レティシア同様、魔方陣で空を渡ってきたようだ。
「……驚かさないで」
「うーん、君の集中力の良さは利点であり欠点だね。まったく危なっかしいなあ。だからこそ―――……」
―――ざあ、と強い風が吹く。
そのせいで最後の一言が聞き取れなかったレティシアがそう伝えると、ウィリアスタは何でもない、と首を横に振った。そして、風で乱れたレティシアの髪を直してやりながら呆れた顔でレティシアに問う。
「で、君は、こんな時間に、そんな恰好で、こんなとこで何をしていたの」
「え、えぇえと…ウィルも気づいたと思うけど、魔術実習の時ちょっと可笑しかったから…」
「ファーレンハイト公爵令嬢のことか?それなら俺もアレクセイも気付いたが…こんな時間に、一人でやるんじゃないよ」
それもそんな恰好で、とウィリアスタに再度苦言を呈され、レティシアは首を傾げる。彼の言う「そんな恰好」とは、寝間着として愛用しているキャミソールワンピースのことを言っているのだろうか。まだ一枚では寒いので、上からちゃんとストールは巻いている。確かに、膝から下は丸見え―――面倒なので室内靴すら履いていない為、足元は少々涼しいが。
レティシアにはこれのどこに問題があるのか、ちょっと良く分からなかったがどうやらウィリアスタのお気に召さないようだ。
「……そんなにダメ?これ。別に寒くないわよ」
「そういう問題じゃ…って、レティ君もしかして魔術塔でもそれで寝てるの?」
「今くらいから、夏は大体そうだけど…」
レティシアが羽織っていたストールより更に大きく長いストールでレティシアをぐるぐる巻きにしながら、ウィリアスタは盛大なため息を吐いた。暑苦しい、というレティシアの訴えを黙殺して、彼は渋い顔で口を開いた。
「―――今度、君に寝間着を贈ることにするよ」
「今の会話の流れでどうしてそうなるのか、さっぱりわからないんだけど…」
「いいよ、分からなくて。それで、何か分かった?」
今はまだ、という言葉は心の中だけで呟き、代わりに結果を問う。いずれにしても、こんな夜中に近い時間に一人で(それも薄着で)出歩いたことは後でしっかりお説教せねばならない。
「ううん、なにも。…彼女去年もあんな感じだったの?」
「残念ながら記憶にないんだよね。興味もないから」
肩を竦めてそう言うウィリアスタに、レティシアはエルネスティーヌを少々哀れに思ってしまった。彼女の事は『三大公爵家のご令嬢の一人』という認識しかないのだろう―――最も、それすら王太子としての知識の一部に過ぎない。
かく言うレティシアも、王立学院に入ることにならなければ知る由もない名前だったが。さすがに、王家と共に国の中枢を担う公爵家の家名くらいは頭に入っているが、毒にも薬にもならぬ娘の名前など覚える気は更々無かった。魔術師というのは往々にして魔術に関すること以外興味が無いのだ。
「うーん、にいさまなら詳しいかな。クラスの誰かに訊ければいいけど…」
「レティ孤立しているもんね」
「誰かさんのせいでね」
「普段の行いじゃない?」
くすくす笑うウィリアスを、レティシアは下からねめつける。そんなレティシアを見て更に笑みを深めたウィリアスタに、なだめるようにそっと頭を撫でられた。
「もう遅い。明日休みとは言え、何もないならそろそろ帰ろう。…部屋まで送っていく」
「……ん。でも、一人で帰」「えす訳無いだろう」
皆まで言う前に主張をぶった切られたレティシアは、渋々ウィリアスタの手を取った。幼い頃から何度もこうして手を引かれてきたレティシアは、考えるより先に彼の手を取ってしまう―――それは決して日常ではないと、分かってはいるのに。
今はまだそれを、手放したくなかった。
「……もしかして、眠れなかったの?」
「……まぁ、ちょっとだけ」
「寝付くまで子守唄でも歌ってあげようか?」
「余計なお世話よ……」
レティシアの部屋の窓辺に着いて、中に入れながらウィリアスタは彼女がこんな時間に空の上にいたもう一つの理由を察した。部屋に置いてあるそこそこ大きめの机が羊皮紙でいっぱいだった。大方、寝付けず研究の続きでもやろうとしたが、うまく考えが纏まらず気分転換がてら外に出たのだろう。
「こんな時間にそんな恰好で、外をうろついてはいけないよ。いいね?もちろんここでも、魔術塔でもだ」
「……空の上まで来れるの、ウィルくらいよ」
他の誰もそうそう来れないのだから問題ない、と主張したいらしいがそういうではない。第一、魔術塔なら廊下をうろちょろしていたはずだ。王宮はそう言った間諜に用いりやすい魔術を使えないよう、防護結界が張ってある。
「だーめ。……言うこと聞かないと、次城に帰った時俺の隣に部屋を用意するよ」
「え……っ!? わ、分かった、分かったから!」
ウィリアスタに他意が一切なかったとしても、ウィリアスタの私室の隣を与えられたら城にいる貴族たちは無いことばかり噂するに決まっている。もうだいぶそれから外れつつあるが、レティシアは出来ることなら平々凡々でいたいのだ。
「いい子。―――お休み、レティ。良い夢を」
ウィリアスタが窓の外から身を屈めて、レティシアの額に一つ、キスを落とす。数秒遅れて真っ赤になりながら、レティシアは抗議の声を上げた―――悪戯にも程がある。
「ま、またそういうことを……!」
「レティが眠れるようにおまじない。いやだった?」
「………………いや……とは、言って、ない……」
たっぷり沈黙した後、ごにょにょと尻すぼみになりつつもしっかりと聞こえたそれに、ウィリアスタが満足そうに笑う。
「じゃあねレティ。また明日」
「……お休み、ウィル」
ウィリアスタは少々離れた位置にある隣の窓に手をかけると、ひらひらと手を振ってまだこちらへ顔を出しているレティシアに早く中へ入るよう促す。こくりと頷いてレティシアが顔を引っ込め窓を閉め、カーテンも締めたところで隣からカタンという音が聞こえてきた。
ウィリアスタが中へ入ったことを音で確認して振り返ったところで、さっきまでぐっすりだったリオネルがじとっとした目で見つめてきていることに気づいた。
「リオネル!?起きてたの?」
「……俺は今物凄く口の中が甘ったるい」
「なぁに、ケーキいっぱい食べる夢でも見たの?」
「それは見たが原因ではない!」
見たんだ、と呆れていると、リオネルはぱたぱたと飛んできてレティシアの頭の上に乗っかった。やれやれとやけに人間染みた仕草で首を振っている。
「まったく、俺に気づきもせずいちゃつきやがって」
「いちゃ……ついては、いない!」
「いやどう見てもいちゃついてただろ―――ご主人?」
恥ずかしさのあまり否定したのかと思いきや、そうではない気配を察してリオネルは様子を伺う。
「そんなんじゃ……そんなんじゃ、ないわ」
重ねられたストールから、ウィリアスタが愛用している香水が薫る―――いつもの、彼の匂いだ。ひどく安心する。
「……まぁ、なんだ……もう遅いし、寝るか」
「……そうね」
賢明なリオネルはそれ以上会話を広げることはせず、レティシアをベッドへ促した。ストールをすべて外してベッドサイドの棚に適当に畳んで置き、布団の中に潜り込んだ。数分そのまま微動だにしなかったが、そろりと布団から手だけを出しウィリアスタに渡されたストールを掴むとするすると引き寄せた。
ぎゅ、と抱きしめると、ウィリアスタの香りが強くなった気がした。
(そういうんじゃ、ないもん)
子供みたいに心の中で否定して、けれど胸に抱えたストールの香りと、微かに残る額の熱にひどく泣きそうになった。それを黙殺して瞳を閉じてみれば、存外ゆるゆると眠りの淵へ落ちていく。
とうに気付いている心を刺す痛みの原因に蓋をして、レティシアは瞳に閉じ込めた星空に淡く願う。
まだもう少し、少しでも長く、彼の傍に居られますように、と。
―――"永遠"は、望むべくもないから。
お読みいただきありがとうございます。
しばらくは日・月曜夜更新(1~2ページ程度)になってしまいそうです。
その他の曜日は不定期更新となります。




