27 二人
第三幕(最終幕)開始。
「そろそろ出るか、キーラ」
「そ、そうね。リュジー」
私は、リュジーと生きていくことを決めた。それは男女の仲で生きていく、という意味だ。
乗り越えなければならない問題は多くある。差し当たっての問題といえば、そう。
は、恥ずかしい……。すごく恥ずかしい。
裸を見られた。余すところなく。肌に触れられた。強く、強く抱き締められた。
……キスをされた。初めてのキスを彼に奪われた。
それに舌を交わらせてのキスまでして私はそれを嫌がりもしなかった。
なんてこと。なんてことなの! あのキーラ・ヴィ・シャンディスが!
侯爵令嬢キーラが! 王の伴侶となるとされていた、この私が!
キスしたし、裸を見られたし、触れられたし、抱き締められたし、キスしたし。
気持ちの問題がどうのと言う前にこの時点で責任問題では? 貞操とかの問題なのでは?
責任を取って貰うしかないとか、そういう問題では?
で、でも彼は悪魔だし。
身分はない。孤児と変わらないのだ。侯爵令嬢である自分とは決して釣り合わない。
いえ、それでもお父様なら私が真剣に願えば、きっと彼との仲を認めてくださるはずだ。
その確信はある。それが二度目の人生で得た確信だ。
「キーラ?」
「え、ええ」
問題なのはリュジーの方よ。
キスしたのだ。なんと言ってもキスしたのだ。もちろん裸で抱かれた方が問題なのだけど!
それでも男女の一線を踏み越えていない私たち。それはどうなのだろう。
だって私たちは二人きりだ。
愛し合う関係と確認した上で深いキスを繰り返して裸で抱き合ったのだ。
どこがどう一線を越えない余地があると言うのか。
流石にこの状況であれ、あのレグルス様でさえ私を抱くのでは? そう、私は訝しんだ。
いえ、別にその。彼に抱かれたかったとかではなくて。そう。違うのだ。
まさか私の方が男性よりも積極的だとか情熱的だとか。そういうのでは断じてない。
でも、恋人同士でこのシチュエーションで一線を越えない。
その意味がまるで分からないだけだ。言ってしまえばこれはミステリーだ。そう謎解きだ。
なんで? おかしくないか? そういうホワイダニットだった。
リュジーは悪魔だ。だからなのか。いや、だからに違いないのだけど。彼に肌を触れられるだけで居心地がいい。キスは初めてしたが、あんなにも凄いものだったと知らなかった。
けして、私がそういうのを強く求めているとかではない。それは間違いないのだけど。
もしかして、このモンモンとした気持ちはこの先もずっと続くのだろうか。
それこそが悪魔と恋人になるという事の代償だとしたらどうしよう?
私は耐えられるだろうか。たった一晩でさえもどかしい気持ちでいっぱいなのに。
……いえ。違うわ。だって、そう。今夜は特別な夜だっただけ。
リュジーは代償を支払ってまで、これまでの自分を捨ててまで私を助けてくれた。
捧げてくれた。そして私は命そのものを何度も彼に救われた。
王家の影から逃げる決断。崖へ身を投げた時。激流に流されてしまいそうになった時。
最も辛い時に励まし、支えてくれた。
何よりも冤罪で投獄された私を最初に罪はないのだと信じてくれた。
二度目の人生という得難い体験もさせて貰った。あの経験がなければ、私は今のようにレグルス様への気持ちにケジメを付けられなかっただろう。
いつまでも彼を愛していることに囚われて。
彼の理不尽に、彼から受ける私の処遇に、ただ『愛している』という感情だけで囚われて、彼の伴侶となる選択を受け入れて。
そして、レグルス様はいつまでも私に謝ることはない。私に頭を下げることはせず、口を開けば威圧的な言葉ばかり掛けてきて。
『愛している』なんて言葉を掛けてくることはない。好意を示すことさえも、ない。
だと言うのに私は『愛しているのだから』という気持ちで彼のすべてを受け入れる。
愚かで、おぞましくて、気持ち悪い。そんなキーラになっていた。
王の愛奴隷。神の操る駒。キーラ・ヴィ・シャンディス。
そんな人生を歩んでいたかもしれなかった。それらをすべて、リュジーが変えてくれた。
そして、いつも寄り添ってくれた。牢獄の中で話し相手になってくれた。愛こそ囁かれはしないけれど私に寂しい想いなどさせなかった。
……私が、リュジーにして貰ったことは沢山あって。今夜は、さらにそれが特別に重なっていて。だから特別な夜だった。
女の私がはしたなくも自ら彼と結ばれたいと願ってしまう程には特別な夜だった。
「はぁ……」
「キーラ?」
もうダメ。彼と結ばれることばかりを考えてしまう。その理由ばかりが頭の中を駆け巡っている。私にはリュジーと結ばれる理由しか導き出せない。どう考えたって彼にすべてを捧げるのが正解だとしか思えない。むしろ、いっそのこと、私の方から彼を押し倒してしまうのが最適解なのでは? なにせ騎士としても生きようとした私だ。戦いとは攻めの一手! そう言っても過言ではない。
「もう! もうー!」
「……何を悶えているんだ、さっきから」
「誰のせいだと思っているの!?」
「知らん。俺のせいなのか?」
そうよ!
「……まだ体力が戻らないのなら休んでいてもいいが」
「はぁ。いえ。いいえ。まだ、ここは安全地帯じゃないものね……」
「そうだな。流石に下流を捜すとは思うが、時間が経てば分からない」
確かにあの豪雨と激流の中を落下した、非力な女が上流へ泳ぎ切るとは思われないはず。
誰が思うだろう? 服の下に男を隠していたなんて。
そんなことを思いつく者が居るはずもない。
「そうよね。時間がそれ程経つ前なら森を抜けられるはず。遠巻きに動けばシャンディス侯爵家へ戻るルートだってあるはずだわ」
「そうだろう。それに」
「それに?」
「キーラは勘違いしているが。今の俺は悪魔だった時の名残ぐらいの力はある」
「……名残?」
「ああ。ほら」
そこでリュジーは黒髪・褐色肌の人間の身体とは別に、黒い影を伸ばしてきた。
「あっ!」
そして、その影がまた私の服の下に入り込んで肌を這いずり、包み込む。
「影を伸ばして索敵に使ったり、キーラを守ったり出来る。まぁ、森の中を進むのには方角を確かめたり、獣の接近を感知したりとそれぐらい出来るな。枝葉からキーラの肌を守ったりもできるぞ。多少、体温の低下も防げるはずだ」
リュジーは淡々と説明してきた。今、私の服の下。肌に直接、彼の体温を感じている。
「キーラ?」
「……リュジーの」
「?」
「──スケベ!」
私は、怒鳴ることでしかこの気持ちを形にする術を知らなかった。




