05 人生のやり直し
私、キーラ・ヴィ・シャンディスは気が付けば、5年前の時間に遡っていた。
2度目の人生が始まったのだ。
苛烈な王妃教育で、身がやつれる前。
父親の居る侯爵邸。自分の部屋。そして成長し切る前の身体……。
時間と影の悪魔、リュジーの言葉と力は本物だった。
それに代償として失った筈の心だけど、それは『良心』ではなかった。
他者へ向ける『愛』でもない。
それが分かったのは……父であるカイザム・ヴィ・シャンディス侯爵とのやり取りでだった。
時間を戻った真実は告げなかったけれど、私は父に告げた。
『レグルス・デ・アルヴェニア王子とは婚約をしたくない。王妃になどなりたくない』と。
……お父様は、私の言葉に真剣に向き合ってくれた。
そして婚約解消に向けて侯爵として、王家と話し合いを進める事を約束してくれた。
王妃教育にかまけるあまり疎遠になっていた父。
だけれど……私は、たしかにお父様に愛されている事を知ったの。
お父様の銀色の髪と青い瞳を受け継いだ事を、私は本当に嬉しく思えた。
私の中にはたしかに家族へ向けた愛があったのだ。
だから私が失った心は『愛』ではなかった。
まず、始めに私がした事は……侯爵家に残って『騎士の道を目指す事』だった。
お父様はいずれ、侯爵家を別の者に引き継ぐか、爵位を返上する事まで考えてくれた。
一人娘である私は、騎士を目指す。
それもただの騎士ではない。神に仕える騎士、神殿騎士だ。
アルヴェニア王国においては、宗教に関わる事は王権とは独立している。
なにせ神の予言を知る不老の神官がいらっしゃるのだ。
神殿の権威と、王権・貴族権は分けられている為、貴族令嬢である私が、王家に召し上げられないようにする為には、神殿に仕える身になるのが最も手っ取り早く、確実だった。
……レグルス様への愛は、まだ心に燻っている。
けれど、彼は未来で私ではなく、聖女ユークディア・ラ・ミンクを伴侶と選ぶのだ。
側妃になって彼等の傍に居ても、きっと私は幸福にはなれない。
私は、彼等にとっては最初から邪魔者だったのだろう。
だから2度目の人生では彼等と関わらない道を選択した。
◇◆◇
騎士を目指した私は、最初の人生にはなかった出逢いをした。
アラン・ディクスという赤髪・赤目の伯爵家の令息。
武家の名門であるディクス家の三男で、彼は奔放で、自由な人だった。
騎士の訓練をするに当たって、まるで妹のように私を扱った。
最初は女だからと舐められていたけれど、だからこそ私は精一杯に鍛錬に励み、彼を見返そうと思えた。
「なぁ、お前」
「なぁに。アラン」
「本当に神殿騎士になるつもりなのか?」
「え? うん。もちろん、そうよ」
「……王子様の婚約者なんだろう」
「それはお父様が解消に向けて動いてくださっているわ。神殿騎士になれば、神官エルクス様の協力も得られる。そうなれば……私は、晴れて王子の婚約者じゃなくなるのよ」
「……どうして?」
「何が?」
「いや。なんでそんなに王子の婚約者が嫌なんだ? だって未来の王妃だろ? この国一番の女じゃないか。俺の知ってる貴族の令嬢達は、誰もがなりたがってる。夢を見てるよ」
「……そうね」
一度目の人生で、令嬢から嫉妬を向けられた事はあっただろうか。
ほとんどなかったわね。
優秀さ、という意味では誰にも負けていなかったと思う。
実力で呑み込んで貰える相手は、きっと納得してくれていた。
……1人の女としてならば、きっと誰も私を羨んだりはしていなかったでしょう。
婚約者である私を、王子であったレグルス王が愛した事など一度もない。
『その寵愛が、もしも自分に向けられたならば素敵だろう』……なんて考える令嬢は、居なかった筈だ。
もしも、そう思う令嬢が居たならば、きっとそれは聖女と彼が出逢った後に違いない。
「お前って、ほら。器量は良いだろ? そこらの令嬢よりさ」
「……それを自分で認めるのは、むず痒いのだけれど」
傲慢にも聞こえるし。だいたい、そこまで優劣がハッキリする程、王国の貴族令嬢達は劣ってはいない。
誰も彼もが美しさに磨きがかかった令嬢達ばかりよ。
「そんなに王子様が嫌かねぇ。話してみれば、意外と良いヤツかもしれないだろ?」
「……話してみれば、ね」
その話す機会さえ、まともに与えられなかったのだけどね。
「なぁ。神殿騎士にならなくてもさ」
「うん?」
「例えば……他の、男に嫁ぐとか。いや、お前ん家の場合は婿入りか? 出来る奴が居ればさ」
「……そうね。それも手の一つだと思うわ」
だけれど。
今の私は、まだレグルス王子の婚約者だった。
その今の私と婚約関係を結びたいと言うのは、王家に弓引くような行いだ。
どこの家もそう簡単に手を出せる話ではない。
だからこそ、私は騎士の道を目指し、神殿騎士となろうとしている。
「なぁ、キーラ」
「……この話は、また今度ね。アラン」
彼の言いたい事、伝えたい事は伝わっていた。
だって、その瞳は……私が最初の人生で長く抱いていた瞳。
気持ちの届かない誰かへ片思いをする瞳だったから。
けど、私は彼の気持ちに応えられるとは思えなかった。
まだ……私の心には……。
◇◆◇
転機が訪れた。
2度目の人生では、ずっと避け続けていたレグルス王に会う機会があったのだ。
私は、彼を見た瞬間……怯えた。
彼と関われば、また犯してもいない罪で囚われ、弁明すら聞いて貰えず、貴族牢ですらない地下牢へ投獄されるかもしれない。
……抱えた気持ちとは裏腹に、強く思った。
関わりたくない、と。
しかし、そんな私の態度が、違う効果を生んだ。
私が彼から離れようとする程に、レグルス王は私に関わりを求めてくるようになったのだ。
人生は……上手くいかない。望み通りになど進まない事を突きつけられる。
「けど……最初の人生の彼と、態度が違う?」
一度目の人生では、憎悪と思えるような感情を向けてきたレグルス・デ・アルヴェニア。
しかし、二度目の人生における彼はどうだ。
まるで対等に、普通に、私に声をかけてくる。
どころか興味深そうにさえしてきた。
「いけないわ。……だって、どうせ彼は聖女に心惹かれるのだから」
人生を懸けてきた愛が叶う夢を見た。
そこまで近付いているような気がした。
前王……今はまだ国王陛下も、私達の関係を保留している。
(どうして……?)
最初の人生と、二度目の人生で何が違ったのだろう。
どうして彼は、私に憎しみの目を向けない?
もしかしたら……何か原因があったのかもしれない。
私は、その何かを探り始めた。
……私は、ずっと彼に嫌われる理由が、私自身にあるものだと思っていた。
だから人生を費やし、王妃に相応しくなるように励み、そして彼に愛されようと努力してきた。
けれど。けれど。
……そこには悪意が横たわっていた。
聖女ユークディアの父、デルマゼア・ラ・ミンク侯爵。
彼の野心が悪意の元凶な事が分かった。
彼の命に従う者達が、絶えずレグルス王子に毒を吹き込んでいたのだ。
レグルス王が、私を疎むように、憎むように。
すべては自身の娘を王妃に据える為に……。
2度目の人生では、彼の野心を打ち砕く事が出来た。そして。
「キーラ・ヴィ・シャンディス侯爵令嬢。其方を……私は愛している。どうか。どうか私と結婚してくれないか」
青い髪と青い瞳をした、あれ程までに愛し続けていた彼、レグルス王から私は愛を捧げられた。
すべてが変わった。
すべてが上手くいった。
2度目の私の人生は、愛を勝ち取り、悪人を打ち倒し、何もかもが満たされたハッピーエンドを迎えたのだ。
そして……私とレグルス王の婚姻式が目前に迫る。
正式に彼と結ばれ。そして彼と初夜を過ごし、私は彼の子供を産んで、王妃になって。
誰もが認める、ハッピーエンド。
彼の確かな愛が向けられた夢のような、幸せの終わり。
「…………私は」
これで良いのだろうか。
私は良心は失わなかった。
多くの人に優しく接する事が出来た。
私は愛を失わなかった。
家族愛も、男女間の愛も、どちらも私は抱いたままだった。
……では悪魔との取引で、私が失った心とは何だったのだろう。
それを知らないままで私は、この世界を受け入れて良いのかしら。
「──よう。キーラ」
「あっ」
2度目の人生では、ついぞ姿を見せず、声を掛けてくる事もなかった彼が、そこに居た。
時間と影の悪魔、リュジー。
私にこの幸福な人生を与えてくれた、悪魔。
「人生を楽しんでるか?」
「……リュジー。貴方が今、ここに現れたという事は、もしかして」
「うん?」
私の2度目の人生は今、最高潮だと言っていい。
幸せの絶頂。
ならば。それを奪い、収穫するならば、きっと今が最適だろう。
それこそ悪魔の所業だと言える。
「私を殺しに来たの?」
「……いいや?」
「違うの? じゃあ、魂を奪いに来たの?」
「いやいや。そんなものは欲しくもない」
「……では、何を奪いに来たの?」
「別に何も?」
「何も? でも……」
「そもそも既に契約は成立している。お前は既に代償を支払って、ここに居る。この人生は間違いなくお前が手に入れた人生だ。俺は、それを強引に奪う真似はしない」
「……でも、そんな」
それでは話が良過ぎる。
悪魔との契約で幸福を手に入れたというのに、私は実質、何も失っていない。
代償を支払っていないのだから。
「リュジー。私は一体、貴方にどんな心を差し出したの?」
「分からなかったのか?」
「……ええ。分からなかったわ。色々と考えたけれど、思い当たるものがないの」
「くくっ。そりゃあまた。随分と幸せな人生を歩めるようになったって事だ。ま、それもまた一興だけどな」
一興。それでいいの?
私は、このままレグルス様と結ばれて幸せになっていいのかしら……。
「くくくっ。別にいいのさ。お前がこの人生を選ぶなら。キーラ」
「……いいの?」
「ああ」
彼は本当に悪魔なのかしら。
私にとっては結局、良い事しかもたらさなかった。
誰かにとっては悪魔でも、私にとっては良い人でしかない。
「キーラ。もう一度。結婚式の前の日の夜に、お前の部屋を訪れよう」
「…………」
「その時に決めろ。それまでは悩むといい。十分に悩み、考え。この人生で良いのかどうか」
「……分かったわ、リュジー。真剣に考えてみる」
「くくくっ。面白い答えを期待している。お前が失った心を取り戻せるように」
そう言い残して、悪魔リュジーは再び私の前から消えてしまった。