⑥女侯爵キーラの幸せ──キーラ・ヴィ・シャンディス
「なぁ、キーラ」
「はい、お父様。どうされましたか?」
カイザムお父様が夕食の際に私に話し掛けてくる。
侯爵を継いだ私だけど、まだまだ若輩者。故にお父様には後見人として屋敷に留まって貰っている。レグルス陛下の婚約者として王妃教育を受けるために、王宮で長く暮らしていた私は、侯爵家でお父様と過ごす機会も少なかった。
それもあって今は『家族』の時間を取り戻したい、という気持ちがあるのだ。
そんなお父様から、私はある提案を受けることになる。それが。
「ペットでも飼わないか?」
「……はい?」
領地運営について後見人として言いたいことでもあるのかと身構えていた私に告げられたのは、突拍子もない言葉だった。
「何です?」
「ペットだ。犬か、猫か。その辺りの。屋敷の中で飼えるものがいいな。馬はまぁ、ある意味でそういう立場だが。戦場に出る馬はまた別だろう」
「はぁ……?」
何故そんなことを急に言い出すのか。それが分からなくて私は首を傾げる。
「何故でしょうか?」
「……うん。色々と考えはあるのだが」
そこでお父様はちらりとリュジーに視線を向ける。リュジーは私の隣に座って静かに食事中。教えたマナーはあっさりと覚えるのよね、彼。
だから『出自不明』でも高位貴族のマナーがしっかりとした青年と評価されている。
「家の中の、何だ。キーラの休憩時間の癒しにでもなればいいと思ってね。そうすると犬よりも猫かな。そうだ、猫を飼おう。キーラが可愛がれるような」
「ええと……?」
特に屋敷の中での『癒し』なんて私は求めていないのだけど。
お父様的には何か気になることがあるのだろうか。休憩時間?
その時は、だいたいリュジーと過ごすぐらいしかしていない。
夫婦となってからだから二人きり。王宮の牢獄に居た頃にリュジーと一緒に居たのと大して変わらない時間ね。彼に身体がある分、あの時よりも安心感? はあるかも。
侯爵としての経験があるお父様は、それではダメだと考えているのかしら?
見識を広めるように、とか。そういうこと? でも、それで猫を飼うのも意味が分からないけど。でも、お父様の言うことだし、何か意味があるのかも。
「カイザムお父様がそうおっしゃるなら私は構いませんよ。ですが、ペットですか」
人が飼えるような動物を飼育して売る者も居る。多くは番犬など屋敷の警備に使えるように調教し、販売しているなどだ。貴族家で犬を飼うとなると主に番犬だろう。
猫だと愛玩用になる。アルヴェニア王国では一般的に言って『高級品』扱いだろう。
猫は調教が難しいと聞くから。それに貴族の家で飼うとなると調度品に被害が出たりする。
よっぽど躾けが行き届いているか大人しい猫でないと、とても飼えたものではない。
それをわざわざ飼う……? 確かにシャンディス家はあまり芸術品に力を入れている家ではない。だから猫が損壊させて困るような一点ものの芸術品など基本は家に置いていない。
せいぜい高品質の家具だが、それは品質のいい量産品というか。損壊されても金銭的な余裕さえあるなら取り返しがつくものだ。
だからまぁ、他の貴族家よりは猫を飼いやすい環境と言えるだろう。
どうして、そういった家風なのかというと、シャンディス家は騎士団を有しており、前当主のお父様は同時に騎士でもあった。どちらかと言えば『武家』の家門なのだ。故に屋敷の内装も無骨なきらいがある。
もしかして、お父様は、その点を気にしている?
いえ、それでは猫を飼うことに繋がっていないか。
私が女侯爵となった今、シャンディス家の表向きのイメージを変えるには良いタイミングと言えるだろう。何かそこに繋がることがあるのかもしれない。
騎士団員ばっかりだって怖くないわよー、とか……。ないかな。
私も騎士の鍛錬は『最初の人生』では遠ざかり、今は執務が続いているため、きちんと身体を鍛えられていないのが現状だ。
執務の間を縫って運動はしているものの、やっぱり身体が『二度目の人生』ほどではないと感じる。かといって今から本格的に騎士の道を同時に進めるのは困難、といったところ。
貴族家門にとって表向きのイメージというのは馬鹿には出来ない。
お父様の意図が分からないけど、そういう武家で無骨なシャンディス家のイメージを払拭するために、女侯爵の私と飼い猫で何らかのアピールを考えている?
そうね。きっとそうかもしれない。
「お父様の深い考えがあってのことでしょう。ええ、前向きに検討させていただきますわ」
「うん……? いや、その。あまり二人きりになるのもどうかと、まだ色々と早いだろう……手遅れかもしれないが。いや……そうだな。うん。ああ、そうなんだ。色々とね?」
「はい! カイザムお父様! お任せください!」
やはり父親に期待されるというのは大きい。
何だか小声でぶつぶつと言っているけれど聞こえなかった。必要なことであれば毅然とした態度とはっきりした声量で言ってくれるだろう。だから重要なことではあるまい。
私はただ、女侯爵として後見人でもあるお父様の期待に応えるのみだ。
「……親心だねぇ。父親心と言うべきか」
なんてリュジーがそう呟いていたけど、どういう意味かしら。
とにかく私は期待に応えられるように頑張るしかないだろう。
そうして、あっという間に我が家に猫を迎える日がやって来た。
選任のアドバイザーと獣医もつけての好待遇だ。獣医は騎士たちの馬の健康管理も担当して貰う予定。アドバイザーについては短期契約となっている。
「……猫一匹に随分と人を動かすもんだな」
「ふふ、愛玩用の猫は高いのよ、リュジー」
「そうか。その役割が本当に愛玩の代わりになるか見物だな。義父上の涙ぐましい努力が報われるか」
「……どういう」
「いや、キーラが気にすることじゃあないさ」
そう言いながらリュジーは私の頭をポンポンと撫でてくる。どうしてそこで子供扱いなの。そういう意図はないかもだけど。
「にゃあ」
まぁ、とにかく。シャンディス家には、新たな住人が増えたのだった。
……うん、可愛い。懐いてくれるかな?
猫の世話と一口に言っても色々と大変なことがある。我が家の場合は、専任のアドバイザーまで付けて助言を貰ったり、必要なものを揃えたり。
放し飼いにすべきなのか。どこか一室を丸ごと猫のために与えるか。
トイレの躾、餌の躾。休みやすい場所や運動のし易い場所の確保。それと一人で……一匹で安心できるようなスペースの確保も重要だという。
もちろん玩具など猫が遊ぶための用意も。爪をとぐための準備などなど。
「……なんだか、子供の世話に備えているみたい」
「き、キーラ。何を」
「似たようなものじゃあないか?」
「リュジーくん!?」
新しい命を家に迎えるという意味では猫を飼うことも、子供が生まれることも似たようなもの? 言い得て妙ね。もちろん、優先順位はあるだろう。それが我が子となれば尚のこと。
もしかしてお父様が、わざわざ猫を飼おうと言ったのは。
「カイザムお父様。私に『小さな命』に慣れるよう、そう願われていたのですね。確かにいずれはシャンディス侯爵家の者として子を育むべきこと」
「は!? いや、違うぞ、キーラ! むしろ逆……」
「このキーラ、感服致しました! ええ、なにせ、私はシャンディス女侯爵。次代のことまでしっかりと考え、そして備えて見せますとも!」
「違う違う……!」
「にゃあ?」
ふふ、可愛い。まだ小さい猫なのだ。いずれこの子が懐いてくれるといいな。
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