28 一度きりの奇跡の魔法
「……何と言った?」
「は、はい。シャンディス侯爵令嬢は……、崖に自ら飛び込みました。その後、雨が続いて激流となった川に流されて……下流を捜しましたが、見つかっておりません……」
「……ふざけるなッ!」
レグルス王は、報告を上げた配下に対して声を荒げる。
「何としても捜せ!」
「は、はい。捜索は続けております。……陛下。まだ報告があります」
「何だ!」
「……我々が、シャンディス侯爵令嬢を迎えに行った際、別の者達が彼女を襲撃していたのです」
「……何?」
「彼女の護衛であった神殿騎士達が奮闘しており、……我々は陰からその手助けをして、撃退に成功しました」
「……キーラを狙っていたのか?」
「はい。『捕まえろ』『殺せ』 ……そのように口走る者も居ました」
「なん……だと……。その連中は捕らえたのか?」
「一人、捕まえております。今は拘束した上で治療し、尋問の準備をしています」
「……キーラを、殺そうとする者が」
「神殿が認識したのは、その連中だけの筈です。あちらからも報告が上がってくるやもしれません」
「そうか……。その男の尋問は、どこで行っている? 私が立ち合おう」
「ハッ!」
◇◆◇
「キーラ。平気か?」
「ええ、リュジー」
人間の身体を得たにも関わらず、相変わらず人の温もりを持った影を操るリュジー。
……今、私は人間の身体のリュジーと手を繋ぎつつ、森の中を歩いていて。
服の下は、全身を覆うように彼の『影』が張り付いている。
(雨雲のせいで太陽が見えず、気温が下がっているから……温かくて良いのだけど)
どうにも落ち着かない。
今までずっとそうしてきたんだから変わらないだろう? と、そう言われればそうなのだけれど。
(……でも、もう、いわゆる『恋人』なのだし。常に肌に触れられているというのは……はしたないわ)
悪魔に人間の、それも貴族令嬢の常識なんて言ってどうにかなるものかは怪しい。
平民であれば、もう少し、婚約の段階……お付き合いの段階から、このように肌に触れ合ったり、キスをしたりする事も多いとは聞くけれど……。
私は、侯爵令嬢なのよ?
それが、その。婚前交渉スレスレみたいな……。
リュジーの側にそのつもりがなくても、でも、愛情は向けられてるから……。
(一番の問題は、私が嫌じゃないって事なのよね)
……どころか嬉しいと思っている。
彼が傍に居る事で、安心感が生まれ、そして温かさに包まれる。
反面、彼が傍から離れてしまう事は、耐え難い寂しさを覚えるような……。
(恋愛。恋心。……レグルス様に向けていた、いつも苦しい気持ちとは違う……温かさ)
……それは、少し『2度目の人生の』レグルス様との関係に似ていた。
私の気持ちに、しっかりと気持ちを返される手応え。
(……『両想い』だから?)
相手の気持ちが返ってこない。
どころか冷たく遇される関係は、温かさを感じるよりも、冷たさや苦しさの方が強かった。
繋がれてしまえば、これこそが愛の形なのだと信じられる確信が生まれるのに。
「ねぇ、リュジー」
「なんだ?」
「……私、貴方が好きよ」
「…………」
リュジーがキョトンとした顔で私を振り返った。
人が誰も居ない、森の奥。雨は止んでいるけれど、薄暗く、湿っている闇の世界。
そんな闇の中に溶け込みそうな彼の褐色の肌。漆黒の髪。
美しい翡翠色の瞳が私を見つめ返してきた。
「ああ。俺もお前が好きだぞ、キーラ」
「────」
カァ、っと私の顔は熱くなった。真っ赤に染まり上がってしまうのが自分でも分かる。
リュジーに『好きだ』と言われただけで、キュンと胸の奥がときめいて、幸せな気持ちが溢れてきた。
「か、簡単に言うのね。好きって」
「は? お前が言い出したんだろう、キーラ」
「そ、そうだけど!」
(そんなに素直に好きって返されるの、まったく慣れてないのよ!)
「……好きよ?」
「ああ。俺もキーラが好きだ」
「~~~!」
(こ、これは……まずいわね。今まで縁がなかったから知らなかったけど、思った以上に……その)
いい。
まるで生まれて初めて口にした甘いお菓子のような甘さ。
思わず、頬がにやけてしまう感覚……。
「……キーラ? 今、もう少し真面目に動いた方が良いと思うが……」
「あ、そ、そうよね! ごめんなさい」
(わ、私とした事が……舞い上がってるのかしら? 舞い上がってるわよね……)
崖から飛び降りる前。激流に晒された時。
あんなに絶望していたのが嘘のように、今の私は幸せな気分でいっぱいになっている。
(まさか私が、こんな風になるなんて)
もしかしたら、もっと早くにレグルス様の元から離れていれば、それで済む話だったのかもしれない。
……2度目の人生が、まさにその『もしも』か。
そう考えれば……神の予言は、如何にも邪魔なものでしかなかったわね。
「ねぇ、リュジー」
「うん?」
「神様は、どうしてあの予言をしたのかしら? 私が王の伴侶になるなんて」
「……さぁな」
「分からない? リュジーでも」
「俺は悪魔だぞ? ハッ! 俺にとって、或いは俺の気に入った人間にとって不都合な出来事、嫌な出来事、つまらない出来事! ……そんなのは、みーんな神様のせいさ!
悪いのは、いつだって神様だ。
試練を与えれば人間が成長するなんて思い込んでいる。
己が課す試練は、災害は、あくまで人の為であると!
……そこに『個人的な幸福』など関係ないのだろうさ。
神は大きな視点をお持ちだ。
……それを思えば。そうだな。
キーラが、あの王の伴侶となる事は……この国を豊かに変えただろう。
アレは、今や唯一の王族だ。
だからアレが王である事は変える事が出来ない。
であれば……多くの人間を正しく導く為には、あの王を、強く賢く機能させる『部品』が必要だ。
パートナーと言えば聞こえはいいが、その実、アレを賢君に仕上げる『道具』が必要だった。
だからキーラなのだろう。
それには、お前の幸福など、どうだっていい。
お前がアレに捕まる事で、アレが王として安定し、民草は幸福を享受する。
王国にとっては、それこそが重要な事なんだ。
より多くの者達が、キーラ・ヴィ・シャンディス個人の幸福なぞよりも、多くの『誰か』が幸せである事を正解とする」
「………………リュジーはそうじゃないの?」
「ああ。俺は悪魔だからな。99人の善人の幸福が台無しになろうとも、1人の悪人が幸福になる選択を楽しんでいる!」
「そう……。でも、リュジーには悪いけど」
「うん?」
「私、そこまで悪人じゃないわ?」
「そうかな? もしも、この先、アレが暴走し、多くの民が犠牲になったら?」
「……なると言うの?」
「知らん」
私は、ガクリと肩を落とした。
「別にリュジーって未来が視えてるワケじゃないものね……」
「そうだな。だが、今の時点でアレの行動は、大概……アレだろ」
(王宮を出た私に対し、家に帰る事さえ許さず、王家の影を動かして、しかも王族の罪人が入れられる幽閉塔に監禁しようとした)
「……たしかに、凄く……アレだけど」
今は対象が私だけだから、まだ大きな問題にはなってない。
でも、それが市井の者達へまで広がったら?
「……私が傍にいなければ、レグルス様は『狂王』になるのかしら」
「今の時点でそんなようなもんだろ」
そうかもしれないわ。だとしたら。
「キーラ」
「うん?」
「俺は、お前の傍から離れない」
「……うん」
私がするべき事は。
「レグルス様の暴走を止めないといけないわね。それは王の伴侶には、ならない方法で」
アルヴェニア王国に住む侯爵令嬢、キーラ・ヴィ・シャンディスとして。
レグルス王の妻、王妃となる人生を選ばなかった女として。
神の運命を自ら踏み外し、悪魔を愛した女として。
「私、やるわ。リュジー」
「そうか」
「……その為には、まず侯爵家に帰って、お父様に会わなくちゃ」
「そうだな。必ずお前を無事に、お前の父の元へ送り届けてやろう」
「うん……。リュジー、貴方も一緒じゃなければダメよ?」
「そうか?」
「ええ。貴方と一緒だからこそ、出来る事があるのだから」
「そうか」
「リュジー。貴方から授けられた『魔法』を使うわ。……レグルス様に」
「くくっ、そうか」
悪魔リュジーが私に授けた魔法。
それは私の『起源』に属する魔法であり、またそれを破壊する魔法となった。
人生で一度きりしか使えない、取り返しのつかない破滅をもたらす魔法。
……私とレグルス様の為にあるような、そんな奇跡であり、絶望。
奇跡なんて一度きりのものだ。
2度目の人生を歩んだ事もまた奇跡と言えたけれど……。
今の私は、その奇跡の人生を拒絶した。
『最初の人生を歩むキーラ』は、あの日、地下牢に閉じ込められた後で『夢を見た』だけで……悪魔の手を取った。
まだ私の人生を変える奇跡は行使されていない。
──魔法を使う舞台を整えましょう。
リュジーと、これからの人生を共に歩んでいく為に。
私は、リュジーと手を繋いで暗い森の中を歩く。
追手から逃れ、必ず無事に家に帰り、そしてお父様に会おう。
そう、決意して歩き続けた。




