愛を砕かれた王 中編──レグルス・デ・アルヴェニア
アルヴェニア王国は、神と共にある国だ。
大神殿には不老の大神官、いや、『聖人』エルクス・ライト・ローディアが居る。
彼は、元々は普通の人間だった。しかし、彼もまた大昔に神の予言を受け、神殿へと入り、神に仕える身になると共にその髪の色は白く染まり始めていった。
真っ白な髪になる頃には、もう彼は不老の存在となり、次代の神の予言を受ける者となっていた。
『聖女』とは、つまりその大神官の後継者だ。
キーラとは異なる神の予言を受けた人物、ユークディア・ラ・ミンク侯爵令嬢。
『次代の王の伴侶となるだろう』
『いずれ、神に仕える身となる』
それが、それぞれキーラとユークディアに下された神の予言だった。
キーラは私の伴侶となり、次代の王妃として。ユークディアは聖女となり、次代の大神官として。どちらも私の治世で重要な役割を持つ者たちだった。
……キーラに対して思うところはある。王族である私を差し置いて、次代を担う者と期待されている彼女を、すべて肯定的には思えなかった。
だからだろう。同様に神の予言を受けた身であるユークディアに対して、私は最初から警戒心のようなものを抱いていた。けれど、出会った彼女は。
「はじめまして、レグルス様!」
「あ、ああ……」
キーラが王宮に上がり、高い実力を示すようになり始めてから、一年ほど。
私は『聖女』ユークディアと初めて会った。
「わぁ……!」
「……どうした?」
「あ! も、申し訳ありません! レグルス様があまりにも、その。……格好良くて。私が今まで会った誰よりも!」
「……そうか?」
「はい!」
ユークディアは素直そうな女性だった。
次代の王である私に向けるには、あまりに打算のない。どこか純粋な女性。
私は思う。純粋であるが故に、彼女は『聖女』に選ばれたのだろう、と。
そして、貴族令嬢にしては純粋で、素直なその様子は私にある光景を思い起こさせる。
それは、幼い頃の話。まだアミーナ・ヴィ・シャンディスが生きていた頃。
母親と共に過ごせていた、純粋で、天真爛漫な様子のキーラの姿だ。
「…………」
アミーナの死により、キーラはきっと大きく変わってしまったのだろう。
きっと大人にならざるを得なかったのだ。それは私と同じように。
「レグルス様?」
「……ああ。どうした、聖女よ」
「聖女なんて。まだ私は神殿には入っていませんよ、レグルス様。どうか、私のことはユークディアと。そう呼んでくださいな」
「……そうか」
キーラとは王宮に上がってからも深く関わる機会などなかった。
互いに忙しかったこともある。王妃教育は苛烈であるとも聞いた。
私が受ける次代の王としての教育もそうだから、王妃教育の苛烈さも容易に想像出来る。
「……労いの言葉ぐらい掛けてやるべきか」
ユークディアを前にして私が思い浮かべるのはキーラのことだった。
それから私は、キーラを意識するようになった。今のところ聞こえてくるのはその優秀さぐらいだ。『おかしな行動』だってしていない。
高位貴族、貴族令嬢らしい振る舞いは申し分ないという。
これでおかしな……それこそ想像し難い、貴族令嬢からかけ離れた行動など取っていれば、もっと早くに私はキーラに興味を抱いて近付いていただろう。
だが、良くも悪くもキーラの評価として聞こえてくるのは、すべて彼女の優秀さを示すものばかりだった。
令嬢ながらに剣を取り、騎士を目指すこともない。
神の予言に抗い、私の婚約者であることから逃げようとすることもない。
ただ、次代の王妃として相応しき教養、気品を示し、その価値を高めていく。
ある意味、真っ当で順当な『王道』を彼女は歩んでいたのだ。
しかし、その王道を行くことが、どれほどの困難を伴うのか。それを私は誰よりも分かっているつもりだった。もちろん、国王である父上ほどでないかもしれない。だが。
まだまだ未熟な私たちは、将来を見据えて共に歩く友に、戦友になれるはずだった。
私はキーラがいつも休憩の時に過ごしているという王宮の薔薇園に訪れる。
そこは彼女の母、アミーナが気に入っていた場所だ。
アミーナの赤い髪と同じ、深紅の薔薇の花園。そこは私にとっても大切な場所だ。
薔薇を見ると彼女を思い出す。……『母親』のような人だった、アミーナを。
「……キーラ」
「え? あ、レグルス殿下……?」
薔薇園で久しぶりに顔を突き合わせる私とキーラ。
「……こんな場所で何をしているんだ? 君は」
「それは、その。申し訳ありません。今は休憩の時間で」
「この場に居ることを咎めているのではない。ただの私の疑問だ。……身構えなくてもいい。この場所に立ち入る権利ぐらい、君にはあるからな。なにせ、君はもう私の婚約者なのだ」
私がそう告げるとキーラは少し驚いたように目を見開いた。
「……ふふ。そう言えば、そうでしたね。私たちは婚約者でした」
小さく微笑んだ彼女に私は目を奪われる。
成長したキーラは、アミーナによく似ていた。そんな彼女が儚げな様子で微笑んで。
アミーナは、もっと溌剌とした女性だった。そしてキーラは幼い頃、もっと活力に溢れていた。そんな彼女がこんな風に消え入りそうな様子で。
手を取れば壊れてしまいそうな。大切にしなければ失われてしまうと、そんな風に感じる。
「……まさか忘れていたのか? 私たちが婚約者であることを」
「ふふ、そうですね。少しだけ忘れていたかもしれません」
「……何だって?」
「だって、そうでしょう? 私たち、教育や執務にかまけてばかりで互いに会うこともしていませんもの。なんだか、それぞれ別々に『王』と『王妃』を目指しているみたいです。だから今、殿下に言われて思ったのです。『ああ、そう言えば私たちって婚約者だったな』と」
「なんだ、それは……」
私は彼女の言葉に呆れて、肩の力が抜けた。
「……婚約者にそこまで興味を抱かれていないとは思わなかった」
「ふふ、そんなことはありませんよ。レグルス殿下に私が興味を抱いていないだなんて」
「では、少しは私のことを気にしてくれているのか? 私の婚約者殿は」
「ええ、もちろん。なにせ、レグルス殿下のことはよく聞かされていましたから」
「聞かされていた? 誰にだ」
「……私の、お母様にです」
「……!」
キーラがまた悲しみを堪えた表情で、薔薇園に目を向けた。
「あ……」
そこで私はようやく思い至る。そうだった。今日は……。
「……アミーナ・ヴィ・シャンディスの、命日か」
「ご存知でしたか」
「……ああ」
だから彼女は今日、ここで亡き母を想っていたのだろう。
「……君の母親は、私のことを何と?」
「レグルス殿下のことは、実の息子のように思っていると」
「……!」
私はその言葉に目を見開く。
「アミーナお母様は、いつもレグルス殿下のことを気にしていたんですよ。……とても優しく頼りになるお母様でした。そんなお母様が気にする殿下のことを、私も会う前から気になっていたんです。あの予言がなくても、きっと私は殿下を気にしていたと思います」
「……そう、か」
アミーナが。私を。そんな風に。
私はキーラから目を背け、滲む涙を悟らせまいとした。
どうしてか彼女に、私の情けない姿など見せたくなかったのだ。
「レグルス殿下。私は、アルヴェニア王国を支えていこうと思います。この薔薇園のように、この国はお母様の愛した国だから。私は、私の出来る限りのことを尽くしていくつもりです。そして、それだけでなく」
「……なんだ?」
私は、キーラに気付かれないように涙を拭い、彼女を見た。
「レグルス様と、一緒に。将来の伴侶として。貴方に相応しくありたい、と。そのように思っております……」
「────」
頬を染め、私を見つめる彼女の表情に。私はドキリとする。
それは彼女からの好意だった。私は、その表情と、言葉で。
初めて彼女をアミーナとは違う人間なのだと、強く意識した。
「……君は」
「その! お恥ずかしながら……はい。互いに将来のことなど見据えまして。良き関係でありたいと願い、努力する次第です……!」
「……随分と固いな」
「そうでしょうか?」
「ああ、せっかくの情熱的な言葉なのに。それにしては随分と固い」
「情熱的だなんて……!」
そう言って恥じらいながらも慌てた様子を見せる彼女は、かつてアミーナのそばに居た頃の彼女が、こうして成長したのだと思い起こさせるものだった。
もしかしたら。私の夢は叶うのだろうか。
彼女と家族でありたいと。同じ『母親』を慕い、同じ志を持ち、共に歩いていける。
そんな関係の『家族』になれるのだろうか。
「……キーラ。そう呼んでもいいか?」
「えっ……。も、もちろんでございます、レグルス殿下」
「君も私を呼び捨てで構わない。殿下などと他人行儀な、臣下のような関係である必要はないだろう。君は私の婚約者なのだから」
「あ……。で、では。レグルス様、と」
「ああ、それで構わない」
「はい、ありがとうございます、レグルス……様」
「まだまだ固いと思うがな」
「まぁ! 急に砕けたようには話せませんから!」
「ふ……」
「ふふふ……」
私たちは、この日。確かに笑い合った。
私がキーラを強く想うようになっていったのは、きっとこの日からだったのだろう。
それは日々を重ねながら、段々と強くなっていった。
また彼女と会い、話をする機会も増えていく。互いに未来を見据えて同じ方向を見ていた。
……だが。
結局、私とキーラの道が明確に重なったのは、この日が最後だったのかもしれない。
王子としての教育だけでなく実務も担うようになり、私の生活は多忙を極めていった。
その理由は、おそらく父上の体調が関係しているのだろう。
如何にして、早急に私を『王』とするか。王宮はひりつき、私を追い詰めるように育て上げていく。休む暇など与えられず、父上が……生きている間に。
父上からは王としての心構えを、在り方を強く教えられた。
「父上……」
「陛下と呼ぶのだ。レグルス、お前には『王』を教えねばならぬ」
「……はい。王国の太陽、カザレス国王陛下……」
父上は常に『王』として私に接した。他の誰よりも厳しく。
やつれていくように見えるその相貌で。私がそんな父上を心配することさえ許さぬように。
……父上にとって、大切なことは王であることなのだ。
だから父上は私との関係に『家族』であることは望んでいなかった。
ただ、王と次代の王。それだけの厳しく、冷めた関係。
しかし、それでもいい。それが『王』というものなら。王族というものならば。
私はそれもまた受け入れる。そして。
偉大なる王、賢君カザレス・デ・アルヴェニアの後を継ぐ。キーラと共に。
父上がそういう人間であるなら。そういう王であるなら。
──だが。
私は見る。私は見た。私は知ってしまった。
「キーラ、よく頑張っているようだね。大変じゃないかい、王妃教育は」
「はい、国王陛下。お言葉、ありがとうございます。厳しいものはありますが、けれど手応えは感じています」
「はは、それは頼もしいな。……本当に。キーラを見ていると君の母親であるアミーナのことを思い出してしまう。よく、ここまで大きくなってくれた」
「ふふ、陛下。そのような言葉を。なんだか、随分とお年を召された方の物言いですよ?」
「はは、年寄りなどそんなものだ。なぁ、キーラ。寂しくはないか? 領地を離れ、こうして王宮で暮らすようになって。父親からも離れてしまって」
「……寂しくないと言えば嘘になります。ですが、それでも。私は王宮で成し遂げたいことがあるのです。それは私の夢のようなもの。幼い頃に抱いた夢ですが……。ですので、寂しくとも頑張っていけます」
「そうか……」
「それに、陛下」
「なんだい、キーラ」
「私は、カザレス陛下がこうして私の話を聞いてくださるから、寂しさなんて平気です!」
「……そうか。そうだといいな。キーラよ。私は、お前のことを……実の娘のように思っている。君の第二の父親であれればいいと」
「陛下……」
「……あまりいい父親にはなれないかもしれないが。君も私の娘であってくれるかい?」
「もちろんです、陛下! 私も……その、お父様のように陛下をお慕いしております!」
「そうか。はは、それは良かった。私たち夫婦は、実は娘が欲しかったのだよ。その夢が一つ叶ったらしい。……アレに、あちらで報告できることが増えたな」
「陛下……。そうだわ! もっと陛下が元気になるようなお話をしましょう!」
「はは、キーラは優しいな」
私は。……私は、ただその光景を見ていた。
父上とキーラは、まるで本物の親子のようだった。それは、かつて私が憧れたような光景。
カザレス・デ・アルヴェニアは、そのすべてが、ただ『王』であるワケではなかった。
血の通う、一人の親、一人の人間の姿がそこにあった。
では、なぜ。私は。私と彼女の違いは、どこに。
「おや、レグルス殿下。このような場所でどうされましたか?」
「……! ……ミンク侯爵。貴公が何故このような場所まで……」
「いや、私も陛下に用向きがあったのです。ですが、また後にした方が良さそうですな、あの様子ですと」
「……そう、だな」
「しかし、いつもあのお二人は仲睦まじい様子ですな。まるで本物の親子のようです。ご存知ですか、レグルス殿下? キーラ様はとても優秀で……よくカザレス陛下からも称賛を受けていると。まるで親が子を甘やかすように。ああ、あれこそ陛下の愛なのですかな?」
「……父上の、愛」
「しかし酷なことを。レグルス殿下に対しては斯様に厳しく接する陛下が、実のところ愛する者に対してはあのような態度なのか。レグルス殿下、お気持ちを強くお持ちくださいませ」
ミンク侯爵の言葉は、まるで父上の『愛する者』に私が含まれていないような。
そんな口ぶりだった。私は、ただ離れた場所で父上とキーラの姿を見るだけだったのだ。
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