【最終話】 キーラの魔法
──愛を砕く魔法。
悪魔リュジーから与えられた、生涯に一度だけ使うことが出来る、私の魔法。
「あ、あぁ、あああ……」
私たちの間に確かにあった、互いを愛する心が砕かれ、消えていく。
繋がっていた筈の運命の赤い糸は、ブツリと断ち切られた。
一生、戻らない。
永遠に、返らない。
二度と、誓われない。
キーラ・ヴィ・シャンディスと、レグルス・デ・アルヴェニアの、愛。
私の目からは涙が零れる。
でも、それは私の奥底から濁って固まった何かを洗い流すようなものだった。
……とても晴れやかな気分になる。
砕けて、流れて、消えてしまえば。あの愛は、呪いであったような気になってきた。
愛している。愛していた。彼を。どんなに蔑ろにされようが。どんなに愛の言葉を掛けていただかなくても。どんなに理不尽な態度に晒されても。それでも彼が好きで愛していると言ってしまえた私……。愛に呪われたキーラ。
「……ふぅ」
スッキリとした気持ちになった。目を開けば、レグルス様が跪いて涙を流している。
彼の中にあった私への愛も砕けて消えただろう。
執着心だけは一人前にあったレグルス様の愛。
離れて行こうとすれば追いすがる癖に、けっして私を愛しているとは言わぬ愛。
蔑ろにし、理不尽に遇し、他の女には甘く優しい態度をとっておいて。
それら一切を私に謝らぬ彼の、愛。
……プライド? 矜持? 王子だから、王様だから?
そんなの、私の知ったことではない。付き合う義理が私にはないだろう。
要らない、要らない。
「な、何を……なさったの、キーラ様。今のは……」
「神の予言を撤回する代わりに超常の存在から賜った、一度きりの魔法ですわ」
「ま、魔法……なんて、そんな」
「聖女に不老の神官、そして神の予言がありますし。魔法を授かったとしても、おかしなことではありませんでしょう? 神は多くの機会で予言によってその存在を伝えてくださいますが……ふふ。今回はこれがレグルス様のためだと思われたのね、きっと」
恐れ多くも私は神の意志を騙る。
「レグルス様のためですって?」
「ええ。レグルス様があのように乱心されていたのは、おそらく神の予言が間違っていたからなのです」
「そ、そんなことを! なんて恐れ多いことをおっしゃるの、キーラ様!」
「何故です? 他ならぬ神そのものが予言を撤回されていたはずです。神自身もきっと覆せぬ過ちだったと思われたのですよ」
「……そんな、はずは」
「人の世に不幸があり続ける限り、神とて絶対ではありません。それでも尚、神は我らが王国を良きモノへと導こうとされていますわ。つまり、それが私に授けられた魔法なのです」
「……それは、どういう、魔法なの?」
「申し上げたように【愛を砕く魔法】でございます。私たちの間にあった歪んだ愛を、双方共に砕きました。……ふふ。なんだかスッキリした気分。これなら、当にただの臣下としてレグルス様にお仕えできますわ」
「で、でも! レグルス様はこうして放心なさっているわよ!」
「大丈夫ですよ、ユークディア様。そもそも、この魔法はレグルス様に捧げるために授かったモノ。どう見たって今までのレグルス様は乱心されていらっしゃったでしょう? 黒幕であったデルマゼアを捕らえられず、私や聖女様にあらぬ疑いを掛けてはあっちに行ったり、こっちに来たり。諸侯の皆様もレグルス様の言動を不安に思われていたはずですわ! ねぇ!?」
そこで私は他の貴族たちに呼び掛けた。
「皆様! 直に真のレグルス王がお目覚めになられるでしょう! 先程までの子供のように、親に甘えるように私にすがる『弱き王』は神の意向により消え去りました! これからは神の間違いによって植え付けられた『偽りの愛』に王が惑わされることはありません! 私たちは互いに愛し合うように呪われていました! ですが、きっと! これからのレグルス王は聖女様との『真実の愛』に目覚められるはずですわ! それこそが神のご意向! 神が真に望まれた、王国の希望ある未来なのです!」
私はそのように断言する。大げさに。手振りをつけて。
パチパチパチ、と。リュジーが拍手をし始めた。そして次にカイザムお父様が。
それに倣ってシャンディス家の騎士たちが。派閥の貴族たちが。だんだんと広がる拍手は、諸侯たちにも広がり、パーティー会場は拍手と歓声に包まれていった。
「…………」
その間、レグルス様は放心したような様子だった。
だけど、彼に寄り添うユークディア様を撥ね退けることはない。
「ふふ、ユークディア様。レグルス様をお連れしてくださいませ。少々失くした愛が大きかったようですが……彼はきちんと元に戻りますから。いえ、元に戻るのではありませんね。貴方を愛する彼になる、と言っていいかもしれません」
「……キーラ様、だけど」
「一つだけ。これだけは絶対のことなので申し上げますね。私とレグルス様の間には二度と愛は芽生えません。そう感じることさえもありません。二度と。一生。永遠に、です」
「……そんな……。でも、それではレグルス様の、お気持ちが」
「これで良かったのです。国王陛下も苦しかったでしょう。神の愛に呪われて。今となっては本当にお互いに好きだったかさえも怪しいものです。ましてや愛しているなんて。ふふ。ありえないです」
「……貴方。貴方も……?」
ユークディア様が私の言葉に呆然とする。
「だって、おかしいでしょう? 普通、愛している女にあんなに理不尽に当たりますか? 蔑ろにしますか? 弁明も聞かずに冤罪で地下牢に投獄しますか? そして、それらのことを謝りもしないだなんてあると思いますか? レグルス様も正気に戻られたら、きっとそう思われるはずですよ。少なくとも謝るぐらいは当然では? と。ご自身がおかしくなっていたことをお察しいただけるはず。もちろん、シャンディス女侯爵として、その謝罪はキチンとお受けする次第ですから。お元気になられたらお話でもしましょうね? ユークディア様」
ユークディア様は、座り込んだままのレグルス様の前に跪き寄り添い合いながら、何か恐ろしいものでも見たように私を見上げた。レグルス様は放心状態のまま。
「エルクス様。どうかレグルス様を休ませて差し上げて? どうやら、神のご意向の影響が強く出てしまっていらっしゃるみたい」
「……ええ。ええ、良いでしょう。大事なお身体だ」
そうして、私の横を通り過ぎて、王の元へ向かうエルクス様。だけど。
「……その間違い。後悔しませんか? キーラ様」
私だけに聞こえるように、そう問いかけてきた。いいえ、近くに居るリュジーにも聞こえているわね。
「……気付かれましたか」
「流石に、ね。聖女様のお言葉が決め手でした。私もまだまだ未熟、というところです」
「……咎めませんの?」
「……結果として王国に未来があるならば良いことだと思います。どの道、拗らせ過ぎていた道だったでしょう。貴方と王の苦しみは無駄に長く続いたかもしれません。或いは次なる王子の世代に至っても続く程の。……レグルス王の様子からして、それでも貴方をそばに置くだけで、他の政治の腕は良く振るったかもしれませんが」
「それならば、きっとこれからも振るって下さいますわ。レグルス様だってこの人生で努力なさって来たのです。たとえ、カラレス王に表立って認められなかったとしても。彼の努力はきっと王家の繁栄に還元されることでしょう」
私がそう断言すると、エルクス様は困ったような笑顔で肩を竦めた。
「……ふぅ。ならば。ええ。よろしいでしょうとも。王は未来を向き、立ち上がる。子供から大人へと成長していくのでしょう。ただ。ただそのそばに貴方が立っていないだけ。未来は、神が描いたように明るい物へと落ち着くはずです」
「……そんな解釈でよろしいんですか? 大神官様ともあろう人が」
「ああ言えば、こう言うという程に神とはコミュニケーションが取れませんからねぇ。大局的に良ければ良い、というのが落としどころですよ。今回で言えばレグルス王が貴方への執着を捨て、前向きになるのであれば……見過ごして良い程度かと」
「……まぁ」
そんなので良いのかしら?
異端審問にかけられて処刑台に送られても、な所業のつもりだったのだけど。
「キーラ様は復讐を成し遂げられましたか?」
「……ええ」
「ふふふ」
「な、なんですか?」
「いえ。可愛らしい復讐であるな、と。ええ。所詮は『素直になれなかった男が、女にこっぴどくフラれた』程度の話で収めたではありませんか。血の大虐殺を呼んだワケでもありません。 王家と侯爵家での内戦を始めたワケでもない。……貴方はレグルス王と別れ、新しい幸せを見つけた。その程度。何も咎めるに値しませんよ」
「そ、そうですか」
そんな風に軽く言われるのは、それはそれで心外だけど。
「……それに確かに、今回ばかりは神の方が大きな間違いでありましたね」
「大神官様がそんなことを……⁉」
流石に私も驚く。
「だって、流石にレグルス王は拗らせ過ぎていたでしょう? もうちょっと素直になっていればキーラ様は今も彼のそばに立っていました。王妃となる未来だってあったでしょうに」
「……まぁ、そうですね。彼が素直になっていれば、そういう未来はありました」
本当に。それが二度目の私の人生だった。
それが二度目の人生で出会ったレグルス・デ・アルヴェニアだったのだ。
「そうでしょう? 王の伴侶などと人の愛に関わることを予言するものじゃありません。そういうのは、その時の流れとか、感情とか、政治的な事情とか。まぁ、そういうものですから。予め決めつけられた運命では反発したくもなるというもの。よって、今回の件は神様の方のやらかしです」
「は、はは……」
おかしいわね。この大神官様。意外と神様に対して信仰心が足りないのでは?
神に認められたが故に不老の存在であるはず。
ユークディア様だって、きちんと神に仕える道を選んでいたなら、彼と同等の存在になっていただろう。
「まぁ。とはいえ。お話ししたいこともございますから。また後日にでも、お会いしましょう。シャンディス女侯爵様」
「ええ。その時はどうぞ、よろしく」
私たちは、エルクス様とレグルス様、ユークディア様が会場から出ていくのを見送る。
色々と長かった気がするけれど。終わってみれば彼らはパーティー会場に来てすぐに帰っていく羽目になったわね? ちょっとだけ可哀想だわ、なんて。
「──キーラ!」
「え?」
リュジーが私の手を引いた。少しだけ強く。
「さぁ! 音楽を! パーティーをここで終わらせるには勿体ない! レグルス王には神の加護と祝福がある! そばには聖女もいらっしゃる! 大神官様も! せっかく揃った八侯爵……いやさ、七侯爵だ! 皆、深めたい親交もあっただろう!? 社交としてだってここで終われない! 王が明日も元気に目覚めるように! 我らもまたここで貴族としての『義務』を全うしようじゃないか!」
どこか不敬にも感じるその言い分は。リュジーの、悪魔の発する魅力なのか。
否定できない。
「差し当たっての俺達の義務とは! 即ち! パートナーとのダンスだとも!」
「あっ」
リュジーに手を引かれ、私は会場の中央へ。
「──踊ろう! キーラ! 俺と! 皆で! さぁ!」
「……もう」
リュジーったら。でもいいわ。仮に不敬だなんて言われても。
だって、私は女侯爵キーラ。今のアルヴェニア王国では聖女の次に偉い女性。
そして悪女なんだもの。この程度でダンスを放棄するなんて勿体ない!
「皆さま! 一緒に踊りましょう! 建国記念を祝って! そしてこの私、新たなシャンディス侯爵の誕生と彼との仲も祝福してください! そしてレグルス新王と聖女ユークディア様、アルヴェニア王国の明るき未来を! 共に祝い、踊りましょう──!」
私の言葉に拍手と喝采。そして流れ出す音楽が。諸侯もまたパートナーと共にダンスを。
王国貴族たちに囲まれた会場の中央で、私は悪魔とダンスする。
「キーラ」
「なぁに、リュジー」
「──愛している」
────。
「……ええ! 私もよ、リュジー! 貴方を愛しているわ──!」
たとえ彼が悪魔だとしても。これから、きっと。私たちは幸せになるわ。
これが私の物語。悪魔と出会った、悪女の物語よ──
〜Fin〜
※改稿済み(2025/01/26)
※※あとがき※※
ここまで読んで頂き、ありがとうございました。
この話の原型は
【一度目の人生】で、愛が叶わず、愛していた王に『処刑』された女主人公が、数年前に逆行して。
……というものです。
だいたい【ニ度目の人生】において、破滅フラグを回避するよう動く主人公ですが……
自分を処刑した王に迫られるのは必須イベント。
しかし、彼はどこか一週目と違っていて……? が、王道パターン。
行動が変わった事により、愛していた王子から愛されてハッピーエンドです。
……で、なのですが。
まず【一度目の人生】の話。
理不尽に処刑されてんですよね。
当然ヘイト溜めてるワケで。そこにはお可哀想な事情や、真の黒幕も居るっちゃいますが……。
『まだ俺は、そいつを赦してないんだが??』と。
主人公は元から好きだった人と結ばれてハッピーエンドですから、そりゃそれでいいかもしれませんが。
【1周目の王子】と【2週目の王子】は別人だからセーフという判定もあります。
でもね。そこを別人としてしまったらですよ。
『俺は【1週目の王子】が赦せないんだが??』と。
もっと言うと『1週目の主人公こそが救われて欲しいんだが??』と。
大抵、頑張ってきた主人公です。王妃教育なり何なり。
しかも有能です。仕事もしてきました。数年に渡り、冷遇されてきました。理不尽に。
言ってしまえば【一度目の主人公】と【二度目の主人公】は、
『頑張ってきた悪役令嬢』と『意地悪な転生者、チート知識ヒロイン』の関係です。
……いや、救われて欲しいの【一度目の主人公】なんだけど???
と。
たとえ要領が良くなくて、王子に悪印象持たれてしまったとしても。
その積み重ねを否定しては如何なものか……。
……と、いう気持ちでこの物語を書きました。
ここまでお付き合いいただき、誠にありがとうございました。




