【29】 追手
書籍版1巻の続きは、ここからになります。
※改稿済み(2025/1/14)
「取り逃しただと!? 何をしておるか!」
聖女ユークディアの父、デルマゼア・ラ・ミンク侯爵は部下たちの失態に激怒した。
少数の神殿騎士の護衛。軟弱な小娘。その程度、誘拐も暗殺も容易いものだと考えていたのだ。だと言うのに、あろうことかキーラ・ヴィ・シャンディスは逃げおおせた。
「……実は王家の影の姿もあり、彼らの妨害にも遭ったのです」
「王家の影だと!? まさか、あの小娘にレグルス王が護衛を付けていたと言うのか!」
「……護衛。いえ。おそらく違います。王家の影は護衛ではなく、あの娘を我らとほぼ同じ目的で追いかけていたように思います。王があの娘をどこかに囲うように命令したのかと」
「なんだと!?」
(ありえん! 王は、今や我が娘ユークディアを未来の王妃に据えると言ったのだ! それにも拘わらず未だにキーラに執着するだと? それは我が娘に対する侮辱に他ならぬ! もしや、ユークディアをこそ飾りの王妃に据え、あの小娘のみを寵愛するつもりで婚約破棄などと言ったのか? ふざけおって、若造が!)
デルマゼア・ラ・ミンクは、国王レグルス・デ・アルヴェニアを認めていなかった。
賢君と呼ばれた前王カラレス・デ・アルヴェニアと比べて、レグルスはあまりに未熟だと。
(だから側妃を娶り、王族の血を多く残せと言ったのだ!)
賢君カラレス王の失態。それは亡き王妃への『愛』などと宣い、直系の子を一人しか遺さなかったことだ。王族の責務は子を成し、血を繋ぐことである。それは貴族以上に重い。
政治など、結局は周りの者らがすれば良い話なのだから。王族は、ただ自分たち高位貴族の上に立つ『飾り』であり、その血を残すだけの道具に過ぎない。
アルヴェニア王国は、自分を中心とした高位貴族が担っているのだ、と。
デルマゼアはそのように考えていた。
「なんとしてもあの小娘を見つけよ! 王家の影や神殿の者らよりも先にだ! 生け捕りが無理ならば必ず殺せ! あの愚王の薄汚い執着心にトドメを刺してやれ!」
「はっ!」
デルマゼアの怒声に彼の配下たちは再び動き始めるのだった。
◇◆◇
「キーラ、ここからお前を追う連中はどう動くと思う?」
「……そうね」
今、悪意を持って私を追いかけている勢力は二つある。
一つ目の勢力は、レグルス様が差し向けた王家の影たち。
これは私を殺すことが目的ではなく、誘拐して幽閉塔に監禁することが目的だ。
二つ目の勢力は、私の誘拐および殺害を目論む男たち。
「私を攫うか殺害を企んでいた連中は、おそらくミンク侯爵家から出ている騎士たちよ」
「ミンク侯爵というと、あの聖女の家か?」
「ええ。八侯爵の一人、デルマゼア・ラ・ミンク侯爵。ユークディア様の父親よ。……私は、彼がユークディア様に毒を盛ったのだと予想しているわ」
「聖女は自分の娘なのにか?」
「ええ。だって毒を吞まされたユークディア様は、結局は大事に至らなかったじゃない。きっとそうなるように毒を調整されていたのよ」
「……実の親なら、いくらでも毒を盛る機会はあっただろうな。公の場でその疑いを掛けても『実の娘にそんなことをするはずがない』と言い訳できる」
「そうなのよね。それが厄介なところ。結局は証拠が必要なのだけれど……」
「なさそうか?」
「時間も大分経っているからね。証拠はもうなくなっていると見ていい」
「そうなると出来ることは?」
「……ユークディア様の毒殺をミンク侯爵に自ら自白させるしかない。それも出来る限り大勢の者が見ている前が望ましい。何よりレグルス様とユークディア様の目の前で失言させる」
「また難しい話だな」
まったくだ。でも、そうしなければ私への疑いはいつまでも晴れない。
それにレグルス様に魔法を使う場も整えなくてはいけない。これもまた人知れずではダメなのだ。私たちの決別は人々の前で行う。
私たちが二度と繋がることはないのだと多くの人々に知らしめる形がいい。
リュジーに教えて貰った、私だけの魔法。一度きりしか使えない力……。
確実に事を成し、最大の成果を望まなくてはいけないわ。
「建国記念パーティーがあるわ」
「うん?」
「二ヶ月先。王宮で開かれることが決まっている貴族を集めた建国記念パーティーがある。 そこには八侯爵も招かれるのが、アルヴェニア王国の伝統よ」
アルヴェニア王国には王家の血を引く公爵家はない。最上位貴族となる侯爵家は八家門。
それがアルヴェニア王国の八侯爵。その彼らが一堂に会するのが建国記念パーティーだ。
戴冠の儀式に次ぐ、王国の一大行事であると言っていい。
「シャンディス家に帰った後、キーラが次に王宮に上がる機会があるとすればそこか。そしてそこには役者が揃うんだな?」
「そうよ」
レグルス・デ・アルヴェニア国王陛下。その婚約者である聖女、ユークディア・ラ・ミンク様。王宮で政治をする大臣たちや、宰相。王国全土を支える八人の侯爵たち。王国内に領地を持つ伯爵以上の貴族たち。
そして、神に仕える不老の大神官エルクス・ライト・ローディア様。
……すべて。すべてが揃う日。
「それまでに全てを揃える。……そうね。そう考えれば、ここで必要なことは……」
「うん?」
「リュジー、追手を捕まえることは出来る?」
「……追手を?」
「だって、私を殺そうとしている追手は絶対にミンク侯爵の手の者なのよ。彼にとって不都合なことを知っているはずだわ」
「なるほど。連中を捕まえれば良い証言を引き出せそうだな」
「ええ、その通りよ」
私はリュジーの言葉に深く頷いた。
「私が侯爵家に辿り着いてしまえば、彼らはそう簡単に私に手を出せなくなる。シャンディス家は騎士団を保有する家門だもの。だからこそ彼らは、私が小娘一人で逃げ回っている今の内にどうにかしてしまいたいと考えている。……それに」
「それに?」
「彼ら。私を『仕方なければ殺す』と考えているのよ。初めから殺すつもりじゃなくて、まずは誘拐。それが失敗したなら殺す。……ね? なんだかそれって油断だと思わない? だって彼らはリュジーという存在を知らない」
「ハッ。そうだな」
ミンク侯爵の追手は、殺す前にまず私を捕まえようとする。
推測だが、誘拐した後で傷物にするなり拷問するなりを考えているのだろう。
彼は昔からキーラという存在を疎んでいた。デルマゼア・ラ・ミンクは私に『復讐』がしたいのだ。だから、本当のところ簡単には殺したくない。長く私を苦しめてやりたい。
私という存在を穢し、貶めてやりたいと思っている。
それから彼はレグルス様にも不満を抱いていたわ。
だってデルマゼアという男こそがユークディア様を王の伴侶とするように長く訴えていた。
自身の娘を中々選ぼうとしない王。それどころかユークディア様を婚約者に据えたと言うのに、まだこの私を追いかけているなんて。
そんなことは、デルマゼアにとって決して許せないことに違いない。
おそらく、誘拐した後はスラムに放り出すか娼館にでも入れて他の男に私を穢させようなどと考えている。そうすれば、私が王妃になる道はなくなるから。
そして、レグルス様にも大きな傷をつけることが出来ると考えている。
だから、あっさりと私を殺したくない。己の欲望を満たす為には私を生きたまま攫いたい。とはいえ、それが難しいなら仕方ない。
キーラが生きていればそれだけで邪魔なのだから、無理なら殺してしまえ。
そんな風に考えるはずなのよ、ミンク侯爵の立場と性格ならば。
また、ミンク家の追手は私を小娘一人と侮っている。
その精神が騎士の鍛錬をしてきた者だとは考えていない。
王宮で花よと育てられた、ただの小娘に過ぎないと思っているのだ。
そして、私をみくびり見下しながら、誘拐した方がミンク侯爵の機嫌が良くなるだろうなどと考えている。今の私には味方など誰も居ないと思っているはずだ。
警戒すべきは王家の影と神殿騎士だけ。しかし神殿騎士はすぐには現れないだろう。
これらの考えこそが彼らの油断、慢心。私が付け入ることのできる隙となる。
今の私にある『手札』は、この私がただの小娘風情ではなくなっていること。
そして、リュジーという存在だ。
「リュジー。貴方が何を出来るか。その、人間の身体になってしまった貴方が、なのだけど。武器は使える? 戦える?」
「ふっ。キーラ。キーラ・ヴィ・シャンディスよ」
「……うん」
「俺を何だと思っている?」
「……悪魔?」
「そうだとも! 何より勘違いをするな」
「勘違い?」
「ああ。俺は、キーラをあの激流から救い出す為に受肉した。つまり、影の身体よりも今の俺の方が頼りになるということだ! でなければ、わざわざ人間の肉体を得る必要がないだろう?」
「……それは、たしかにそうかも?」
影のままの方が強いなら、そのまま私を助けてくれれば良かったのだから。
「でもリュジー、貴方は代償を負って人間の身体を得たように言っていなかった?」
「代償はもちろん負ったとも! だが、それは俺の代償であってキーラの代償ではない!」
「んん? どういうこと?」
「悪魔は約束や契約を守る生き物だ。破れば存在そのものに関わってしまう」
「……うん」
「だから、人間の世に、個人の人間に際限なく手を貸す、ということを通常はできない。ひどく限定的で、条件が限られていて、確かなルールの元に人間に手を下す」
「うんうん」
「俺はそれを捻じ曲げた。キーラから助けを乞われて助けるのではなく、俺の方からキーラを助けようとした。それでは順番が逆なんだ。キーラから助けを乞うていれば、キーラの何かを代償にして力を貸すという体裁が整っていた。だが、あの崖では俺の方からキーラを助けた。 そんなことをしてはいけないにも拘わらずだ。だから俺が代償を背負う。その後、受肉したこともだ。それらはキーラが負う代償ではなく俺が負うべきものだ」
「……リュジーが背負った代償は?」
「キーラ・ヴィ・シャンディスに俺の自由を捧げること」
「……はい? 自由を私に捧げる?」
「人の身体を得た代償だ。悪魔のままで自由に生きられるなど、そうは許されまい? そんなことになれば……ハハ。どんなに楽しい世の中になるか」
「まぁ、そうかもだけど。自由を捧げるって」
「ああ。本当に。まったく無意味な代償に近い。だってその代償は俺の願望でもあるからだ」
願望。自由を捧げる。ということは、つまり。
「──俺はキーラから離れない。これはお前の為に生きる身体だ。ほぼ使役される悪魔のようなものだと思って貰っていい。契約に縛られた悪魔のようなものだ。だが、これが代償にすらなっていないというのは分かるだろう?」
そう言ってリュジーは私の頬に手をあてた。美しいその顔が、その瞳が、私のことを愛おしげに見つめてくる。また私の顔が赤くなるのが分かった。
「そ、それってリュジーは一生、私の傍に居るしかないってことよね?」
「そうだな。お前に尽くす、お前を助ける悪魔になった」
「……そのことをリュジーは……その。嫌じゃない、って思ってくれているの?」
「ああ。でなければ、お前をあの川に放り出していれば良かった話だろう? 俺にとってどうでもいい存在なら既に何度も見捨てる機会があったんだから」
「そ、それは……そう、ね」
困ったわ。とても困った。だって、それは一生を約束された、愛。それと同じじゃないか。
「……あ、悪魔って心変わり、早い?」
「知らんな」
「そこは知らないの?」
「俺は、俺のことしか知らない」
「そうなの?」
不思議な存在だわ。……でも、リュジーはずっと私の傍に居るのね。
ずっと、これからも私を助けてくれる。これは、流石に結婚するしかないんじゃない?
色々と飛ばしてしまっているのは理解しているんだけど。
ここまで彼は尽くしてくれる覚悟なのだし、うん。仕方ない。
けして私が簡単というか、何という言葉だったか。チョロ……などという言葉では決してないのだけど。誇り高い侯爵令嬢なのだ、私は。うん。でも、生涯の味方なら……。
「と、とにかく! つまり、リュジー。貴方は追手を退ける自信があるのね?」
そう尋ねると彼はニィッと悪そうに笑うのだった。




