03 悪魔
「うっ、うぅ……」
(どうして。どうして、こんな事になったの……)
私は、地下牢へと投獄されました。
貴族牢でさえなく、冷たい岩と鉄の檻で出来た地下牢です。
灯りはなく。手の届かない場所に鉄格子付きの窓が開かれ、そこから差し込む外の光しか頼るものがありません。
暗く。じめじめとしていて。
ベッドなど望むべくもない。藁で編まれたボロ切れだけが、岩の床にそのままありました。
(何故……。何故、こんな目に遭わなければならないの……)
(どうして信じてくださらないの……)
(私が、私が何をしたと言うの……)
(私は、私はユークディア様に毒など盛ってはいない!)
事実として、これは冤罪だった。何の証拠さえも出てきていない筈だ。
誰かが自分を陥れる為に、証拠を捏造したとしても、ここに至るまで私はそれすらも耳にしていない。
なのに。なのにだ。
今も侯爵令嬢であり、ほんの数日前までは王妃になる筈だった。
前王陛下と神が認めていた正妃になる筈だった。
その私は、貴族牢に入る事さえ許されず、最下層の、殺人者と同等の者が投獄される地下牢へと入れられた。
ここに至るまで多くの者とすれ違った。
レグルス王以外の者にも必死に訴えたのだ。
城に勤める大臣、文官、士官。
女官にも、騎士達にも、その場に居合わせた貴族達にも。
だけど、誰もキーラを助けなかった。
たしかに、この投獄は国王となったレグルスの命令だ。
王の命令だが……レグルスは、まだ戴冠したばかりの身。
何より、あまりに不当で、あまりに理不尽な命令だった。
疑われるまではいい。それにしたって呑み込めないけれど、ユークディア様が毒に倒れられて、真っ先に自分が疑われる構図は、私にだって理解できる。
けれど、扱いは王国法に則ったものであるべきだ。
王が、己の疑心ひとつだけで地下牢に貴族令嬢を投獄した、などと赦されていいワケがない。
この扱いは、まるでレグルス王の、キーラへの憎悪そのものだ。
(何が彼をそこまでさせるの……)
分からない。今日まで彼を見つめてきた。
青い髪と青い瞳を持つレグルス・デ・アルヴェニア王。
初めは淡い恋心だった。整った見た目に惹かれただけの幼い恋。
だけど、時を重ねる内に、それは私の中で愛へと成長していった。
……その愛した相手は、かくもキーラを憎んでいる。
まるで親の仇でもあるかのように。
キーラ・ヴィ・シャンディスの愛は、どころか人生のすべてが否定された。
「神よ。どうして私にこのような運命を与えるのですか」
私の罪はどこにある。罪名は何なのだ。
誰か、誰か、それだけでも教えて欲しい……。
「──神様なんてクソ喰らえ! ……って思っただろ?」
「!?」
私1人しか居ない筈の牢獄の中に、男の声が響き渡った。
場違いな程に澄んでいる誰かの声。
「誰!?」
「くくっ……! お前が噂の悪女様か?」
「誰なのよ!?」
私の事を悪女と罵る男の声は、たしかに牢獄の中から聞こえました。
だけど、その姿はどこにもない。
(ああ、私はもう気がふれてしまったの……?)
「くくっ! 残念だが、現実だ。俺はここに居る」
「えっ……」
その時。気付きました。──影。影です。
小さな窓から差し込む光で、岩の床に落とされた私の影。
その影が口を開き、そして男の声で話しているのです!
「な、なん……何なの、貴方は?」
「──悪魔さ」
あく、ま……?
「ラプラ……、うーん。そうだな。名乗るなら、そう。リュジー。そう名乗ろうか。お前の妄想じゃあない、悪女様。きちんとこの世に存在する悪魔さ。くくっ。安心したか?」
リュジー。悪魔。本物?
「ああ。私、もう気が狂ってしまったのだわ。自分の影と会話し始めるなんて」
「おいおい。本物だっての。仕方ねぇな」
仕方ない。そう言うと、その影は私の元へ伸びてきました。
そして足元から……何かが私の肌を這いずる感覚!
「きゃあっ!?」
男性に触れられた事などない、足首やふくらはぎ、果ては太ももまで。
その感覚……指が這うような感覚に私は襲われたのです。
「ほらな。現実にある。俺は、ここに居る。だろう?」
「なっ……なん、何なのですか……!」
女の、最も大事な場所に触れる前に、そのおぞましい肌の感覚は私の足から引いていきました。
ですが、今も……人の肌が足に触れた感覚が残っている。
(本物? ああ、私は何を見ているの……)
「だから悪魔さ。時間と影の、悪魔。リュジー。今日はあんたに良い話を持ってきた」
「き、聞きません! 悪魔との取引に応じるなど!」
「くくっ。まぁ、それでもいいんだがな? 何も邪悪な取引を持ち掛けにきたワケじゃあない。誰の魂だって要求しないさ」
魂を要求しない? 悪魔のくせに。
「……では貴方は、何を目的に私の前に現れたのです」
内心で悪魔と会話するなどと、と嫌悪と矜持を持っている私。
自分自身さえも疑わしい状況です。
目の前のそれが、私の妄想などでないと一体、誰が証明できるのでしょうか?
「暇潰し」
「……は?」
悪魔の答えは、私が想像するどれとも違っていました。
その答えの時点で、私はどこか……そう。これが私の内から生まれた願望、夢の類ではないと思いました。
だって私の人生には、潰したくなる暇などありはしませんでしたから。
「悪魔の世界は暇なのさ。愚かな人間の、愚かな生活を眺めてその日暮らし! だけど、今日は面白い女が現れた」
「おも、しろい……?」
私の、この最悪な状況を見て彼は面白いの一言で済ませるのか。
「罪のない女が、最も罪の重い罪人が入る牢獄へと入れられている! こんな面白い出来事に顔を出さないなんて、そんなに勿体ない事はない! それこそ悪魔失格さ! くくっ。あはははは!」
「────」
……この悪魔、リュジーは愉快そうに笑いました。
彼にとっては興味深い出来事。それでしかないのでしょう。
だけど。
……彼は今、言いました。私を『罪のない』女だと。
「貴方は……私が聖女を毒殺しようとしたのではないと……。知っているの?」
「知りはしないさ! だがな。魂の色で分かる! お前の魂の色は、そんな真似をする女じゃあない事を、その人生を示している! くくっ。こう言えば分かるか? 俺は、俺の見える、お前の魂を見て、お前を信じている。
こいつは、ありもしない罪で殺人鬼と同じように扱われ、国の最底辺がブチ込まれる檻の中に今居るんだってな!
くくっ、あはは、あーっはっはっはっは!! 愉快だろう? 笑えるだろう? ははははは!」
……信じている。
思えば、そんな言葉もレグルス王から掛けられた事はない。
彼は何かあれば……たとえ、ありえない程の大罪であろうと、私に疑心と憎悪を向けた。
「……リュジー。悪魔、リュジー」
「ああ、何だ?」
「……貴方は、私を笑いに来ただけなのですか?」
我ながら、なんと単純な事なのかと思うけれど。
私は今、この影の悪魔に対して……好感を抱いていました。
だって。だって、そうでしょう?
誰も私を信じてくれなかったのです。
誰も私を庇ってはくれなかったのです。
誰も私を認めてはくれなかったのですから。
嫉妬で殺人など犯す女ではない、と。そう信じてはくれなかったのですから。
「いいや?」
そして、影の悪魔は私にニヤリと。そう。影に穴が開いたように裂けて。
笑い掛けました。
「悪女キーラ・ヴィ・シャンディス。──お前、人生をやり直したくはないか?」