④妻の墓参り──カイザム・ヴィ・シャンディス
建国記念式典パーティーから、もう半年が過ぎた。
それは、カイザム・ヴィ・シャンディスが己の侯爵位を娘であるキーラに譲ってからの時間とほぼ同じものだ。
「……私たちの娘、キーラはよくやっているよ、アミーナ」
カイザムは今日、シャンディス侯爵領にある『墓地』に来ている。
管理がし易いように整えられた場所にあり、目当ての墓も綺麗にされていた。
毎日、人の手が入っているのだろう。
墓石の下に眠っているのはカイザムの最愛の妻。アミーナ・ヴィ・シャンディスだ。
「侯爵としての教育なんて、ほとんどさせたことはなかったのにな。成長してからは、ほとんどを王宮で王妃教育を受けて。それなのに、キーラは私よりも優秀な侯爵になっているだなんて。……きっと君の才覚を受け継いで生まれてきたんだろう」
カイザムは墓石に向かって語り掛ける。そして手に持っていた花束を墓石に沿えた。
それは赤い薔薇の花束だった。
アミーナが好み、そしてアミーナの赤い髪や瞳の色を象徴するような、薔薇だ。
「いつだって思い出すよ。君と一緒にキーラを育てていた時を。君とキーラが笑い合っていた時を。……あの子には、苦労をさせてしまった。神の予言が、あの子の幸せに繋がるなんて。そんなこと分かりはしなかったのに。私は、もっとあの子に寄り添って生きていけば良かった……そんな後悔を抱えている」
カイザムは墓石から目を離し、空を見上げた。
「アミーナ。君が生きていたら、もっと違っていたのだろうか……」
キーラの心に母親として寄り添い。そしてレグルス王の心を溶き解して。
そうしていたら、結末は変わっていたのかもしれない。
「キーラとレグルス王が結ばれる未来もあったのかもしれない」
もしも、アミーナが生きていたら。或いは何かが変わっていたら。
キーラがレグルス王に恋心を抱いていたことだけは真実だった。そうでなければ、キーラが使った魔法は何の意味も無いはずだったのだから。
娘の恋心を、その愛情を、自ら砕かせてしまった。
そうしなければ、キーラは幸せに生きられなかった?
レグルス王と共に歩むキーラの人生などあり得なかった?
「……どうしても私にはそう思えない。今のキーラが不幸だと言いたいんじゃあない。ただ、そういう未来だって、きっとあったはずで。何かが変わっていたなら。ちゃんとレグルス王と共に、キーラが幸せに歩む人生もあっただろうと。……未練なのかな、これは」
もしも、そんな世界があるのなら。そんなキーラの人生があったとするなら。
「……私は、そんなキーラの人生であったとしても、彼女の幸せを願うよ、アミーナ」
たとえ、そんな世界を知ることが叶わなくても。
そういう人生を歩んだ娘が、どこかに居るのなら。
そんな彼女の人生にも、幸福があることを心から祈ろう。父親として。
「……ふぅ。何を祈っているのだか。いやね、アミーナ。不満というほどじゃあないのだ。もちろん、キーラの幸せが一番だとも。しかし、しかしだよ? 私には男親としての心というものがあってだね。……娘が、こう、結婚しているとはいえ、男に……だね。うん」
カイザムは墓石に向かって、報告とも言えない『愚痴』を零し始めた。
ここに彼の妻、アミーナ・ヴィ・シャンディスが居たなら、男親の『悲哀』を慰めて笑っていたのだろう。
けれど、アミーナの名を刻まれた墓石は、ただ静かに。
カイザムの言葉を受けながら沈黙を保っていた。
「キーラの相手が『彼』で本当に良かったのか。アミーナ、君はどう思う?」
レグルス王と添い遂げる運命を退けて、キーラは別の男の手を取った。
それは、とても。なんというか。手放しで喜んでいいものなのか。
カイザムはきっと悩み続けるのかもしれない。
ただ、それでも。その苦悩がキーラの幸せを妨げることはない。
「キーラは女侯爵となり、そして立派に勤め上げている。それは私が認めていることだ。そんな自立したキーラが、それでも『彼』の手を取り、幸せそうに日々を過ごしている。なら、私が出来ることなどあるまい」
ただ、一点だけ。気になることは。
「……あまり神殿には世話になれない気はするが」
『彼』の秘密を共有するのは、これからもきっとキーラとカイザムだけだろう。
カイザムは、秘密を知る者としてもキーラの心の支えになってあげたい。
「……アミーナ。男親なんていつまで経っても娘が心配なものなんだ。こんな私を、君は笑ってくれるかい? いつか、また君に会えたなら。話したいことが沢山あるよ、アミーナ」
そうして。カイザムが亡き最愛の妻への報告を終えたところで。
「リュジー、ほら、こっちよ。こっち!」
「はいはい、キーラがどこに居たって俺には分かるぞ」
「それとこれとは別! 貴方は今きちんと地に足を付けて歩いて行く『人』なのだから!」
騒がしくも仲の良さそうな、男女の声が聞こえた。
「……アミーナ。彼がキーラの選んだ男だよ。キーラは、幸せそうだろう?」
カイザムは最後にそう、報告を付け加える。
「カイザムお父様。もうアミーナお母様へのご報告は終わりましたか?」
「ああ、キーラ。リュジーくんも。先に済ませておいたよ」
キーラが『彼』の手を引きながらアミーナの墓石の前に立つ。
「アミーナお母様。……カイザムお父様から色々と聞いたと思います。ですから、私からは、この報告を」
そうして告げるのは。
「私は今、幸せです。とても! 人生をやり直さなくたって、私が今日まで進んできた道を、後悔なく歩いていきます。彼と一緒に」
キーラ・ヴィ・シャンディスがこの人生を後悔することはない。
もうけっして。
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