【41】 聖女ユークディアとの決着
侯爵の一人であり、聖女の父でもあったデルマゼアが捕まり、連れ去られていったパーティー会場。まだパーティーは始まったばかりだと言うのに、もうお腹いっぱいでしょうね。
でも、そんなことは気にしないわ。私、悪女ですものね。
「キーラ様は変わられましたね……」
聖女ユークディアが私に向かってそう告げる。
そして、彼女は私から視線を逸らし、レグルス様へと向き合った。
「……諸侯の皆様の前で。レグルス様……国王陛下に問います」
「なんだ、ユークディア……?」
「今、私の父であったデルマゼア・ラ・ミンク侯爵は陛下の命により、侯爵位を剥奪されました。……不肖の身なれど、今はレグルス様の婚約者である私。つまりは準王族の私に対しての毒殺未遂。ミンク侯爵の爵位剥奪について、おそらく他家も異は唱えないでしょう」
私は、チラリと諸侯に目を向ける。無言で頷く侯爵たちも居るわね。
「……ですが、同時に私もまた貴族令嬢ではなくなりました。元より庶子であった私は、身分のある母も持っておりません。王妃となるには、侯爵という強力な後ろ盾がなくなったと言えます」
「ユークディア、お前それは」
レグルス様が困惑したようにユークディア様を見る。
「……どう、されますか? レグルス陛下のお心は……私には向いていない。そのように考えています。いいえ。これは確信でございます。諸侯の皆様も、先程からのやり取りでお気付きでございましょう」
「……ユークディア」
「侯爵家の後ろ盾を失くし、貴族令嬢であった身分を失くし、王の寵愛さえも得られていない私。……それをこのまま王の婚約者に据えておきますか? 諸侯の皆様や大臣たちも首を縦に振らないかと存じます」
ユークディア様は気丈に前を見据え、レグルス様から視線を外さなかった。ただ、まっすぐに彼だけを見つめる。
「誤解はされたくありません。これだけは言います。私は。私は……レグルス様を、愛しています。今も……貴方を愛しているのです、レグルス様」
そして、ユークディア様の目から涙が零れた。
それでも毅然とした態度と姿勢で、彼女はレグルス様の前に立つ。
「しかし。貴方からの愛がなければ……王妃は務まらないでしょう。家門の力なく王からの愛もない。それでは王妃の座に座る意味がありませんわ」
「だが私は、ユークディア、お前を」
「……愛していると? 口だけでもそう言ってくださるのですか? でも、その愛は。最愛では……ないのでしょう?」
ユークディア様はそう言って泣きながら微笑んだ。壊れたような笑みにも見えたけれど彼女はとても気丈だった。
「……本当なら。ええ、本当なら。私がここで身を引いて道を譲るだけで……」
ユークディア様はレグルス様から目を背け、私へと向き直った。
「キーラ様。レグルス様の愛が貴方に向けられていると。そう告げて。私が引いて、道を譲って。貴方がレグルス様と結ばれることで。この物語はハッピーエンドだったのに。……何故。どうしてキーラ様はその人の手を取ったのですか。貴方だってレグルス様を愛しているのでしょうに」
ユークディア様の言葉は、彼女が大切にしている矜持を守るためでもあるのだろう。
愛ゆえに。それが理由ならば、自身を降す人物は彼の最愛でなければならない、と。
政略ではなく。神の予言ではなく。
レグルス・デ・アルヴェニアの最愛が故にでなければならない。だけど、私は。
「ユークディア様。私の愛は今、リュジーに注がれていますわ」
「それは真実? 本当に? 貴方こそ、それは『一番の愛』ではないのではなくて? だって私はずっと貴方を見てきたわ。キーラ様、貴方の気持ちを、心を私は知っているつもり。……ねぇ、リュジー様」
ユークディア様がそこでリュジーに視線を向けて話し掛ける。
この二人が会話をするのなんてなんだか意外だ、と場違いに思った。
「貴方はそれでいいの? 女にとって、と。男にとっての愛は違うわ。……女は二番手にも甘んじられるものよ。許せない気持ちも勿論あるけれど。でも、彼の子を残せる。たとえ正妃でなく、側妃になったとしても。だけど男性は違うでしょう? 女の一番になれないのだとしたら貴方にとっては不幸ではなくて?」
……色々と言いたいことのある言い分だけれど。ユークディア様にとっては私とレグルス様が結ばれなければ納得出来ないのだ。けれど、その言葉に私から反論するまでもない。
だって私はリュジーを信じているもの。
「ハッ! 何を言っている? 勘違いも甚だしい。俺の最愛はキーラだ。キーラ・ヴィ・シャンディスしか女として愛さない。そして、それは当然キーラも同じだ。彼女は俺しか愛さない。なぁ? キーラ」
「ふふ。ええ、そうね。リュジー。私の愛は貴方に捧げるものよ」
私たちは、また手を取り合い、身を寄せ合った。彼らに見せつけるように。
「キーラ様!」
「なぁに? ユークディア様」
「嘘を吐かないで! 貴方が! 貴方が認めてくれなかったら……私が、あまりにも惨めだわ!」
「まぁ、そんなことを言われてもねぇ? ふふ」
「キーラ様!」
ふっ、と私は笑って見せた。悪女の微笑み、ね。
「ユークディア様は、ひどく勘違いなさっているわ」
「勘違いですって!?」
「ええ、勘違い。そうね、そもそも『目的』が違うのよ」
そう。辿り着きたい場所が、私と彼女では違う。
「ええ、貴方の言う通り、私はレグルス様を愛しているわよ? 今もね?」
「な……」
簡単に。何の重さも乗せずに私は彼への愛を口にした。リュジーの腕に抱かれながら。
「ユークディア様はミンク侯爵が退場し、貴方が身を引き、私がレグルス様と結ばれて。それでハッピーエンドだと言ったけど」
ええ、もしも、そういう物語なら。リュジーという存在は『余計なモノ』だっただろう。
ましてや私が既に彼に抱かれていることでハッピーエンドの邪魔になっている。
他の男に抱かれた女を王妃には据えられまい。
もちろん、然るべき時間を空けて、或いは夫となるリュジーが死んだなどであれば、事情が変わってくるかもしれない。でも、概ね。今すぐに『レグルス王とキーラが再び結ばれた!』なんて話は通らない。
まさにハッピーエンドの邪魔要素。悪魔的な行いでしょう。でもね。
「──そのハッピーエンドはクソ食らえよ。私が、レグルス様と結ばれる。そんなハッピーエンドを覆しにこそ、私はここに帰って来たのだから」
「なっ……!?」
激情を見せるユークディア様とは反対に、私は冷静に微笑みを浮かべながら続ける。
「まず、感情を抜きにした事実として。私は女侯爵です。領主として領地と領民を守っていかなければいけないわ。だから私はもう、王の妻になどなれません」
「そんなもの!」
「……そんなもの? ユークディア様。貴方、諸侯の前で領地のことを『そんなもの』だと宣うの? 愛こそが重要で、侯爵家の領地などどうでもいいと?」
「……! ち、違っ……」
この場には八侯爵の、いいえ。七侯爵の当主、すべてが揃っている。
彼らを軽んじる発言など許されようはずがない。
公爵位のないアルヴェニア王国にとって、侯爵とは最上級の貴族。
抱える領地の規模も領民の数も多い。彼らを蔑ろにしては国が回らないだろう。
「聖女ユークディア様。愛に溺れて目が眩むのもけっこうですけれど。私たち貴族は民を守るからこそ貴族なのです。けして高貴な身の上となり、贅沢をするために貴族なのではありません。キラキラとした王子に、王に見初められて、愛を囁かれるために貴族をしているのではない。多くの民草に支えられ、そして時には彼らを豊かにし、戦においては彼らを守ることで。 貴族も王家も成り立っているのです。どうか、そのことをこそ、お忘れなきように」
「そんなことは貴方に言われなくても分かっているわ!」
「……ならば、よろしいのですが」
ふふ、と私は微笑んだ。
「さて。事実を確認しました。また恥ずかしいことながら繰り返します。私は既に夫と初夜を迎えました」
「っ!!」
「これもまた事実でございます。それで? 王が誰を愛し、私が誰を愛しているのか。この事実を前にしてその問いに何の意味がございましょう? ……ああ、私とリュジーのことなら心配なさらないで? 私たち、こう見えて相性がいいの。色々と」
ここで見ている者たち。特に令嬢などから『きゃあ!』なんて声が聞こえた。
いや、だから恥ずかしいんだけどね!
でも、その事は顔に出さない。今そういう場面じゃないものね。
「どうして! 何故なのよ、キーラ様……!」
「どうしても何故もないと存じますが」
「だって! だって貴方は!」
「レグルス様のことならば、貴方が愛せば良いではありませんか? ユークディア様。だってまだ貴方、彼の婚約者のままですよ? ふふ。それで、なーんの問題もない! 王が王の婚約者と結ばれる。女侯爵が婿を取り、領地を運営する。……ほら。どこに間違いがあるって言うの? これこそ私たち全員のハッピーエンドじゃない! あはは!」
「……違う! 違うわよ! 貴方は大きな間違いを犯している!」
「……!?」
聖女のその言葉は、きっと無意識に使われたもの。でも、ふふ。エルクス様は気付かれたみたい? あの神の予言の意味。それが聖女から漏れた言葉だというのも大きいだろう。
間違いを犯していたのは、一体誰だったのか──
「間違いでいいのですよ、ユークディア様」
「は……!?」
「間違っていていいのです。私は、その間違いのまま生きていきたいから、こうして舞い戻った」
「な、何を言っているの?」
「ユークディア様。たとえば私が、もっと。もっと上手く立ち回っていたならば。『まるで未来を知っているかのように』レグルス様と仲違いなどせず歩んできたのなら。きっと私とレグルス様は何の間違いも起こさず、結ばれたことでしょうね。それこそ誰もが認めるハッピーエンドの恋物語として」
だけど。
「でも、人は間違いを犯すのです。いつでも正しい選択を選んでは生きていけないのです。……だから。だから私は、あの地下牢に入りました。未来を知らなかったから。彼の愛を知らなかったから。得られなかったから。信じるべき人を知らなかったから。愛してくれた人を知らなかったから。だから地下牢へと入れられたのです」
それでも。
「未来を知っているかのように正しく選べなかった人生でも。それでも私は……足掻いて生きてきました。未来を知らず。がむしゃらに。未来を知らず。間違いながら。それでも懸命に生きてきたのです。努力してきたのです。レグルス様の愛を得たいと涙を流してきたのです」
それが間違いだったとしても。
「間違っていて何がいけないんですか? 未来を知らなければ得られなかった正しい結末に、どうして間違ってきた私の努力が踏みにじられなければならないのです。そんな正しい未来なんて。決められたハッピーエンドなんて。……クソ食らえですわ。ユークディア様」
だから。
「私の人生は、この人生でいい。だって、それが私の歩んできた道なのだから。 ……たとえ、愛した人の愛を失ったとしても。私はこれでいいのです。そう。大きな間違いを犯しているのだとしても」
私は間違いながら生きていくわ。結果を知っているように要領良くは生きられなくても。
これまで生きてきた私の人生が、これから先の私の人生を肯定してくれるでしょう。
「あ……」
そこでユークディア様は崩れ落ちるようにその場に座り込んだ。
ポロポロと涙を流している。……泣いていてさえ、彼女は可愛らしいわね。
聖女の名は伊達ではないのかしら、なんて。そんなことを思う。
「ユークディア様のためにも。ねぇ、レグルス・デ・アルヴェニア様。私たちの愛にも決着をつけましょう?」
そして私はリュジーの手を離し、レグルス様の正面へと立ったのだ。
※改稿済み(2025/01/26)




