04 キーラの選択
「人生を……やり直す?」
それは一体、どういう意味なのか。
「言葉通りの意味さ。お前の人生をやり直すチャンスを与えてやろう。なにせ、俺は、時間と影の悪魔。そういう事も出来るのさ」
「それは……」
たしかに悪魔ならば。出来るのかもしれない。
だけど。だけど?
「何故? それも暇潰しなのですか?」
「俺の理由か? お前がしたいか、どうかではなく?」
「……はい」
「くくっ。そうだな。暇潰しもある。だが……そう。俺は神様が嫌いなのさ。悪魔だからな」
「神様が嫌い」
「ああ。だから神の予言なんてものは覆したくて堪らない」
「神の予言を?」
……私の知る神の予言は2つ。
1つは聖女ユークディア・ラ・ミンクが神に仕えるようになる事。
1つは……私、キーラ・ヴィ・シャンディスがレグルス王の伴侶となる事。
彼、時間と影の悪魔リュジーが覆したいと言っているのは……後者?
「神様が嫌いで、尚且つ、あんたが随分と楽しそうな境遇に落ちている。見ていて楽しい、暇潰しになる。それが大きな理由だ。悪魔らしい理由だろう? くくっ。ああ、まだあるな。俺の好みは悪女なんだ。だから王国でも噂の悪女様の面を拝みに来てやったのさ! あはははは!」
「…………」
この悪魔の申し出を受ければ。
私は、この人生をやり直す事が出来るのかしら。
謂れのない罪で地下牢になど投獄され、誰からも信じて貰えなかった人生を。
「……、代償は?」
「うん?」
「悪魔の力を借りて恩恵を得るのならば……代償が必要でしょう。やはり魂ですか?」
「魂なぞ要らないがな。……そうだな。代償があった方が信じやすいか」
要らないのかしら? 彼の物言いからは本当に不要にも感じる。
「では、こうしよう。お前が人生のやり直しを選択するならば」
「……はい」
ゴクリと私は唾を呑み込みました。
「お前は、ある心を失う」
「心……?」
「そう。といっても廃人になるワケじゃあない。お前が失う心は……『幸福を掴みたいならば不要』で。
だが『キーラ・ヴィ・シャンディスにとって大切な心』だ」
「……謎かけ、ですか?」
「くくくっ。初めに教えてしまってはつまらないだろう? という話だ。2度目の人生を歩む上で、その内に気付くかもな。自分がどんな心を失ったのか!」
「……心」
如何にも悪魔らしい取引だった。
私は何の心を失うのだろう。
きっと、その心を失ったなら……私が私でなくなる。
「良心でも失うのですか……?」
「くくくっ! そんなにつまらないものじゃあない! 言っただろう? キーラ・ヴィ・シャンディスが『幸福を掴みたいならば不要』な心だと! つまり、その心がなくてもお前は幸福な人生を送る事ができるというワケさ!」
「でも、貴方は悪女が好みだと」
「良心を手っ取り早く失くして人の心がない悪女にする? そんなものは『作り物』だろう。それは俺の好みじゃない。俺が望むのは、お前が、お前のまま、自らの意思で悪の道を歩む事だ。なにせ、その方が面白い」
……面白いから。それが悪魔リュジーの価値観。
そして私は幸せになる事も出来る。
代償は今、考えて分かるようなものではない……。
……良い取引に思えた。
厳しい試練ばかりをお与えになる神よりも、よっぽど甘く、優しい施しにも感じる。
(ああ、それこそが悪魔だからなのかしら)
人の心は誘惑に弱い。強く律して生きてきたつもりだった私でも、こんなにも脆く。
「……分かりました」
「おう?」
「時間と影の悪魔、リュジー。私は……その条件で、貴方との取引に応じます」
「くくっ! あはは、あーっはっはっはっは! そうか! それはいい! それがいい!」
すると地下牢一杯にリュジーの影が広がっていきます。
影に、闇に包まれた私の肌は、温かい何かに全身を包まれました。
それはまるで親に抱き締められた子供に戻ったような感覚。
或いは……本当に愛してくれるものが与えてくれるという抱擁。
影が私の肌のすべてに触れていきます。
髪の毛の先端から、足のつま先まで。
他人に、特に男性に触れさせてはいけない部分までもに指は伸び、私の全身が彼の手で愛撫されるような錯覚。
(悪魔は、人の女との交わりなど求めるのかしら)
男性としての欲望の対象になどなるのだろうか。
種族ごと、存在ごと違うモノだと言うのに。
「じゃあな。キーラ・ヴィ・シャンディス。お前はこれから人生をやり直す」
「…………」
悪魔の囁き声が耳元に聞こえます。ゾクリと、私の背が官能的に震えました。
「2度目の人生の標語はこうだ。『神様なんざクソ喰らえ』。くくっ! 神様の与える運命なんぞクソ喰らえ!」
「……クソ、くらえ」
「ああ! そう! そうだとも! お前の人生をお前が決めるといい! 選ぶといい!
運命とは人が切り開いてこそ面白い! 楽しいものだ! それこそが最高の娯楽なんだから!」
「……リュジー」
「ああ! なんだ!? もうすぐだ。もうすぐ、お前の人生がまた始まる! キーラ・ヴィ・シャンディス!」
「……ありがとう。私を信じてくれて」
「────」
罪のない女。信じている。冤罪で投獄された私にとって、これ以上の言葉はなかった。
「──じゃあな。人生、楽しめよ。キーラ」
その言葉を最後に、悪魔の声は私から遠ざかっていった。