08 王と神官
「レグルス王。大神官エルクス・ライト・ローディア様がお越しになりました」
「……通すがいい」
先触れを受け、神官を受け入れる体制を整えた王城。
神官がこのように急に訪れる事など、そうある事ではない。
あるとすれば、新たな予言が神より下された時か。
「レグルス王子。いいえ。レグルス王よ」
「……ああ」
謁見の間、大臣達を急ぎ集めて、レグルス王は不老の大神官エルクス・ライト・ローディアを迎え入れた。
「このように急ぎ、現れるなど。何があった? また新たな予言か?」
「……いいえ。その逆です」
「逆?」
何が逆なのだと、王と大臣達は訝し気に眉をひそめた。
「保管していた予言の書がすべて燃え尽きました」
「……何だと?」
ざわりとその場に集まった者達が息を呑む。
「書庫そのものは燃えず、まさしく神の御業であると受け取ります。そして……予言書が燃えた灰によって文字が描かれました」
「……神の新たな予言か。なんと?」
「予言ではないでしょう。神の……忠告かと」
「忠告?」
「はい。灰で描かれた文字には『大きな間違いを犯している』……とだけ」
「……!」
謁見の間のざわめきが大きくなる。
聞けば、それは神の怒りのようにも思える内容だ。
大きな間違い。それは。
「レグルス王。近く、何か大きな決断を下された事はありますか? 神がこのように言葉を残す程の決断です。王や、ここに居る大臣のする、大きな決断があれば、それが原因やもしれません」
些細な事で神は言葉を下さない。
だから、これは、とても重要な事の筈だった。
国を揺るがす程の事だ。
「……シャンディス嬢だ」
「黙れ!」
大臣達は、顔を見合わせて、誰からともなくつぶやいた。
レグルス王が、その言葉を一喝して黙らせるものの、大神官エルクスはしっかりと聞いていた。
「シャンディス嬢……、キーラ様がどうかされましたか?」
「関係ない!」
「……レグルス王。関係ないかどうかは、王が決める事ではございません」
「貴様っ……!」
神官は、王の怒声に怯むことはまったくしない。
彼の立場は、王と同等か、それ以上なのだから。
「……大臣達で構いません。キーラ様に何かありましたか?」
大臣は王の顔色を窺いつつも、エルクスに答えた。
「……今、キーラ・ヴィ・シャンディスは牢へ投獄されています」
「投獄!? 何故ですか!?」
「キーラが罪を犯したからだ!」
「……王は少し口を謹んで貰いましょう。私は、冷静に話を聞く必要がある」
「ぐっ!」
エルクスが大臣に目を向け、続きを促した。
「せ、聖女ユークディア・ラ・ミンクが毒を盛られ、倒れたのです。幸い、彼女は医者の手により命を取り留め、療養しております。後遺症の有無は、まだ経過観察の段階ですが……今のところ、絶望的ではないと」
「……聖女が」
王城内の出来事だった。まだ外の神殿にまで、その事は伝わってなかったのだろう。
「そして、聖女を毒殺しようとした疑いで……キーラ・ヴィ・シャンディスは投獄されました」
「……何か証拠があるのですか?」
「そ、それが……」
言い憚る大臣の態度で察した。
証拠がない? 或いは、まだ見つけてさえいない!
「いつの話ですか、それは」
「…………」
「キーラ様は、王の伴侶となる、神の予言を受けた身。それを投獄? 聖女の毒殺をする理由は」
「……陛下は、シャンディス侯爵令嬢との婚約を破棄なさいました。そして正妃には聖女ユークディア・ラ・ミンクを迎えると」
エルクスは、それを聞いて眉根に指を当て、天を仰いだ。
「神の予言に逆らうと?」
「い、いえ! シャンディス嬢は、いずれ側妃に迎えるつもりだと陛下はおっしゃいました! それで事態をはっきりさせる為、シャンディス侯爵を呼び出していた最中で……」
「そこで聖女が毒殺されそうになったと?」
「……はい」
「しかし、証拠は何も見つけていないと?」
「……はい。まだ。シャンディス嬢の部屋は、入念に捜査しております。……念の為、ミンク家に関わる者達も遠ざけた状態で」
「聖女が毒殺されかけた当時、キーラ様は疑われるに値する場所に居たのですか?」
「…………それが」
「まさか、その場にさえ居なかった、と?」
「……はい」
「婚約破棄をされた。側妃に落されそうになった。だから正妃となる聖女を妬んだ。……そのような他者の心証だけで、彼女を罪に問うた、と」
「……は、はい」
「…………呆れました」
神が予言を告げる程のどんな間違いなのか。それは何なのか。
もはや考えるまでもないではないか。
「はぁ……。彼女は今も牢に?」
「は、はい」
「……今すぐ彼女の入れられた貴人牢へ案内してください。すぐに彼女を解放します」
「何を勝手な事を!」
と、沈黙をしていたレグルス王がまたも神官エルクスに吠えた。
「……勝手をなさっているのは貴方でしょう。レグルス王。一体、何のつもりですか? ご自分の決断が、正しいとでもお思いですか? 神に弓を引いている自覚はおありですか?」
「……貴様に何が分かる!」
「分かる、とは。まさか個人の感情で? このような判断を? ……後世に狂王とでも罵られたいか、新たな王よ」
「黙れ! キーラは解放などしない! これは王が決めた決断だ! 神官が口を出せる範疇を超えているぞ、エルクス・ライト・ローディア!」
「……なるほど。たしかにキーラ様の即時解放は、私の権利ではありませんね」
あくまで神官エルクスは冷静に話をした。激昂するレグルス王とは対照的に。
「ですが、罪人として扱われようとも、私には彼女と話をする権利があります。牢の中であろうとも、彼女と言葉を交わすとしましょう。これは王が口を出せる範疇ではなく、権利ではありません。よろしいか?」
「ぐっ……! 好きにするがいい! だがキーラを牢から出しはしない!」
「…………今は、それでいいでしょう。さぁ、貴人牢へ案内を」
「そ、それが……、大神官よ」
「まだ何か?」
大神官エルクスは、腰まで伸びた真白い髪を揺らし、赤い瞳で冷たく大臣を見据えた。
「……しゃ、シャンディス嬢が居るのは、貴人牢ではありません……」
「…………は?」
「彼女は、……殺人の罪を犯した者が入る牢、地下牢へと投獄されています……」
さしもの大神官も、その言葉には絶句するより他なかった。
予言書が燃え、神が間違いを指摘した時期と、キーラがそのように酷く扱われた時期は完全に一致している。
どころか予言の時期の方が遅いくらいだ。
では、間違いとは聖女の毒殺についての予言ではないだろう。
何より聖女は今、無事に生きているという。それでは予言する程の事ではない。
大神官エルクスが動かなければいけない程の事態。そしてレグルス王の言動。
「…………答えが、こんなに分かりやすい予言も珍しい」
大きな間違いなどという抽象的な予言であるにも関わらず、それ以外に過ちは考えられなかった。
神が予言したのは、王が起こした間違いだ。