【40】 デルマゼアの誤算
「あら、ミンク侯爵。ご挨拶が遅れましたわ。私、シャンディス侯爵となりました、女侯爵キーラでございます。この一ヶ月は互いに切磋琢磨したものですわね?」
「ぐっ、貴様! この小娘が!」
この一ヶ月。シャンディス家とミンク家は領地戦もどきを繰り返してきた。その事は、既に諸侯も知っている。いいえ、私が報せた。そして手を出すなとも忠告していた。もちろん相手を侮辱しない限りの言葉で。
その結果、二つの侯爵家を除く残りの六侯爵家は沈黙を貫き、中立の立場を取っていた。
レグルス様がミンク侯爵家に手を貸さなかったことも大きいだろう。
婚約者である聖女の実家が、そのような状況であるにも拘わらず、レグルス様は王の軍勢をミンク侯爵に貸し与えなかったのだ。
諸侯が沈黙を選び、中立の立場を取って『見』に徹するには十分な理由だろう。
それ故に。ミンク家は王家の支援どころか諸侯の支援さえも受けられなかった。
そうして争いの場となったミンク侯爵領からは民が逃げていく。
もちろん、私たちは民間の被害を最小限に抑えていたけれど争いは争いだ。
田畑の横で騎士たちが剣をぶつけているのに悠長に畑を耕す農夫は居ない。
そして、ミンク家の者たちは、その忠誠心をも揺さぶられることになった。ミンク侯爵の手の者たちがシャンディス家の騎士団に直接狙われていたというのに、ミンク侯爵は彼らを庇おうとしなかったからだ。
デルマゼア・ラ・ミンクは、いざとなれば自分たちを切り捨てる。
彼は部下たちにそう思われたのだ。
そう感じた部下たちがどうやって彼への忠誠心を維持する? 大恩でもあるのか? 家族を養って貰ったか? そんな程度のものであれば、いくらでもシャンディス家が与えよう!
自分たちを省みない領主デルマゼアに付くよりもシャンディス侯爵につく方が良い!
私は彼らにそう思わせたのだ。
その結果、多くの者たちが、騎士・農民問わず、ミンク家から離脱していった。
さらに私は挑発と罠までデルマゼアに仕掛けている。書簡を送ったのだ。他ならぬ彼に。
『貴様の罪は分かっている。自ら王に罪を告白し、神に仕える道を選べ。そして、我が前に跪き、頭を垂れよ。寛大に、このシャンディス侯爵が。デルマゼア、貴様の罪を許してやろう。貴様が哀れだからな、デルマゼア・ラ・ミンク』
……なんて。手紙を読んだ彼の怒る姿が目に浮かぶようだわ。
「ふふ。ミンク侯? 貴方も王のように誤解されていては大変ですから、ええ。この一ヶ月、私が女侯爵として過ごしたことをお察しください。我がシャンディス家とミンク家とで踊っていたダンスのお相手は私でしたのよ? そして、あの手紙を送ったのも、この私。 キーラ・ヴィ・シャンディス女侯爵ですわ! 手紙の内容、思い出せていただけて?」
「……な!」
ただでさえ腹立たしかっただろう。
戦に負ける屈辱。配下に裏切られる屈辱。領民に逃げられる屈辱!
王は己を助けず。諸侯は己を助けず。娘は己の役に立たない。
それもこれも、すべてはシャンディス家のせい! 父、カイザム・ヴィ・シャンディスが相手であったとしても度し難いのだ。
だというのに……己に屈辱を味わわせた相手が、さらにキーラであったなど!
「ふふ、ああ、貴方とのダンスはとても楽しかったわ、ミンク侯爵」
「貴様! 小娘風情が、どこまで私を侮辱するか!」
「……先に侮辱したのは『お前』でしょう? ミンク侯爵。お前が、この女侯爵キーラを侮辱したのよ」
「なんだと!?」
「……ああ。けれど。お前が私を憎む理由は分かるわ。だって、そうでしょう?」
私は『悪女』らしくニタリと笑った。悪女、いいえ、悪役を演じるように!
「政治の場でキーラに敗北し! 領主の器でキーラに敗北し! 策謀の才でキーラに敗北し! ……デルマゼア・ラ・ミンクの人生は常にキーラの下にあった! お前は私に負けるためだけに生まれて生きた『敗北者』だもの! ふふ。あはは! あーっはっはっはっは!」
私は、デルマゼアを見下すように嘲笑してあげた。
「黙れッ! なんという、なんという悪辣な女! 陛下! この女は、やはり毒婦! 悪女に違いない!」
「ああ! まだ貴方が私に敗北していることがあったわよね? 聖女ユークディア様。彼女はさっき『女として』私への劣等感を見せたわ。ふふ。でも彼女は悪くないの。悪いのは、その血よ。聖女の母はきっと優秀だったのでしょう! でも優秀なのは聖女のお母様だけ! 聖女の優秀さも母親譲りのものだけ! ユークディア様が私を見上げているのは父親の血が敗北者のものだからだわ! お前は男でありながら女としても負けたのよ! あはははは!」
「黙れと言っている! レグルス国王陛下! そして諸侯の皆よ! このような下劣な毒婦が……我ら、誇りある侯爵と同列に語られて良いものか!? 先に言った『聖女毒殺』の犯人も、やはりこの女の仕業に違いない! 見ただろう、聞いただろう! この小娘のおぞましさを!」
「ふふふ。あらあら。やはり愚鈍ねぇ。かの事件において、私の無実は神殿が証明なさったのよ? それを忘れてそのような。やはり聖女様の中にある愚かさは父親のせいなのねぇ。ユークディア様が私を下から見上げるのは貴方の血が下等だから! 優秀な私と比べてね! あはははは! お前は! 私に! 負けたのよ! 聖女様を通して! ああ、情けない! なんて情けないデルマゼア! 小娘にいつも敗北するデルマゼア!」
「ふざけるな! ユークディアが情けないのは私のせいではない!」
「……ッ!」
……あーあ。おバカさんね。だけど言うと思っていた。
だってデルマゼアにとって価値があるのは常に自分だけだから。
それは、この一ヶ月の領地戦で確認した事実。
ここで私は上げていた気分を落として、冷静に話すように切り替えた。
「聖女毒殺未遂事件。この件の犯人が誰かを、この場でしっかり確認しなければ、諸侯の気も晴れないでしょう? 延いては王国の未来や王妃様の未来にも関わりますわ」
「お前が犯人に決まっている! 他に居ないだろうが!」
「……その答えはミンク侯爵。貴方の『血』が決めることですわ」
「なに!?」
私は合図を送る。すると奥に控えていた神殿騎士が動き、大神官様を会場に招き入れた。
「不老の大神官、エルクス・ライト・ローディア様。お久しぶりでございます」
「ええ、キーラ様。お元気そうで何より」
大神官様の権威は王にも匹敵する。王でさえも敬意を払わねばならない、ほぼ同等の存在だ。
政治や王家の運営などに口を出す権利があるワケではない。
それでも無視は出来ない存在となる。それがエルクス様だ。
「連れて来ていただけましたか?」
「ええ、もちろん。レグルス国王陛下。聖女ユークディア様の毒殺を謀った者。それを明かす証言者をここに連れて参りました」
「……何?」
「何だと!?」
エルクス様の手により参じたのは信徒の服を着た男たち。だが、その手には縄が掛けられている。拘束された状態で、しかし神に仕えると示す姿で彼らは姿を見せた。
「彼らです、レグルス国王陛下」
「……その者たちは?」
「聖女の毒殺未遂に関わり、すべてを自白した者たちでございます。自ら罪を改め、悔い、そして神に誓いを立てました。故に、けっして嘘は吐かぬと。神官として彼らの心を尊ぶことを大神官の何において宣言します」
「な、何だと……!?」
大神官による証言の正当性の保証。口先だけならば何とでも言える。だが。
アルヴェニア王国の民は神の存在を信じている。それは予言という形でその威光を神が示しているからだ。他国にあるような数多の神への信仰ではない。
絶対の主への信仰。不老の神官という存在もまた神への信仰を促す理由となっている。
それ故に。
証拠が見つかるはずのない事件において、証人だけが真実を追求する手段の場において。
エルクス・ライト・ローディア大神官の保証。これほど価値のある肯定はない。
「さぁ、事件について貴方の知っていること皆の前で、王の前で話しなさい」
「……はい、大神官様。神に誓って言います。聖女、ユークディア・ラ・ミンク様の毒殺を企てた者。その主犯となる者の名は」
デルマゼアはどんなにか男の口を塞ぎたかっただろう。
だが、大神官が彼の前に立ちはだかる。かの存在の前では口を噤むしか出来なかった。
「──デルマゼア・ラ・ミンク。ミンク侯爵でございます」
「……貴様ッ!」
ざわざわと会場に居る貴族たちが、その事実に言葉を漏らす。
その中でも最も驚愕に満ちた表情を浮かべたのは他ならぬ、聖女ユークディア様だった。
「……どういうことだ、デルマゼアよ。ユークディアの父である貴様が犯人だと?」
「お、お父様……。どうして、何故……!」
「ち、違う! デタラメです、あのような男の証言など!」
「おや。神への誓いを以て、かつ、この私が共に居る場での証言です。ミンク侯爵は、それをデラタメだとおっしゃると? 我らの神への信仰を否定なさると?」
「ぐっ! だが、このような! すべては、すべては……そこの悪女、キーラ・ヴィ・シャンディスの企てに違いないのです! エルクス大神官! この悪女こそがすべての!」
デルマゼアは尚も私を指差し、口汚く罵って罪を押し付けようとする。
だけどエルクス様はそんな彼の態に呆れたように溜息を吐くのみだ。
「はぁ……。貴方もまたキーラ様ですか。いい加減に疲れてきましたよ、私も」
「……ごめんなさい、エルクス様」
「いえいえ、キーラ様のせいではないと思いますけどね。ただ、人を惹きつける魅力を持つというのも困ったものだ。貴方は苦労していますね」
「……お気遣い、ありがとうございます」
本当に申し訳ないけれど、エルクス様には、あと少し頑張って欲しいところだ。
「陛下! 私を信じてください! 私は犯人ではありません! それに、それに! 毒殺されかかったのは我が娘なのですよ!? 父である私が、愛する娘に毒を飲ませるなどするワケがないでしょう! 故に最も疑わしいのは、いや、犯人はキーラに違いないのですッ!!」
「…………」
「陛下!」
ふふ。その言葉は、だから命取りなのよ、ミンク侯爵。
だって既に貴方は失言をしているじゃない? 貴方が先に裏切っているのだから。
「ふふ。愛する娘……ですって。ねぇ、ユークディア様?」
「……キーラ様」
「なんだ!? 貴様、軽々しくユークディアに話し掛けるな!」
私はミンク侯爵を無視し、ユークディア様だけを見つめて話し掛ける。
「あらぬ罪で私を陥れる。貴方はこの場でそれをすることだって出来ましょう。ええ。では、貴方はどちらを信じますか? 聖女ユークディア・ラ・ミンク様」
「……どちらを?」
「はい、ユークディア様。この私、キーラ・ヴィ・シャンディスか。それとも貴方の父であるデルマゼア・ラ・ミンク侯爵か。貴方が犯人を……お決め下さい」
「な!?」
「……何ですって? 私が犯人を決める?」
「ええ! 私はユークディア様に従いましょう! 殺されかかったのは貴方! なのですから。だから貴方が、このキーラと、ミンク侯爵! どちらが犯人であるかをお決め下さいませ!
私はその決定に従いましょう! 再び地下牢へと入れられても構いませんわ! ええ、ええ! 神に誓います! ふふふ!」
軽々しく。なんてことはないように。私は神に誓いを立てた。
その誓いを破ろうとも私には関係ない。私が手を取ったのは悪魔なのだから。
「ユークディア! 当然、私を信じるだろう!? 私はお前の父親なのだからな!」
そして選択肢はユークディア様へと委ねられた。その選択によって私は再び地下牢へと舞い戻ることになるかもしれない。だが、それでもいい。その場所は愛する人と出逢った場所だ。
そこで私の物語が終わると言うのなら。二度の人生を生きた結末としては悪くない。
「────」
長く。ユークディア様は沈黙した。誰もが彼女の答えに耳を傾けて押し黙った。
そして、彼女は告げる。
「……私はキーラ様のことを信じますわ。私を毒殺しようとした犯人は……お父様。貴方です」
「なっ!? ば、バカな!! ユークディア! 貴様、何をバカなことを!?」
デルマゼアの誤算。
それはユークディア様の誇りを、矜持を理解しなかったことだ。
聖女とまで呼ばれた女。神に仕えると言われた女。たとえ、庶子であろうとも侯爵令嬢となった女。そして未来の王妃の道を進むと決めた女!
……そんな女に、誇りがないはずがないのだ。
レグルス様の愛が己に向いてなかろうと。それを易々と認めることは出来ない。
そして、この私を……誰が見ても冤罪だと分かる罪で陥れるなど彼女には出来ない。
それは彼女の女としての敗北だ。
『己は、そうすることでしか王の愛を得られないのだ』と、自ら吐露するのと同じこと!
それは、これ以上のない聖女の敗北宣言。
きっと、そうなっていれば私は高笑いしながら己の足で自ら地下牢へ向かっただろう。
私こそが絶対の勝者であると笑いながら。彼女のことを見下して笑いながら。
……そうなることをユークディア様は許せなかったのだ。
誇りある者として、人を貶めるのではなく、正しい者としての選択を選んだ。
これは彼女の、父親との決別の意味もある。彼女だって気付いていただろう。
この父親は、たとえ自分が娘であっても毒を盛るかもしれない、と。
彼女は父親からは愛されていない。……私とは違って。
だから、父親を信じるなどとは言えなかった。私に罪を着せることが出来なかった。
様々な要素があれど、それらはユークディア・ラ・ミンクの守るべき誇りだったからだ。
女としての誇り。娘としての誇り。一人の人間としての誇り。
ユークディア様を支える矜持。それだけは譲れないと彼女を形作るもの。
デルマゼアは、そんな彼女の矜持を、誇りを理解していなかった。それが誤算であり敗因。
……最後の一押しをしたのは私ではない。
デルマゼア・ラ・ミンク。この男自身が、聖女の手を跳ねのけていたのだ。
裏切れば、裏切られる。たった、それだけのこと。
「……王の名において宣言する! この場でデルマゼア・ラ・ミンク侯爵からその爵位を剥奪する! この男は今、貴族にあらず! ただのデルマゼアとなったこの男を聖女ユークディアの殺害未遂の罪で捕らえよ!」
「「「ハッ!!」」」
レグルス様の一喝によって動き出した王宮騎士たちがデルマゼアに殺到する。
「なっ! レグルス陛下! 違います、違います、私は! ……ユークディア! 貴様、何故だ!? 何故、この父を裏切るんだ!」
そして、ただのデルマゼアに騎士たちが群がり、あっという間に拘束した。
「……先に裏切ったのは貴方でしょう、デルマゼアお父様。私に毒を飲ませて殺そうとした。 殺すつもりはなかった、なんて意味のない言葉です。私はあの時、苦しかった。本当に。殺されるのだと思ったのよ。もう二度とレグルス様に愛されないのだと……泣いた」
「……ッ! それが何だと言うのだ! お前の気持ちなどどうでもよい! 撤回せよ! すべて企てたのは私ではなくあの小娘、キーラであると!」
「……最後までそうなのですね。お父様。分かっていました。分かっていましたよ……」
ユークディア様は既に泣いていた。そして、もう父であるデルマゼアに目を向けなかった。
彼女が発言を撤回することはない。
「……ッ!」
そのことをデルマゼアも理解したのだろう。彼の怒りの矛先は最も憎む私へと向けられた。
「……キーラッ! キーラ・ヴィ・シャンディス! おのれ、おのれ、おのれ!! どこまでも、いつまでも! 許さぬ! 絶対に許さぬ! たとえ地獄に墜ちようと……貴様だけは呪い続けてやるッ!!」
……ふ。
「──歓迎しますわ、ただのデルマゼアさん。なにせ、私。悪女ですから。怨嗟の声など子守歌のように聞こえましてよ?」
歌うがいい。呪いの歌を。地獄で。
とうに覚悟は出来ている。私は悪魔の手を取ったのだ。
神に反逆した私が。悪魔の手を取った私が。今さら、呪いを恐れなどするものか。
「……キーラぁああああああああッ!!」
そうして、元・侯爵デルマゼアは舞台を降ろされたのだった。
※改稿済み(2025/01/26)




