⑦女侯爵キーラの物語──キーラ・ヴィ・シャンディス
お父様を見習い、騎士団の様子も定期的に観察している。
彼らは有事の際に頼りになる人たちだ。日々のケアも当主として必要だろう。
また以前の領地戦では暫定的に私が『騎士団の長』の立場を取ったが……。
今の私がそれに足る実力があるとは言い難い。そのため、再度お父様に騎士団を束ねる立場に立って貰った。
私は、騎士団の訓練の視察に来ると、一緒に鍛錬をしていくことにしている。
日々の執務が優先であれど、やはりどこか心に『騎士たらん』とするものがあるのだ。
「あっ」
「どうした、キーラ」
視察にはリュジーも同行する。彼は私から離れられないからね。
「ええとね。アランが居るなぁ、って」
「アラン? 誰だ?」
「……二度目の人生で縁があった騎士なの」
「ああ、なるほど。こっちでは知り合いじゃないのか?」
「うん」
アラン。ディクス伯爵家の三男。武家の一門出身だ。赤い髪と赤い瞳をしている。
彼は騎士を目指す若い男性だ。そして私が二度目の人生で出会った人物である。
私とは年齢が近く、騎士になろうとする志から共感し、近い距離に居たことがある。
そして、その時の彼はおそらく私へ好意を抱いていた。
レグルス陛下とはまだ婚約中だったけれど。彼の伴侶となることを否定しようとしていた私にとって、アランと生きることも一つの選択肢ではあったのだろう。
「そんな彼とは、もう関わりがないのね」
私は、遠目にアランを見ながらそう呟いた。
「何だ? キーラは好きだったのか、あいつのことが?」
「……ううん。嫌ってはいなかったけど。どちらかと言えば彼から好意を寄せられていたの。もちろん今の人生では関係がないけれど」
「ふぅん。モテたままでいたかったのか?」
「そんなことはないわ。彼には彼の人生がある。そもそも、二度目の人生でだって私は彼の手を取ってはいないもの」
「そうか。命拾いしたな」
「……リュジー? 貴方、嫉妬で他人を害したりすることあるの?」
「そりゃあ、男としてはそういうものだろう?」
「……だめだからね」
「もちろん。嫉妬したら、その矛先はキーラに向けるから安心しろ」
何も安心出来ないけれど!?
とにかく、そんな騎士アランの姿を騎士団の中に見つけた。
最初の人生では関わりがなかったから、そのまま関わることはないと思っていたのだけれど。
「……騎士アラン」
「は、はい! 侯爵様!」
私は見かねて彼に声を掛けていた。
「剣を構えなさい」
「え?」
「私と練習試合よ。どうやら弛んでいるようだから」
「た、弛んで……え? そんなことは」
「今の貴方、どうも動きに精彩を欠いているわ。貴方はもっとやれるでしょう」
私がそう指摘するとアランは驚いていた。彼からすれば今日、初めてまともに喋ったような相手。しかも女侯爵、騎士団を束ねる家の当主だ。
目を白黒させて驚いていた。
「くく、キーラがやりたいと言うんだ。大人しく付き合うんだな、アランとやら。ああ、だが怪我はさせないようにな?」
「リュジー、いいのよ。アラン、手加減無用だから。全力で来なさい」
「し、しかし、侯爵様……」
侯爵様。その呼び方に距離感があって少しだけ寂しい気持ちになる。
でも、未練があるワケではない。ただ、私が気になったのは彼の心。
「何か悩みでもあるの? 剣に迷いがある。そんなことでは貴方、大きな怪我をするわよ。だからここで叩き直してあげる」
「……!」
私は、かつての『友』のそんな姿を見過ごせなかったのだ。
「はぁああ!」
「くっ!? どうして……!」
今の私は、まだまだ未熟で、騎士としての腕前は酷いものだ。
だけど相手がアランならば話は別。私が騎士を目指した二度目の人生。何度となく彼と剣を交わし合った。それ故に彼の『癖』のようなものを掴んでいる。
全力の、精神が充実した騎士アランならばともかく、今の迷いがある彼ならば!
「せぁあああ!!」
「ぐっ……!!」
私はアランの隙を突き、強かに木剣を打ち下ろした。彼の肩に木剣が当たって、うめき声を上げる。
「私の勝ちね」
「くっ……!」
流石に未熟な腕前の私に負けるとは思わなかったのだろう。
アランは悔しそうに私を見上げていた。
「参りました……」
「ええ、貴方の負け。……貴方に悩みがあるから、ね。今の鍛え切れていない私に負けるなんてよっぽどよ、アラン」
「いや、侯爵様は充分にお強いかと……」
「私をおだてるのは無駄。貴方自身が分かっているでしょう?」
私がピシャリとそう言い切ると、アランは口を噤んでしまった。自覚はあるのだろう。
「……一体どうしたというの? 良ければ聞かせて貰える? 今の勝負で、貴方だってこのままじゃいけないと分かったでしょう」
「……は、はい。侯爵様」
そうして、私はアランの悩みに耳を傾けた。
すると、どうやらアランに縁談が持ちかけられたそうだ。
彼は伯爵家出身で三男。通常なら自力で身を立てなければ継ぐ家も財産もない。
だからこそ騎士を目指していて、それとは別に騎士になることを夢に抱いていたのもアランなのだけど。そんな彼に縁談か。
「それの何が問題なの……? 騎士だって結婚するでしょう」
「それはそうなんですけど。その相手が男爵家の跡取り娘で、つまり『入り婿』を求めているらしいんですよ。つまり、その縁談を受けるってことは俺に騎士を辞めて領地運営のサポートをしろってことで」
「……どうして現在、騎士団に所属しているような貴方にそんな縁談が? もっと他に文官から選ぶとかあるでしょうに」
「ですよね! でも、その。どうやら、俺が相手に気に入られちゃったみたいで……」
なるほど。アランがどういう身分かというより、先に好きになったのか。
政略結婚ではなく恋愛結婚の相談というワケだ。
「……お相手は騎士を続けることは許可しないと?」
「いや、そうってワケじゃないんですけど。ただ、結果としてはそうなるかなって。あまりこう、騎士の需要がない領地らしいから」
「……そうなのね」
アランとは二度目の人生で一緒に騎士を目指した仲だった。
結局、その時の私はレグルス陛下の手を取り、王妃への道を進んでいったけれど。
そんな関わりがあったから、彼が真剣に騎士を目指していたことも知っている。
今の私が侯爵であり、彼が現在その騎士団に所属しているといっても人生の選択まで奪うことは出来ない。
「どうすればいいんですかねぇ……。悪くない話だと思うんですけどね!」
「……その相手が嫌だというワケではないのね」
「はい、そうなんです。俺なんかを好きになってくれるなんて、貴重だと思うし。そう簡単に『騎士を続けたいから断る!』なんて言えなくて。そうして悩んでいたところだったんです」
「そう」
アランは今、人生の岐路に立っているのだ。かつての私のように。
「侯爵様には俺が悩んでいることを見抜かれてしまいました。それにあんな風に圧倒されるなんて。侯爵様も、前侯爵様と同じように騎士になるんですか?」
「……出来ればそうありたいと思っているけれど。そう簡単な道ではないことも理解しているつもりよ。日々の鍛錬をしている貴方たちを前に、片手間での鍛錬では報いれないと分かっている」
最初の人生を歩む私は、剣を振るったことがない時間を過ごした。
最近は鍛えているが、それでは足りないことを痛感する日々だ。
「……侯爵様も、騎士と侯爵の二つを天秤に掛けて、悩んで。そして決めたんですね」
「まぁ、そうね。私は他にも事情があるけれど」
「……侯爵様」
「なぁに、アラン」
「侯爵様なら、どちらを選びますか? その、俺一人で悩んでいたら答えが出なくて」
「それは。それでも貴方自身が悩んで答えを出すべきだと思うけど……」
「分かっています! でも、その! 参考までに! 侯爵様がどうして……今の人生を選んだのか。だって、侯爵様には、その。国王陛下との未来だってあったんでしょう?」
「……そうね」
「あ、すみません! 聞いてはいけないことでしたか……! 御無礼を!」
「そんなことはないけど」
私が、私の人生を選んだ理由、か。
私はすぐ近くに居るリュジーに視線を向けた。彼との新しい愛に生きたから?
それは違うだろう。リュジーは後から私の人生に交わった存在だ。
私は、それ以前に、私自身として、自分の心に向き合って。
「……、……はぁ。アラン」
「はい、侯爵様」
「少しだけ、長くなるわよ? 貴方にしか話さないんだから、きちんと聞きなさい」
「え? あ、はい! 侯爵様の仰せの通りに!」
二度目の人生のアランとは全く違う態度の彼に、苦笑いしつつ。
私は、私の辿った出来事を。人生を、思い出した。
そして、アランに語って聞かせる。リュジーの、悪魔の部分だけは省略してね。
「これは私の身に起こった奇跡のような出来事。でも、本当にあったこと。信じるか信じないかは貴方次第。でも、きっと。今の貴方の、人生の選択に、助けになると思って話すこと」
ただ、それだけではない。
今一度。私が、私の人生を振り返り、これからも正しく道を歩んでいくために。
私は語る。『物語る』のだ。私の人生の物語を。
人生をやり直した私は、最初の人生で愛しい人からの愛を手に入れた。
かつて喉から手が出るほどに渇望していた、王からの愛。
私の二度目の人生は間違いなくハッピーエンドを迎えるはずだった。
だけど、私は。その人生に『納得』が出来なかったのだ。
ここで彼の手を取れば。要領よく立ち回っただけの、二度目の人生での肯定を受け取れば。
私は、私の最初に生きてきた人生を否定してしまうと思った。
だから。私は私の最初の人生に報いるために。ハッピーエンドの世界から舞い戻ってきた。
たとえ、それが地獄のような道であったとしても。
溺愛よりも、復讐を求めて。決着を着けるべき真の相手と対峙するために。
その選択に後悔はない。大切なのは私自身が納得していることだと思うのだ。
そうして私は、私の運命に対峙した。『神の予言』が決めた運命に対峙して。
打ち勝ったのだ。その決断に、その私の『戦い』に。私は満足している。
実際、今のレグルス陛下は良き王へと変わっていっているそうだ。
臣下の一人として、そんな国王陛下を支えることに何の悔いもないだろう。
ユークディアさんは聖女の道を歩み始めた。
彼女がそれで幸せになれるのかは……これからの彼女次第。
当然、それは私自身もそうなのだ。
後悔のない選択をしてきたつもり。頑張ってきたはず。だけど、その結果が出るのは。
……きっと私の人生が終わる時なのだろう。
それまで、ただひたむきに歩み続ける。己の心と何度も向き合いながら。
世の中の理不尽に、何度も立ち向かいながら。
それが私の人生。キーラ・ヴィ・シャンディスの歩む人生だ。
「……と、いうところね」
私は長々とアランに私の『物語』を聞かせてあげた。
「これが、私が、私の今の人生を選んだ理由。動機。アランにだけ話したのよ? ああ、もちろん夫であるリュジーは知っているけれど。どう? 貴方の人生の選択に少しは参考になったかしら」
私は、呆然と私の話に聞き入っていたアランに微笑みかけた。
隣にはいつものようにリュジーが居る。
「あ、えっと。何て言ったらいいのか」
「感想なんて要らないわ。貴方の心に、貴方の記憶に、私の人生の物語が収まった。私の物語を知って、これからどうするのか。それから先は貴方次第よ、アラン」
「……、……はい! 侯爵様!」
うん。少しだけ、あの頃の。二度目の人生で見た彼の顔付きに近付いた。
ならばきっと大丈夫だろう。彼は、彼の人生を後悔なく選んで、歩んでいけるはずだ。
「じゃあ、もう行くわ。随分と長く居座ってしまったから」
「は、はい! ありがとうございました! シャンディス侯爵、キーラ様!」
私は笑顔を向けて、アランとはお別れする。
またこの訓練場で騎士アランと再会出来るかは、彼の選択次第。
「キーラ」
「リュジー、長く待たせてしまったわね」
「いいや、面白かった。やっぱりキーラの人生は、俺を惹きつける」
「ふふ、なぁに、それ」
「俺もこの選択に後悔はないってことさ」
リュジーがそう言いながら私の手を取った。
私は、彼の手を握り返して。そして共に屋敷へ、私たちの『家』へと帰っていく。
アランは私の物語を誰かに聞かせるだろうか? 話したくなってしまうかもしれない。
でも、それでもいい。私の人生が、かつての『友』に少しの勇気を与えてくれるなら。
「リュジー、これからもよろしくね?」
「ああ、キーラ。これからもずっと。一緒だ」
「うん!」
私たちは手を取り合って、歩いていった。
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