【32】 家族
※改稿済み(2025/1/16)
あの後。リュジーからの愛の告白と私がそれを受け入れたことは、とりあえず保留という形になった。ひとまずは落ち着き、身体を休めること。話ならそれから聞くし、リュジーのことも客人として丁重に扱うとお父様は約束してくれたわ。
……お父様。お元気で良かった。二度目の人生と今の人生のお父様は振る舞いが違う。だから、侯爵家周りの人たちは特に大きく運命が異なるはずだ。
私は入浴を済ませ、衣服を着替え、それから少し仮眠を取らせて貰う。
「私の部屋……」
なんとも感慨深いものがある。場所は同じなのに二度目の人生で揃えた衣服や物がない。
反対に二度目の人生では手にしなかった宝飾品があったり、ドレスがあったり。
……今の私は、どんな人生を歩みたいんだろう?
騎士になろうとしたのは、ひとえにレグルス様から逃げるためだった。
最初は『女』を捨てる覚悟だったのだ。だから、苛烈な道だって歩み続けられると考えた。……結局、その後でレグルス様に見初められてしまったのだけど。
一生、独り身でいることすらも視野に入れていたが、結局は彼の手を取った。
二度目の彼はどうして私を好きになったのだろう。気になる要素があったとしても意識する機会は極端に少なかったはず。それでも彼は私に惹かれ、愛を語った。
もしかして、シンプルに私の見た目が彼の好みだったりするの?
それだけで、今のような執着心が芽生えるのだろうか。
レグルス様は、私のお母様を母のように慕っていた。そして私はお母様に似ているという。彼が本当に欲しい愛は、お母様の愛? キッカケはそうなのかもしれないわね。でも、二度目の彼が言うには……。
結局。運命だったのかもしれない。レグルス様が私に惹かれることは。私が彼を愛することは。神が予言する程の、確定した運命。だから、その運命から逃れたいならば私は悪魔の手を取るしかなかった。逃げてもこんなにも追ってくる、彼の愛。
「終わらせなくてはいけないわ、レグルス様の愛を」
だって、そうしなければ私は真に幸せになれないし。彼だって幸せになれないのだ。
いつまでも手に入らない私を追い求めて病んでしまう。それでは誰も救われない。
「……キーラお嬢様。お休みですか?」
私が改めて決意を固めていると部屋をノックする音が聞こえ、そして侍女の声がした。
「大丈夫よ、起きているわ」
「旦那様が食堂でお待ちです。お嬢様と一緒に食事をなさりたいと」
「ええ! 今行くわね!」
久しぶりのお父様との食事だわ! ……なのだけど。
「ええっと」
食堂に行くと、カイザムお父様とリュジーが既に席に着いていた。
これは、一体どうなるの? 既に私とリュジーが恋人同士であることは伝えた。その反応がこれ、ということなら認めて貰えたということ? 分からない。
そもそも、リュジーはリュジーで何を平然とした顔をしているのだろう。
私への愛をあんなに熱く語った癖に。また、彼を見ながら私は顔を熱くする。
意識させられる時は、いつも私の方が意識してばっかりだ。悪魔の所業よ。悪魔、悪魔。
「キーラ? そんなところで立ったままで何をしているんだ?」
「そ、そうだけど、リュジー」
この空気! なんとも思わないのかしら、リュジーは。
「キーラ。どこでもいい。椅子に座りなさい」
「はい、お父様」
私は無難なところ、リュジーと向き合うことになる場所に座った。
お父様が座っているのは部屋の一番奥、主人が座る席よ。
「キーラ、改めて言うが……おかえり。本当によく帰ってきた」
「はい、帰って参りました。カイザムお父様」
久しぶりのお父様を前に私がどこか緊張していたら。
「っ!」
私の足をツンツンとつつく感触が。足元から私の肌を包み込むような温かさが広がっていき、 ゾクゾクと背筋が震えた。また服の下にリュジーの影が入り込んだのだ。
ずっと肌に貼りついている時と、こうして肌を這いずりながら広がっていく感覚は異なる。後者の方が刺激は強い。
……何をするのよ、こんな場面で。お父様の前で変な声を上げそうになったじゃない!
私は頬を膨らませてリュジーを睨む。親子の再会を茶化そうとするなんて、と。
そうするとリュジーはニコニコと私に微笑み返してきた。
その表情に私はムッとする。こういうのは二人きりの時に……そうじゃなくて!
いつでも、どこでもこうして彼を感じることが出来るのだ。もっと関係が深まればそれこそ溺れるような愛に毎日晒されるのだろう。リュジーはストレートに愛情を伝えてくる。
私は、そういうのに慣れていない。耳元で愛を囁かれるだけで身体がゾクリと震えてしまうぐらいに弱い。それは相手が彼だからなのか。それとも悪魔だから、そういうものなのか。
「キーラ」
「は、はい!」
「彼と見つめ合う程の仲であるのは分かったが、今は私と話を進めないか? 久しぶりに親子で会ったのだ」
「それは! はい、もちろんです……!」
いけないわ。リュジーにばかり意識を向けてしまった。私にとってのお父様も、もちろん久しぶりで、感動の再会。だけど、二度目の人生を間に挟んだ私にとって、その感動が少しだけお父様よりも薄いかもしれない? いえ、そんなことはないはず。
「まず言わせて欲しい。キーラ、迎えに行くのが遅れてしまって本当にすまなかった」
「え? あ、いえ! そんな! お父様が遠くにいらしたのは知っていましたので! 物理的な距離が離れていては本当にどうしようもありません!」
「キーラがそう思ってくれるのは助かるが、お前が本当に助けを求めている時に私は駆けつけてやれなかった。私はそのことを悔しく思っている」
「そんな……。仕方ありませんわ。どうしようもなかった。それに、おそらくはお父様が遠方に出ている時を見計らって、騎士団の遠征に合わせて、私の婚約破棄は成されたのです」
今思えば、間違いなくそうだったのだろう。侯爵である父がすぐに動けないタイミングでの婚約破棄。あれからすべてが始まったのかもしれない。
「……そうだな。私も同感だ。レグルス王は私を遠征地に追いやり、その隙を見てキーラとの婚約破棄をしたのだろう。私に邪魔をさせないために」
「お父様の方でも確信がおありですか?」
「侯爵家の騎士団が出向く程のことは遠征地では何もなかったのだ。辺境伯の騎士団で問題なく対処できたし、辺境伯家の戦力には余裕もあった」
であれば、確実にそういうことだったのだろう。無意味に騎士団を動かすのはそもそも費用だって掛かるというのに。それでもレグルス様は、お父様に侯爵家の騎士団シャンディス・リッターの遠征を命じた。戴冠式にも参加させず、遠方にある辺境伯領へと出向くように。
「もちろん、レグルス王個人の考えでなく誰かの入れ知恵の線も濃厚だがな」
「おそらく、それはミンク侯爵の入れ知恵だと思います。捕まえた者たちの尋問は始めていますか? 彼らからその証言が手に入るでしょう」
「今は尋問の準備している最中だ。キーラから連中に聞きたいことはあるか?」
「彼ら個人にはありません。知っていることすべてと黒幕さえ語るなら、彼らの命にさえ興味もありませんわ。言いたいことや聞きたいことならば、その黒幕にだけ」
「そうか。では堅実に進めて行こう。命にも興味がないなら懐柔という手もあるが」
「ええ、お父様の好きになさっていただいて構いません」
「あ、侯爵閣下」
そこでリュジーが私たちの会話に割って入った。度胸があるわね。空気が読めないとも言うべき? まぁ悪魔に侯爵と侯爵令嬢の身分も何も関係ないと思うけど。
「……なんだい、リュジーくん」
「連中の一人はかなり乱暴にキーラを扱いました。彼女の腹を蹴ろうとしたことも。当然、私が防ぎましたが」
そう言うと、確かめるようにお父様は私に視線を向けて来る。私は肯定のために頷いた。
「リュジーの言う通りです。お腹は蹴られかけましたけどリュジーが守ってくれたので大事はありません」
服の下のお腹に影があって鎧みたいに守られた、というのは伝わらないでしょうけど。
「……分かった。後でキーラを乱暴に扱った男を教えてくれるかい? リュジーくん」
「もちろん。何なら手伝います」
「そうか」
あ、お父様、怒ったわね。怖いのだけれど、同時に愛も感じる。ふふ。
「キーラとレグルス王の一方的な婚約破棄。その後すぐに『側妃になら迎えていい』などという妄言。聖女の毒殺未遂が発生し、キーラを証拠もなく身勝手に投獄。それも地下牢への投獄だ。その後、大神殿では神の予言が撤回され、すべて失われた。代わりに『大きな間違いを犯している』という予言、神託? が為された。エルクス大神官の手引きと神殿騎士たちのお陰でキーラは貴人牢へ移された。……それでも業腹だが。貴人牢には聖女がやって来てキーラに食事を与えぬよう指示した。無礼なメイドの男爵令嬢はキーラを見くびり、さらに貶めようとしたがキーラに返り討ち。……そこだけは見てみたかったね。しかし、レグルス王がやって来て聖女の行いを知るや、すぐに王宮医に診せられた。また神官の提言とキーラが毒殺の実行は不可能という神殿の調査結果を元にようやく貴人牢から釈放。王や聖女は、キーラを犯人だと決めつけているが証拠もなければ、キーラは犯人でもなし。……ようやく王宮を出て、この家に帰って来ようとしたキーラに連中がやって来た。襲撃勢力と拉致勢力の二つがキーラを追い回し、森の中へ追い込んだ。キーラは川に飛び込んで何とか逃れ、そして襲撃グループを騙し討ちし、馬車を奪って逃走。……そして、私たちと合流し、今に至る、か」
ざっと起きた出来事を並べてくださるお父様。そう、今はそういう経緯と状況だ。
「……聞いていいかい? キーラ」
「はい、お父様」
私はお父様の目を見つめ返した。
「今の話に、いつリュジーくんが出て来るのかな? どこにも影がないと思うのだが」
「あ、そ、それは」
文字通り、今まで影だったから。なんて言えない。うー。
「言わないのか? キーラ」
「い、言えるワケないでしょ!」
「そうか? 使用人はともかく侯爵閣下には真実を打ち明けるべきだと思うぞ」
「え、ええ?」
それってリュジーが悪魔だってことを? そんなこと! 拒絶されたらどうするのよ。
「……何か言い辛いことがあるのかな? キーラ」
「それは……その、はい。あります、けど」
「キーラ。キーラ・ヴィ・シャンディス。私、カイザム・ヴィ・シャンディスと、最愛の妻であったアミーナ・ヴィ・シャンディスの大切で一番大事な愛娘」
「は、はい……」
「お前がどんな大きな秘密を抱えようと、たとえ大罪を犯していたのだとしても。私は最愛の娘の味方だ。何があろうと、王に歯向かうことになろうとも。たとえ神への反逆になったのだとしても。それでも私はキーラを守る。キーラのために生きるだろう。アミーナの遺してくれた一番大切な私の宝物。それが我が最愛の娘、キーラなのだから」
「お父様……」
……そうだった。お父様は私を愛してくれていたのだ。
二度目の人生では文字通り、王の伴侶となる運命に抗ってくれた。神の予言に一緒に抗ってくれた人だった。私はお父様に愛されている。亡くなったお母様にも愛されていた。
このシャンディス侯爵家の人々に大切に守られ、育てられたのだ。
「……わかりました。ここから先の話は、けっしてお父様以外に話すことは出来ません」
「わかった」
お父様は食事を運ぶ使用人たちを下がらせた。私も知る、信用できる使用人たちばかりだ。きっと聞き耳すらも立てないだろう。
「それで? 彼、リュジーくんは何者だい?」
「……私の、一番大切な人、絶対の味方。そして」
私は深呼吸をして、続けた。
「──運命に共に抗う、共犯者です。そして私は彼と、これから家族になりたい。そう心から願っている……」
そう、私が告げるとリュジーは椅子から立ち上がって私のそばへ歩いて来て。
……影が、小さな嵐のように渦巻いた。
「俺の名前はリュジー。人間の身体を得た悪魔だ。そしてキーラと共に人生を歩む者だ」




