【33】 聖女の愛
※改稿済み(2025/1/17)
「……くそッ!」
「れ、レグルス様……」
レグルス王は荒れていた。豪雨の中、激流に流されたというキーラが見つからない。
王家の影に何度報告させても同じ答えが返ってくるばかりだった。
下流の捜索をさせてもキーラの死体は見つからない。
「……キーラ様は豪雨の中で川に流されてしまったのでしょう?」
「ッ!」
レグルス王は聖女ユークディアがそばに居ても構わず王家の影と話をしていた。
まるで聖女などその眼中にないかのように。
「……まだ死体が見つかっていなかったとしても、おそらくもう」
「黙れッ! それ以上は……ユークディア! お前だとて許さぬ!」
「何故ですか!? だって、キーラ様がその状況で助かるとは思えません! 川に落ちた衝撃でさえ身体を打ち付けられ、気を失う程の衝撃でしたでしょう! 助かるはずがないではありませんか! キーラ様はもう死んでいるんです!」
「黙れ。キーラは生きている」
それは確信などではない。レグルス王の願望そのもの。祈りですらもない。
キーラが死んでいるなど『認めない』と。そういう言葉だった。
(レグルス様は、キーラ様のことを……。なら、私は)
王の心が誰に向けられているのか。ユークディアは絶望的な気持ちになりながら悟る。
(それでは、私に囁いてきた優しい言葉は。女として寵愛するような素振りは。私を婚約者にまで据えたのは一体、何のために!)
ユークディアの心の中に、絶望と嫉妬、愛情と悲嘆、様々なものが渦巻く。
だが、そんなユークディアのそばに居てもレグルス王が彼女を気遣うことはなかった。
そのことがまた彼女の心をきしりとヒビ割れさせる。
「陛下。捜索範囲からは外れますが、例の一団と侯爵家の間で小競り合いがあったようです」
「……何?」
「領地の端に怪しい者共が集まっていた。そう思えば、侯爵家の騎士団が動いてもおかしくはありません。実際に見回りに来て一団と交戦する事にはなったのでしょう。しかし」
「……しかし、なんだ。言ってみろ」
「侯爵家の騎士団、勇猛果敢なシャディス・リッターにしては、やけにあっさりと後退しました。賊共を討つでもなし、捕らえるでもなしであったそうです。彼らの実力からすればおかしな話と言えます。深く追い立てれば一網打尽にも出来たでしょうに」
騎士団を保有することを認められたシャンディス侯爵家。その騎士団の実力は高く国内外に評価されている。アルヴェニア王国にはシャディス・リッターが在る、と。
その存在だけで他国への牽制になる程だ。小娘一人を追いかけるしか能のない集団に遅れを取る者たちではない。
「……つまり、侯爵家はすぐにでも兵を後退させる理由が出来た。そういうことだな?」
「おそらくですが」
「ならば、キーラはやはり生き延び、そして侯爵家に保護された、か」
(そんな……)
死んでいれば良かったのに。
聖女ユークディア・ラ・ミンクはそんな風に心から思った。
レグルス王はキーラの安否に希望が見えた事で落ち着き、玉座に座って黙考を始める。
「……如何なさいますか?」
王家の影でも、シャンディス侯爵家に潜入し、その令嬢を攫うとなれば極めて困難だ。
多くの犠牲を覚悟しなければならなくなるだろう。
それは、王家の影としての今後の活動に支障をきたす程に。
「……まずは、シャンディス侯爵に書簡を出す。賊に囚われたのではなく実の親に保護されたと言うならば無事ではあるだろう」
「はっ、そのように」
「……キーラを襲撃していた一団から捕らえた者は何か吐いたか?」
「いえ、口が固い者のようで」
「……急がせろ」
「はっ!」
レグルス王が頭を悩ませるのはキーラのことばかりだった。
国政はと言えば今や大臣たちが忙しくしている。
(……お父様の言う通り。王様なんてほとんど要らない……)
アルヴェニアという国にとって、前代の王カラレスならばともかく。
(レグルス様は……ただの飾りの王? あんなに学んでいらしたのに。優秀でもあられたはずなのに)
王がただの飾りと言うならば王妃はなんだ?
キーラには苛烈とも取れる王妃教育が施されていたはずだ。
聖女であるユークディアだって、それらから完全に解放されているワケではない。
(……違う。レグルス様はただの飾りじゃない。王様をやれるだけの能力がある。だけど、今のレグルス様は。キーラ様がそばに居ないレグルス様は……こんな風になる? 役立たずの王。女ばかりを求めて狂う王。周りの言葉が聞けぬ王……)
まさか。だから神は王の伴侶にキーラ・ヴィ・シャンディスを選んだと言うのか。
この王を、王として機能させるためだけに?
(……そんなのは、私が求めた幸せじゃない)
ユークディアは思う。
「レグルス様……」
王の目に聖女は映らない。
(どうして。どうして私を見てくれないのですか。私は貴方のそばに居るのに。ここに居るのはキーラ様ではなく、私なのに)
愛しているという言葉さえも賜ったはずなのに。
現に王妃となるのは自分だ。聖女ユークディアが王妃になるはずだ。だというのに。
(彼の愛は……私には向けられていない……)
聖女は、その場に崩れ落ちそうになった。いっそのこと目の前の狂王のように狂って、壊れて、笑い始めてしまいたいぐらい。だが。
(それでも。……それでも私は、レグルス様を……愛している)
ユークディアは神に仕えると予言された聖女だ。尽くそうとする精神は人並み以上に持って生まれた。ただ、今はそれが神ではなく愛した者へ注がれているだけ。
だから、彼女は王から離れることが出来なかった。そばに控え、王を支える選択しか選べなかった。たとえ、王の愛が自分に向けられることはなかったのだとしても。
(おかしい……。もしも、私がキーラ様のように言われたなら)
レグルス王がキーラを正妃に据え、ユークディアを側妃に据えるとそう宣ったならば。
おそらくユークディアは甘んじて側妃となる運命を受け入れていただろう。
(……みじめだわ、私)
その姿は、まるで異なる選択肢を選んだキーラのように。
キーラが運命を受け入れていれば。キーラが悪魔の手を取っていなければ。
そうなっていたかもしれない、姿。
聖女ユークディアは、もう一人のキーラであると言えた。
(私は、レグルス様を……愛している。そして、キーラ様。……貴方のことは、とても。とても……憎いわ)
どうか。どうか、命を落としていて欲しい。
川底で溺れ、二度と目を覚まさぬ躯となって見つかって欲しい。
ユークディアは涙を流しながら、そう祈る。
聖女が流したその涙さえ……レグルス王は見ることをしなかった。




